17/05/28

吉村昭の「漂流」の感想を語る

東日本でカールの販売が停止されるらしい。売り上げ不振がその理由だと聞いて、ちょっと驚いた。国民的なお菓子として定着しているようなイメージがあったからだ。カップ麺では日清のカップヌードルが定番だし、スナックではカルビーのポテトチップスが定番になっているけれど、カールもそれらと同じくらいに定番なのかと思っていた。

ただ自分も、ポテトチップスを食べることはあっても、最後にカールを食べたのはいつだったのか思い出せないくらいだから、結局はそういうことなのだろう。なんだか残念な気もするけれど、これから一生カールを食べられなくなっても、実際には何も困らないということになる。どこのスーパーでもカールは品切れになっているけれど、いまさら人気爆発というのもなんだか皮肉な展開だ。

ということで、吉村昭の「漂流」という小説を読んだのだが、非常に面白かったので紹介してみたい。伊豆諸島に鳥島という無人島があるのを知っているだろうか。まあ、ほとんどの人は知らないだろうが、実はあのジョン万次郎が漂着した島なのだ。この島にはジョン万次郎だけでなく、実に多くの船が漂着していて、島でそのまま命を落とした人もいれば、幸運にも島から生還した人もいるらしい。

自分が佐渡島という離島の生まれということもあり、島についてはけっこう興味を持っていて、平均的な日本人よりは島に関する知識を持っていると思う。図書館で借りた、日本の無人島を紹介している本を読んでいるときに、鳥島で12年間を生き抜いて奇跡的に生還した男たちの物語を描いた「漂流」という小説があることを知り、図書館で借りて読んでみたところ、非情に面白かった。

1785年に土佐から出航した船が、北西からの大嵐に遭って流されてしまい、鳥島に漂着する。野村長平ら4人は、島に生息する何十万羽ものアホウドリを捕まえて食べ、アホウドリの卵の殻に雨水をためてなんとか生きようとするが、栄養の偏りから相次いで3人が命を落とし、長平だけが生き残る。

それから3年後、大阪から出航した船が鳥島に漂着し、さらにそれから2年後に、薩摩藩の船が鳥島に漂着する。十数名の男たちは、冬の間はアホウドリを捕まえて食べ、アホウドリが島を離れる春から秋にかけては、冬の間に作っておいたアホウドリの干し肉を食べて過ごす。やがて、船を造って島から脱出することを計画し、長い間の苦労が実り、ついに八丈島にたどり着く。

この小説は史実に基づいて書かれているけれど、詳しい自伝などが残っているわけではないので、島での男たちの生活については、そのほとんどが吉村昭の想像を基にしているのだろうが、小さな島でできることなんて限られているから、小説に描かれている内容と実際の生活の様子がそれほど違っているということもないだろう。ノンフィクションとして読んでも、それほど問題はないと思う。

これを読んでまず驚いたのが、鳥島に漂着した船の数が非常に多いということだ。長平たちの船を含めて、わずか5年間に3艘もの船が鳥島に漂着したわけだけれど、長平たちが造った船も島に流れ着いた難破船を利用したものだから、鳥島周辺では相当な数の船が遭難していたのだろう。長平は鳥島で12年間を過ごしたけれど、鳥島で20年間生き抜いた人もいたというからすごい。

おそらくは潮の流れや風向きなどが関係して、これほど多くの船が鳥島に流れ着いたのだろうが、それにしても、広大な太平洋に浮かぶわずか周囲6.5キロの小さな島に、何艘もの船が吸い寄せられるように漂着したというのは本当に驚きだ。その島が、多くのアホウドリが生息する島だったというのも、神の意志のようなものを感じなくもない。

日本には多くの離島があるけれど、なぜこんな不便な島に人が住み着いているのだろうと思うような島が少なくない。もしかしたら、長平たちのような人間がたどり着いて島の歴史が始まったというパターンもあるのかもしれない。離島出身の自分でさえ、そもそもこんな不便な島に住もうと考えた理由が理解できないような島がたくさんある。

離島といっても、佐渡のような規模の島になると話は別だ。島の中央には平野があって一大穀倉地帯になっているし、海の幸にも恵まれているし、気候も比較的穏やかだしということで、本土から離れていても自立した経済圏を作り上げるのはそれほど難しいことではなかったと思う。しかし、本土から遠く離れた絶海の孤島でさまざまなインフラを整えて生活基盤を作るのは、並大抵の苦労ではなかったに違いない。

だから、絶海の孤島で暮らしている人たちの様子を本で読んだりするたびに、その島に最初に住みついた人たちはどんな生活を送っていたのだろうかということをいつも考えてしまう。海岸線に広がるわずかな平地にへばりつくようにして連なって建っている家々を見ると、何とも言えない気持ちになる。人間のたくましさみたいなものも感じるけれど、ちょっとした哀れさみたいなものも感じて、なんとも複雑だ。

長平たちが幸運だったのは、島に流れ着いたのがすべて男だったということだ。もし一人でも若い女子が混じっていたら、その女子を自分のものにすることだけにエネルギーが向けられて、船を造って島から脱出しようなんてことは考えなかったに違いない。実際に、戦時下のマリアナ諸島で数十人の日本兵と一人の女性が集団生活を送り、その女性を巡って男同士が殺しあうという事件があった。

逆に、長平たちが不運だったのは、太平洋側から船を出したということだ。これが日本海側だったら、北からの風ならば本土に着くし、南からの風ならば中国やロシアに着くわけだから、海に投げ出されて溺死したり、絶海の孤島に漂着して餓死したりすることはない。それにしても、風任せで進む帆船というのは、本当に心細い乗り物だったんだろうとつくづく思う。ということで、興味があればぜひ読んでみてください。



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