15/05/17

「まんが道」について熱く語る

突然だが、トキワ荘という伝説のアパートを知っているだろうか。何が伝説かというと、手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などなど、マンガを読まない人でも名前くらいは聞いたことがあるような有名な漫画家たちがその青春時代を過ごしたことで知られるアパートなのだ。たとえて言うならば、漫画界の松下村塾みたいなものだろうか。

塾長はもちろん手塚治虫だ。それまでの牧歌的なマンガとは違い、映画のような動きのあるマンガを描いたことで当時の漫画界に衝撃を与え、多くの若い漫画家志望者たちのカリスマ的存在となった。その手塚治虫が若い頃に住んでいたのが豊島区にあったトキワ荘というアパートで、手塚治虫が引っ越した後の部屋に住んだのが、藤子不二雄だった。

藤子不二雄というのは、藤本弘と安孫子素雄というコンビのペンネームで、最初の頃は二人の合作で作品を発表していた。のちにコンビを解消し、藤本弘は「藤子・F・不二雄」、安孫子素雄は「藤子不二雄A」という名前でマンガを描くことになる。「まんが道」は、藤子不二雄Aが藤子不二雄の青春時代を描いた自伝的なマンガだ。

前置きが長くなったけれど、この「まんが道」が激しく面白い。このマンガを初めて読んだのはいまから20年くらい前のことで、散歩の途中で立ち寄った江東区の深川図書館で読んだ。全巻が揃っているわけではなかったので、一部しか読めなかったけれど、ものすごく面白かった。改めて全巻を読んだのはつい2年ほど前のことで、たまたま立ち寄った千葉市内の図書館で借りて読んだ。

そんな経緯があり、この前立ち寄った古本屋で「まんが道」が全巻揃っているのを見た瞬間、思わず買ってしまった。全14巻で3,500円の買い物だったが、新刊で買った場合に比べれば断然安い。それにしても、マンガ本を買うなんていったい何年ぶりだろうか。早速読んでみたのだが、3回目にもかかわらず、やっぱり激しく面白い。

何がそれほど面白いのかと言えば、不器用な青年たちのマンガにかける純粋さにたまらない魅力を感じる、ということになるだろうか。子供の頃からずっとマンガを描き、ひたすら漫画家になる夢だけを追い続け、漫画家になって締切に追われるようになってからもマンガにかける熱い思いだけは変わらないというひたむきさにたまらなく惹かれるのだと思う。

実は自分も、子供の頃はマンガを描くのが好きだった。「カキーン」とか「ゴーッ」とか「ビシーッ」みたいな擬音だらけの野球漫画を描いたり、少年漫画誌をまねて、表紙や目次の付いた肉筆の漫画雑誌を作ったりしていた。藤子不二雄も同じように肉筆の漫画雑誌を作っていたというエピソードが「まんが道」に出てくるが、マンガ好きはだれでも同じようなことを考えるんだなと思って笑ってしまった。

ただ、自分の場合は漫画家になれるだけの才能はなかったから、中学生になる頃にはマンガ熱もすっかり冷めてしまい、マンガを描くこともなくなった。そもそも、それほど絵が上手いというわけでもなかった。しかし、漫画家になりたいという夢を持っていた時期は確実に存在した。だから、「まんが道」にこれほど強く惹かれるのだろう。

漫画家の次に憧れたのは、小説家だった。頭に浮かんだストーリーをノートに書いてみるのだが、思い付きで書いているだけなのですぐに行き詰ってしまい、まともなストーリーを書き上げたことは一度もなかった。クリエイティブな職業に憧れながら、実際にはまったく才能がなく、才能を補う努力すらしない怠け者だったわけだ。

しかし、漫画家や小説家というクリエイティブな職業に憧れるという傾向だけはいまだに変わらない。うまく説明できないけれど、自分の頭の中で考えたことをマンガや小説という形で表現するという行為にものすごく惹かれるのだ。机に向って一心不乱に仕事をするというスタイルも、他人とのわずらわしい付き合いがなくて済むという点で魅力的だ。

翻訳という仕事は、漫画家や小説家のようにクリエイティブな仕事ではないけれど、一人で黙々と仕事ができるという点では共通している。特にこれといった才能もなく、他人とのコミュニケーションも苦手な自分にとっては向いている仕事だと思う。そういう意味では、子供の頃に思い描いた夢はかなわなかったけれど、まずまず自分に向いた仕事に就くことができて幸せなのかもしれない。

「まんが道」をきっかけに、漫画家のことについて少し調べてみたのだが、ごく一部の売れっ子を除き、ほとんどの漫画家はけっこう大変な生活をしているようだ。週刊誌などに連載を持てば安泰かと思えばそんなこともなくて、単行本が売れなければ儲からない仕組みになっているらしい。毎週の原稿料はアシスタント代などで消えてしまうから、単行本が売れなければ「連載貧乏」と呼ばれる状態になってしまう。

一見すると華やかそうに見える漫画界だけれど、実情はかなり厳しいようだ。それでも漫画家を目指す若者は大勢いる。きっと、「まんが道」に出てくる漫画家たちのように、マンガに対して熱い思いを持っているのだろう。漫画界の未来は決して明るくはないのかもしれないが、同じように暗い未来が待っているであろう翻訳業界でまったりと仕事をしている自分からもエールを送りたい。がんがれ。



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