14/02/09

オムニバスで行こう

ものすごい勢いで雪が降ってきたのでビクーリした。千葉市も、30センチくらいは積もっているような感じだ。これほど積もったのは20年ぶりということになるらしい。20年前の大雪のことは、いまだによく覚えている。当時はIT関係の会社でシステムエンジニアとして仕事をしていて、その日は自分が担当する顧客のシステム部門が引っ越しをするということで、その現場に出かけていた。

それなりに大規模な引っ越しだったので、自分のほかにもいろんな業者が来ていた。お昼を過ぎる頃から雪の勢いが強くなってきて、あちらこちらで帰り道を心配する声が聞こえてくる。そんな業者の一人と話をしてみると、この現場までノーマルタイヤできたらしい。それは大変ですねと言っておいたが、心の中ではなんて無謀なことをするんだろうとあきれていた。

雪国育ちの自分からすると、東京には雪道の怖さを理解していない人間が多いことに驚く。雪道の怖さを一度でも経験したことがある人ならば、雪道をノーマルタイヤで走るなんてことは怖くてできないだろう。こういう無謀というか無知な人がいるから、その他大勢のまともな人たちまでもが迷惑することになる。こういう人たちの場合、自分自身で雪道の怖さを体験するしか方法はないのだろう。

そんな大雪の中、47歳になった。だれも言ってくれないから、自分で言ってみることにしよう。誕生日おめでとう、おれ。ありがとう、おれ。

47歳ということは、四捨五入すると50歳になるわけだ。50歳をさらに四捨五入すると100歳になるわけで、これは生きていることが不思議なくらいの年齢だ。いや、無理に四捨五入する必要はないけれど、どう考えても人生の半分はとっくに終わっているのは間違いなさそうだ。ここまできたら、いっそのこと早く歳を取って早く死にたい。

いままでは、超能力や死後の世界といったオカルトっぽいことはすべて頭から否定していたけれど、最近になって、そういう世界があっても面白いのではないかと思い始めている。死んでしまったら、その瞬間に絶対的な「無」が訪れる、という常識的な考え方よりも、もしかしたら死後の世界が待っているかもしれないと考えた方が、多少なりとも人生が楽しくなりそうだ。

ということで、自分の誕生日を祝うかのごとく、冬季オリンピックが始まった。正直なところ、冬季オリンピックにはあまり興味がない。ウインタースポーツそのものに興味がないということもあるけれど、最近になってよくわからない競技がやたらと増えているので、さらに興味がなくなった。大会の規模を大きくしたいという意図だろうが、同じような競技ばかり増やすのはいかがなものか。

特に、スノーボードに乗ってやたらとクルクル回ってばかりいる競技はどうにかならないものだろうか。あれだけクルクル回れるのはたしかにすごいとは思うけれど、こういう競技に出場する選手がなんともバカっぽい若い衆ばかりなのが気になる。何と言うか、アスリートとしてまったく尊敬できないのだ。ああいうストリート系の若者がオリンピックに出場すること自体、ものすごく違和感がある。

自分みたいな考え方は古いのかもしれないけれど、やっぱりオリンピックという舞台には、技術だけでなく人間的にも一流のアスリートに出場してもらいたいと思ってしまう。ダブダブのウェアを着て、中途半端なロン毛で、バカっぽい薄ら笑いを浮かべてヘラヘラしているような若い衆の姿を見せられても、応援しようという気になれない。なんだかんだ言っても、見た目の印象というのは重要だ。

その「見た目の印象」を巧みに利用したのが佐村河内さまだ。ロン毛にヒゲ面で、常にサングラスをかけているその姿は、「現代のベートーベン」というキャッチコピーにぴったりだ。自分もたまたまNHKスペシャルで放送された佐村河内さまを見たことがあって、そのときは、なんてすごい人がいるんだろうと感心した。つまりは、自分もまんまと騙された一人ということだ。

耳が聞えないわりには流暢に話すことに少しだけ疑問を抱いたが、生まれつきの聴覚障害者ではないという説明を聞いて納得した。その番組では紙おむつを穿いて寝たきりになった姿も撮影されていて、いまから考えると、ものすごい自己演出だと思う。そこまでするかという演出だけれど、どういう姿を見せれば視聴者の同情を得られるかということを冷静に計算していたのだろう。さすがは佐村河内さまだ。

それにしても、佐村河内さまのことを絶賛した音楽評論家、佐村河内さまのコンサートで涙を流して感動していた観客、佐村河内さまと心温まる交流をしていた被災地の子供にとっては、今回の騒動はいい迷惑だろう。いや、「いい迷惑」というレベルの話ではなくて、当人にとっては赤っ恥をかかされたわけだから、激怒している人も多いだろう。

それでも中には、「音楽自体は素晴らしいから、だれが作曲したかというのは大きな問題ではない」などと、佐村河内さまの曲で感動した自分を自己弁護する人もいるかもしれないが、はっきり言ってそれは詭弁だ。佐村河内さまの曲がこれだけ支持されたのは、「まったく耳が聞こえない人が作った曲」という付加価値があったからこそで、健常者があの曲を作ったところで、話題にすらならないだろう。

いつの時代でも、人間というのは「ちょっといい話」が大好きで、不幸な境遇にありながら頑張っている人を応援したくなるようにできている。と言うか、そういうかわいそうな人に同情できない自分を認めたくなくて、そういう人を応援する自分に酔ってみたいだけなのだ。かわいそうな人を批判するのは悪いことだという思い込みがあるから、コロっと騙されてしまう。

そうして、「佐村河内さまって本当にすごい人なんだ」という思い込みができてしまうと、佐村河内さまのすべてを肯定する回路が頭の中にできてしまう。大した曲でもないのに感動して涙を流すのはそのためだ。耳が聞えないのに命を削りながら曲を作る佐村河内さまってすごい、そんな佐村河内さまの曲に感動できないはずがない、だから感動して泣かなくちゃ、みたいな思考回路になっているわけだ。

ということで、今週は気になる話題が多かったので、思い付いたことをつらつらとオムニバス形式で書いてみた。その中でも、やっぱり佐村河内さまのニュースが一番インパクトがあった。かわいそうだが、佐村河内さまはこの先ずっと白い目で見られながら生きていくことになるのだろう。なにしろ、やり方があまりにもあざとい。人は、こういう騙され方に最も腹を立てるものだ。



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