16/09/11

奨学金について考えてみる

最近は、いろんなメディアで奨学金の話題が取り上げられている。それらによると、大学生の二人に一人が奨学金を受給しているらしい。この数字にはかなり驚いた。自分も高校生のときと大学生のときに奨学金を受けていたけれど、自分の周囲に奨学金を受けていた人なんてほとんどいなかったように思う。バブル景気だった当時と比べて、それだけ景気が悪化しているこということか。

いまの奨学金は有利子のものもあるようで、そういう奨学金を500万円とか600万円とか借りる学生もいるらしい。これだけの金額を借りるということは、生活費だけではなく学費も奨学金で払っているのだろう。こうした多額の借金を抱えた状態でブラック企業に就職すると、いきなり返済に窮してしまい、にっちもさっちもいかなくなるところまで追い込まれるらしい。

金を貸す側としても慈善事業ではないから、奨学金を返せない人の給与を差し押さえたり、保証人に対して返済を要求したりするらしい。ここまでくると普通の借金取りと同じで、なんだか怖い。借りたものは返すのが当たり前だから、借金を返さない人間に対して取り立てを行うのは当たり前のことだけれど、奨学金という清貧なイメージと取り立てというダーティーな行為にはかなりのギャップがある。

自分の場合、高校生のときに月額8,000円、大学生のときに月額41,000円の奨学金を受給していた。合計で2,256,000円になる。どちらも日本育英会から借りたもので、当然無利子だった。高校のときの奨学金はすぐに返し終わったけれど、大学のときの分はけっこう遅くまで返していた。毎年12万円ずつ返していたような覚えがあるから、返済期間は16年ということになる。

幸いなことに、ブラック企業に引っかかることも、職にあぶれることもなかったから、一度も滞ることなく返済することができた。毎年12万円ずつ返していたわけだけれど、それほど負担に感じたことはなかった。なにしろ、約200万円を16年かけて無利子で返せばいいわけだから、なんともありがたい制度だ。奨学金とはいいながら、学業以外のくだらないことにも使ったけれど、奨学金のおかげで大学を卒業できたと思っている。

200万円くらいの金額ならばそれほど苦にはならないけれど、これが500万とか600万とかの金額になると話は別だ。ボーナスもきちんと出るような会社であればいいけれど、残業代すら出ないようなブラックな会社に勤めたりすると、たちまち奨学金の返済が負担になることは間違いない。派遣社員や契約社員なんていう不安定な身分だったりするとさらに危険だ。

こんな大金を安易に借りる方もどうかと思うが、そもそも貧乏学生にこんな大金を貸す方にも問題がある。奨学金を借りるという時点でその家庭は経済的に苦しいわけだから、貸す金額が大きくなるほど貸し倒れのリスクも高くなる。その家庭の収入に合わせて貸し出す金額の上限を決めるなどの措置をとらないと、結局苦しむのは当事者である学生とその家族ということになってしまう。

そもそも、そんな大金を借りてまで通う価値のある大学なんて、いまの日本にはそれほど多くない。はっきり言ってしまえば、大卒という肩書を与えるためだけに存在するようなレベルの低い大学が多い。たとえば偏差値が40台の大学なんて、はたして存在価値があるのだろうか。こういうレベルの低い大学に漫然と4年間通って、それで何か得るものがあるのだろうか。

大卒という肩書を得るためだけに、多額の奨学金を受けてレベルの低い大学に通う学生については、同情する気になれない。頭の悪い学生に混じって無駄な4年間を過ごすよりも、すぐに社会に出て働いて金を稼いだほうがずっといいに決まっている。もちろん、こういう大学にも立派な目標を持って頑張っている学生もいるだろうが、そのほとんどは何も考えていないような学生ばかりだろう。

奨学金を貸す側としても、その大学のレベルに応じて貸与額の上限を設けるべきだと思う。偏差値が40を切るような大学の場合は奨学金を貸与しないとか、偏差値が50未満の大学の場合は年間貸与額の上限を50万円にするとか、そういう線引きをすることも必要ではないだろうか。こうすることにより、この大学には借金をしてまで通う価値はないんだなということを学生も理解できるようになる。

企業の側も、そろそろ大卒と高卒とで待遇の差をつけるのはやめた方がいい。いまの若者は、高卒で就職するとなにかと不利になることを知っているから、とにかく大学にだけは行こうとする。その結果、多額の奨学金に苦しむことになる。大卒も高卒も待遇に差がないということになれば、無理に大学に行かなくてもいいかという雰囲気になるだろう。

ただでさえ少子高齢化が進んで若年層の労働力が不足しているわけだから、どうでもいいような大学でどうでもいいような4年間を過ごすよりも、その分を労働力として提供してもらえれば、国としても助かるだろう。というわけで、奨学金を借りる側としても意識改革は必要だけれど、貸す側や学生を採用する企業の側も、もっと現実的に考える必要があると思う。



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