14/05/11

洗濯の思い出(続き)

中国とベトナムが南シナ海でにらみ合っているらしい。中国の主張によると、南シナ海ほぼ全域が中国の領海になるようだ。いやいや、それはあまりにも強引だろうと思うが、中国としては「南シナ海 = Sounth China Sea だから中国のものだよね」くらいのことは平気で考えていそうだ。日本だったら、「日本海は日本のものだよね」なんて絶対に言わない。

中国がここまで強引に領海を広げようとするのは、どうしても海洋資源を確保したいからだ。海洋資源が欲しいのはどこの国にしても同じだけれど、莫大な人口を抱える中国にしてみれば、事態は他の国よりも深刻なのだろう。しかし、この調子で強引に海洋進出を続けていけば、いつかは戦争になる。そうした事態を避けるためにも、共産党の一党独裁体制が早く崩壊しないかなと願っているのだけれど。

そんなことはともかく、今回も前回に引き続き、洗濯の思い出について書いてみよう。前回は中学のときの思い出までを書いたので、今回は高校のときの思い出から書いてみたい。高校生のときは3年間を下宿で過ごしたので、ここでもやっぱり自分の好きなように洗濯するというわけにはいかず、下宿先の洗濯機を借りて洗濯していた。

自分が3年間を過ごした下宿には常時5〜6人の下宿生がいたが、下宿には洗濯機が1台しかなかったから、中学の寮と同じく、みんなで1台の洗濯機を使っていた。曜日や時間で使う順序を割り当てるなんていうシステムはなくて、基本的には早い者勝ちで洗濯機を使っていた。だから、洗濯しようと洗面所に行くと、すでにだれかが洗濯機を使っていて、そのまま部屋に引き返すなんていうこともよくあった。

週末は、土曜の授業が終わると下宿に帰って荷物をまとめ、バスに乗って実家に帰り、日曜日の夕方のバスでまた下宿に戻ってくるのがいつものパターンだった。試験が近いときなどは、週末も実家には帰らず、そのまま下宿に残って試験勉強をすることもあったが、だいたいは週末になると実家に帰っていた。

だから、ついつい洗濯をしそびれると、一週間分の洗濯物を抱えて実家に帰ることもたまにはあったような気がする。なにしろ、洗濯機を使うのは夕食を食べてから寝るまでの時間帯になるわけだが、あまり夜遅くに洗濯機を使うわけにもいかないから、実際に洗濯機を使える時間帯というのは思ったよりも短い。その短い時間帯にみんなが洗濯機に殺到するわけだ。

だれかの洗濯物がすでに洗濯機に入っている場合は、適当に時間をおいてまた戻ってくるのだが、そのわずかなスキにまただれかの洗濯物が入っていたりすることもあって、そうなるとその日はもう洗濯しようという気にならなくなる。そもそも、洗濯というのは朝にするものであって、夜に洗濯するというのはなんだか後ろめたいような気がするものだ。

洗った後の洗濯物は、下宿の2階にある物干し部屋に干していた。そこは洗濯物を干すための専用の部屋で、何本か張られた洗濯紐に洗濯物をかけて干していた。たいして陽当たりのいい部屋でもなくて、夏はともかく、冬は洗濯物があまりよく乾かなかった。それもそのはずで、窓がはめ殺しになっていて開かなかったから、換気ができず、洗濯物の湿気が充満していたのだろう。

当然ながら、その物干し部屋も共同で使っていたから、ほかの下宿生の洗濯物も干してあった。妙にセクシーなブリーフが干してあったりするのを見ると、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、自分の方がドギマギしたりした。なるほど、高校生ともなるとこんなセクシーな下着を穿いたりするわけね、なんてことを、同じ高校生でありながら考えたりした。

そんなときに、いきなりドアが開いて先輩の下宿生が物干し部屋に入ってきて、そのブリーフを取り込みはじめたことがあった。いやいや、ボクはあなたのブリーフなんて見てませんから、決してあなたのブリーフに見とれていたわけじゃありませんから、などと心の中で必死に言い訳をしていた。そのときは、なんだか気まずい空気が流れた。

その先輩は、パーマをかけて太いズボンを穿いた、見た目が少しだけやんちゃな男子だったので、なるほど、こういう人がああいうセクシーな下着を穿いたりするわけねと、妙に納得した覚えがある。坊主頭で銀縁メガネをかけた真面目そうな男子がセクシーなブリーフを穿いていたらショックだけれど、やんちゃな男子であれば、なぜか安心感がある。

というわけで、今回は高校時代の洗濯の思い出について書いてみた。今日は天気がいいので、こんなくだらない文章を書いているヒマはない。早く仕度をして出かけなければ。そんなわけで、大学時代の洗濯の思い出については、また次回。



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