16/04/24

被災地に対する正しい支援のあり方について考えてみる

それにしても、熊本県の地震には驚いた。最初の震度7の地震に驚いたのはもちろんのこと、その2日後にも同じ地点で震度7の地震が起きたわけだから、さらに驚いた。最初の地震が「前震」だったらしいが、震度7の前震なんて聞いたことがない。というか、「前震」という用語を聞いたのは今回が初めてだ。地震には、本震と余震しかないものだと思っていた。

おそらく、被災地の人たちも同じように考えたことだろう。まさか、最初の震度7の地震よりも大きな規模の地震がくるなんて、だれも考えなかったに違いない。だったら、不便な避難所で過ごすよりは、多少怖い思いをしても自宅で過ごした方がいいと考えてたとしても無理はない。自分だって、同じ立場だったらそうするかもしれない。しかし、今回の地震ではそれが災いしてしまった。

いまは、毎日の報道を見ながら、少しでも早く落ち着きを取り戻すことを願うくらいしかできることはない。自分みたいな一般人としては、芸能人やスポーツ選手みたいに何百万とか何千万ものお金をポンと気前よく寄付するなんてことはできない。直接被災地まで出掛けてボランティア活動をする時間的な余裕もない。本当に、何もできることがない。

しかし、世の中にはひねくれた人間が多いようで、大金を寄付した芸能人やボランティア活動をしている芸能人のことを、売名目的の偽善行為だといって非難する人たちがいるらしい。たしかに、500万円を寄付した女性タレントが、その振込用紙を自分のブログにアップするという行為は、あまりスマートではないかもしれないけれど、寄付するという行為自体はなんら非難されるべきものではない。

それだけでなく、ツイッターやブログなどでの発言のちょっとした言葉尻をとらえて、この大変なときにそんな発言をするのは不謹慎だ、みたいな叩きがすぐに始まってしまう。たとえば、あるテレビ局のアナウンサーが現地で取材しているときに、その様子をツイッターにアップしていたのだが、「本日初めての食事です」というコメントとともに弁当の写真をアップしたら、見事に炎上してしまった。

このアナウンサーを叩いている人たちの意見としては、頼まれてもいないのに勝手に被災地に行って、被災者たちに十分に食料がいきわたっていないのに、その貴重な食料を横取りするとは何事か、取材に行くなら、食事くらいは自分で用意して行くべき、という感じらしい。まあ、こうした意見もわからないでもないけれど、そこまで叩くべきことなのかなと思ってしまう。

マスコミの報道でしか現地の様子を知る手立てのない立場の人間としては、現地で取材する人がいなければやっぱり困るし、取材をすれば当然腹も減るだろうし、自分で食料を用意して行けと言われても、日帰りの取材なら可能かもしれないが、何日も取材が続く場合は現地調達せざるをえない場合もあるだろう。まあ、「ぼくも現地で頑張ってます」的なアピールがウザかったのだろうが、そこまで熱くなることでもない。

こうやって正論をふりかざす人間に限って、自分は何もしていないから困る。そんなに偉そうなことを言うなら、自分が率先して模範を示せよ、と思うのだが、ネットの匿名性をいいことに、好き勝手に言うだけ言って、あとは知らんぷりなのだろう。たとえあなたたちの言うとおりに、売名目的の偽善行為だっていいじゃないの、あなたたちみたいに何もしない人間に比べたらずっと立派だよ、などとその他大勢の人間として言ってみるテスト。

ということで、その他大勢の人間として何ができるかを考えた場合、手っ取り早いのは支援物資を送るということだろう。しかし、なんでもかんでも送ればいいというものでもないようだ。むやみやたらに物資を送ると、現地ではかえって迷惑になることが多々あるらしい。送られて迷惑するものとしては、生鮮食品、古着、千羽鶴や寄せ書きなどだという。

たしかに、古着を送られても困るだろうなと思う。だって、どこのだれが着たものかわからない古着なんていらないもの。どうせなら新品を送ってもらいたい。下着の古着だったりしたら最悪だ。こういう古着を送る人たちって、アフリカあたりの貧しい国に支援物資を送るような気分で古着を送っているんじゃないだろうか。なんだかちょっとズレている気がする。

支援物資として最悪なのは、寄せ書きや千羽鶴だろう。避難所に大量の段ボール箱が届けられて、ワクテカな感じで箱を開けたら中身は大量の千羽鶴だった、なんていうのは本当に最悪だ。食べ物や飲み水さえ不足している状況で千羽鶴なんてもらっても少しもうれしくないどころか、怒りさえ覚えてしまいそうだ。千羽鶴を送るくらいなら、いっそ何もしないほうがずっとマシだ。

そもそも、千羽鶴を送るということは、その分ほかの物資が届かなくなるわけだ。千羽鶴なんていう余計なものを送らなければ、その分だけほかの物資が多く届けられることになる。そのあたりのことを考えもせずに、せっせと大量の鶴を折って送りつける人たちというのは、きっと悪い人間ではないのだろうが、自分勝手な考え方を押し付けるタイプの人間なんだろうなと思う。左寄りの人たちにこういうタイプが多いような気がする。

結局のところ、自分たちのような一般人としては、お金を寄付するのが一番いい支援のあり方なのではないかと思う。支援物資の場合、不要なものについては廃棄処理に費用がかかってしまうけれど、お金ならいくら寄付したって困らない。ということで、わずかばかりだけれど、自分も被災地に寄付をするつもりだ。

それにしても、地震だけでなく、水害や台風の被害が毎年のように発生するけれど、そのうち日本全国が支援疲れにならないか、それが少し心配だ。



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