17/08/06

憧れの早期リタイアについて考えてみる

早いもので、自分もいつの間にか50歳になっていた。社会に出て30年近くが経過したことになる。就職したばかりの頃は、50歳になった自分のことなんて想像すらできなかったけれど、人間的に成長したということもなく、むしろ年々いろいろな面で劣化しながら現在に至るという感じだ。若いときは、これから定年まで40年近くもあるのかと思っていたが、気付いてみれば定年というゴールがかなり近くに見えてきた。



このままあと10年か15年か、とりあえずサラリーマンとして生きていける間は会社にしがみついていくことになるのだろう。これまで社会人として30年近くを送ってきたことを考えると、残りのサラリーマン生活もあっという間に過ぎていくに違いない。しかし、サラリーマンを辞めて自由に生きてみたいという思いは常に心のどこかに巣食っている。

最近、早期リタイア生活やセミリタイア生活を送っている人たちのブログを読んだりするのだが、皆さんけっこう楽しくやっているようだ。株で生活費を稼ぐ人もいれば、週に2〜3日アルバイトをする人もいる。中には、まったく生活費を稼ぐことなく、貯金だけで生活している人もいる。会社を辞めてからも、何らかの手段で生活費を稼ぐケースをセミリタイアといい、手持ちの資産だけで生活するケースを早期リタイアと呼ぶらしい。

システムエンジニアとして働いていた頃は、会社を辞めたいとばかり考えていた時期があった。会社を辞めたいというよりも、サラリーマン自体を辞めたいという気持ちの方が強かった。しかし、その頃はまだ30代だったから、年金を受け取ることができるのはずっと先だ。そもそも、30代でリタイアして厚生年金の支払いをやめてしまったら、いくつになっても年金なんてもらえない。

貯金にしても、リタイアして数年でなくなってしまうくらいの額しかない。だったらどうするかと考えた結果、宝くじ売り場に出かけて年末ジャンボを何十枚か買うという、まさに典型的な頭の悪い行動に出てしまった。宝くじを買ってから当選番号発表の日までは、これで1等が当たったら、すぐさま辞表を叩き付けて優雅なリタイア生活を送るんだ、なんてことを夢見るわけだ。

しかし、当選番号を確認すると、宝くじなんてものは、夢見る期間の楽しさを買うためだけのもなんだと気付かされることになる。だいたい、控除率が50パーセントを超えているなんて、ボッタクリもいいところだ。まあ、とりあえずは公営ギャンブルだから、収益金の一部は公共事業などに使われるわけで、自ら進んで収める税金みたいなものだと考えれば、それほど腹も立たないかもしれない。

ということで、宝くじの高額当選は一度も経験することなくいまに至るわけだ。いまでも早期リタイアをしてみたいという気持ちはあるけれど、現実的には無理だということはわかっている。ただ、もし独身だったらどうだろうと考えてみると、もしかしたらいけるんじゃないかという気がする。独身だったら、マンションを買うこともなかっただろうから、その分の金額が丸々残るし、生活費についてもいまよりは安く上がるだろう。

ということは、ずっと独身生活を続けてきたと仮定した場合、現在はある程度の金額が手元に残っていることになる。ただ、この貯金だけで年金を受給できる65歳まで生活できるかとなると、それはちょっと難しい。なので、フリーランスの翻訳者として生活費を稼ぐということになるだろう。毎日朝から晩まで仕事をする必要はないから、無理のない範囲で仕事を受ければいい。

空いた時間は、図書館に行って本を読んだり、裁判所に行って裁判を傍聴したり、ママチャリに乗って街中をポタリングしたり、ロードバイクに乗ってロングライドに出かけたり、評判のラーメン屋さんを訪ねてラーメンを食べたりと、自分の好きなことをして過ごしてみたい。おお、なんて素晴らしいんだろう。考えただけでもワクワクして、顔がテカテカしてくる。



ただ、こういう高揚感が続くのも、リタイアして数か月くらいのものだろう。リタイア生活に慣れてしまえば、それが当たり前になってしまって、特に何も感じなくなるに違いない。平日の苦労があるからこそ、休日の解放感を味わえるわけであって、毎日が日曜日というのは、ものすごく素晴らしいことのように思えるけれど、ちょっとだけ冷静に考えてみれば、それほど素晴らしいわけでもないということにすぐに気付く。

それと、自分としてはこれが最も重要なことだと思うのだが、社会とのつながりがなくなるというのが怖い。アルバイトや自営などで何らかの仕事をするのであればそれほど問題はないが、そうしたことを一切せずに、ただひたすら自分だけのために時間を使うという行為は、一見するとものすごく贅沢で自由な行為に思えるけれど、本当にそうだろうか。心の底から充実感を味わえるだろうか。

人間であれば、だれかの役に立ちたい、何かの役に立ちたいと思うのが普通で、辛い会社勤めをするのも、自分が働くことによって少しでも社会に貢献していると思えるからだろう。そんな大層なことは考えたこともない、ただ生活するためだけに働いている、という人もいるかもしれないが、それでも立派に社会に貢献しているわけで、理由はどうであれ、社会に参加しているという事実が重要だ。

だからといって、リタイア生活を送っている人たちを批判しているわけではない。そういう人たちは、正当な手段で得た資産を基にちょっとだけ早い余生を楽しんでいるだけのことで、自分の人生をどう生きるかなんてその人の自由だ。ただ、やっぱり自分には、リタイア生活に踏み切る勇気はない。憧れはあるけれど、憧れは憧れのまま取っておくのがよさそうだ。



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