16/05/15

行列に並ぶという行為について考えてみる

仕事帰りに地元のスーパーに寄ったときのこと。エスカレーターで地下に降りると、フードコートが異常なまでに賑わっている。このフードコートでは、ときどき売れない歌手や芸人がドサ回り的な営業を行っているので、このときもそうしたイベントをやっているのかなと思ったが、どうやら様子が違う。ディズニーランドの人気アトラクションばりに、長蛇の列ができているのだ。

カラーコーンで即席に作られたつづら折りの行列に並んでいるのは、圧倒的に中高生が多い。中高生だから当然声も大きくて、とにかく賑やかだ。そこかしこで大きな笑い声や話し声が聞こえてくる。行列の最後尾に「最後尾はこちら」と書かれたカードを掲げて立っている店員さんを見つけたので、「この行列の正体はいったい何ですか」と聞いてみた。

それまで長時間立っていたのか、ちょっとお疲れ気味の店員さんは、ちょっと低めのテンションで、「今日はサーティワンアイスクリームのイベントで、通常は330円のアイスが100円で食べられるのです」と答えてくれた。お礼を言ってその場を立ち去り、改めて行列を観察していると、「2時間も並んでようやく買えたよー」なんていう声が聞こえてくる。

それを聞いて、この子たちはなんて無駄なエネルギーを使っているんだろうと思った。もう夜の7時を過ぎているというのに、この子たちは晩飯も食べず、はるかかなたの100円アイスを求めて気の遠くなるような行列に並んでいるわけだ。たしかに、330円が100円になるというのは、割引率にしたらとんでもないお得感があることは間違いないけれど、はたして2時間も待つほどのことだろうか。

自分の場合、行列に並ぶという行為を時給に換算する癖がある。たとえば、行列に2時間並んで3,000円の商品を1,000円で購入した場合、時給に換算すると1,000円の価値があることになる。1時間並んで購入できた場合は、時給2,000円だ。これくらいならば、我慢して行列に並んでもいいかなと考えるかもしれないが、たかだか230円のお得のために2時間も並ぼうとは思わない。だって、時給にしたらわずか115円だもの。

これと同じような感じで、増税前のガソリンスタンドに長蛇の列ができたことがあったけれど、これもなんだかなと思った。タンクローリーで乗り付けて満タンに給油するならともかく、わずか数十リットルのガソリンを給油して数百円分を浮かせるためにイライラしながら待つなんて、はっきり言ってバカじゃないだろうか。待っている間の時間と労力がもったいないとは思わないのだろうか。

こういうバカに限って、「ガソリン代が浮いたから、今日はパチンコで勝負しちゃおうかな」みたいなノリでパチンコ屋に勇んで出掛け、何万円も負けてガカーリして帰ってきたりするから笑える。いったいお前は何がしたいんだとツッコミたくなる。我ながらものすごく悪意のある文章だなと思うけれど、実際にはこんなバカはめったにいないだろうから、ご容赦願いたい。

行列とは関係ないけれど、安売りのスーパーをハシゴして買い物をする主婦にも同じようなことを感じる。いくつかのスーパーのチラシを入念に比較検討し、ターゲットとなる商品を絞り込み、何軒もスーパーをハシゴして最安値の商品をゲットして満足しているような主婦だ。わずかな金額を浮かせるためにそこまですることもないだろう。その手間暇がもったいないとは思わないのだろうか。

まあ、こういう人たちにとっては、節約できた金額が重要なのではなく、わずかでも節約できたという事実が重要なのだろう。その事実に精神的な充足感を覚えているというだけなのだろう。つまりは、ゲームみたいなものだ。ゲームをプレイすることには何の生産性も伴わないけれど、時間をかけてクリアしたときにはそれなりの達成感がある。きっと、そんな感覚なんだと思う。

なんだか、行列に並ぶ人たちに対する悪口ばかりになってしまったけれど、こういう人たちにも当然優れた部分はあると思っている。それは、多少の損得計算は抜きにして、興味のあることには積極的にチャレンジするという前向きさだ。きっと、好奇心も旺盛なんだと思う。とにかく、多少の効率の悪さやムダなんて気にせずに物事にあたる積極性が最大の長所だと思う。

自分のように、長蛇の列を見ただけで尻込みしてしまうような人間は、そもそも積極性に欠けているし、なるべく苦しいことや辛いことはしたくないと考えてしまう。上に書いた時給計算ではないけれど、割に合わないムダなことは極力やりたくないと考えているし、なるべく合理的に物事を進めようとする。合理的というとなんだかカッコいいけれど、要はラクをしたいというだけのことだ。

つまり、世の中には「行列に並ぶ人間」と「行列に並ばない人間」という2種類の人間が存在して、それぞれが互いの足りないところを補完しあっているということだ。なんだかものすごいこじつけ感が漂う結論だけれど、それほど大きく外れていないような気がする。きっと世の中というものは、互いに違うタイプの人間がいるからこそ、うまく回っていくようにできているのだろう。



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