14/02/02

コタツの思い出(続き)

前回は、高校生の頃までのコタツの思い出について書いたので、今回はその続きを書いてみたい。大学受験を間近に控えた高校3年生の冬には、コタツと電気ポットのセットが必需品だった。電気ポットといっても、一般家庭で使っているような立派なものではなくて、ステンレス製のレトロなポットだ。おおよそのイメージとしてはこんな感じだ。

このポットでお湯を沸かして、コーヒーを飲んだりカップ麺を食べたりしていた。下宿といっても、普通の一般家庭の空き部屋を間借りしているだけだから、下宿人専用のキッチンがあるわけではない。お茶や夜食については、自分で用意しなければならない。中には、受験生のために夜食を用意してくれる良心的な下宿もあったけれど、それはレアケースだ。

夜中まで勉強をして腹が減ってくると、よく電気ポットでお湯を沸かしてカップ麺をすすっていたものだ。ただし、高校生にとってはカップ麺の値段もバカにならない。カップ麺よりも袋麺の方が安いことに目を付け、カップ麺の空き容器をどんぶり代わりにして、もっぱらチキンラーメンタイプの袋麺ばかり食べていた。だから、高校生の頃のコタツの思い出というのは、インスタントラーメンとセットになっている。

そんな感じで滑り止めの大学に合格し、それなりに夢を抱いて上京した。東京生活の最初の住処に選んだのは、大学の正門から歩いて3分という抜群の立地条件に建つ下宿屋だった。ただ、立地条件としては抜群だったが、部屋のグレードとしては抜群とは言い難かった。まあ、6畳一間で家賃が25,000円だったから、多くを望んだらバチが当たる。

実家から送ったのは布団袋ひとつきりで、東京での生活は布団一組とわずかな衣類だけで始まった。日当たりだけは抜群のこの部屋にはカーテンがなかったから、夏になると西日が容赦なく差し込んできて暑かった。飲みかけのパック入りの牛乳を窓際にうっかり放置しておこうものなら、翌日には立派なヨーグルトに変身するくらい日当たり良好な部屋だった。

それでは冬は暖かいのかといえば、そんなことはない。古い木造建築の家だから、よく晴れた昼間はともかく、朝や夜はかなり冷え込む。カーテンも買えないくらいだから、当然コタツなど買えるわけもなく、冬の間の唯一の暖房器具は薄っぺらい布団だけだった。部屋に帰ると、すぐに布団に潜り込んでいたような気がする。

少ないながらも仕送りをもらい、育英会の奨学金を受け、バイトもそれなりにしていたから、コタツくらい買えないはずはないのだけれど、なぜかいつもピーピーしていた。きっと、くだらない飲み会やら似合わないデザイナーズブランドの服やらに貴重なお金を使っていたのだろう。ムダに高価な服を着て得意になっていながら、部屋に帰ると布団にくるまって寒さに震えていたわけだから、なんともバカだと思う。

この下宿の大家さん(正確には下宿の大家さんの奥さん。推定70歳くらいのおばあさん)とたびたび衝突していたので、この下宿は一年で引き払い、大学2年になったときに中野に引っ越した。日当たりの悪い四畳半の部屋だったが、口うるさい大家がいないだけで自分にとっては十分だった。大学にもそこそこ近いから、立地条件としても不満はない。

この部屋にも冷暖房器具なんて当然ないから、自分でなんとかしなければならない。エアコンを買う余裕などあるわけもなく、夏の暑さにはひたすら耐え忍び、冬の寒さはコタツで乗り切った。そう、この部屋ではコタツを使っていたのだ。自分で買ったのか、友人から譲り受けたのか、そのあたりははっきりしないけれど、たしかにコタツはあった。

大学生の自分にとってのコタツというのは、暖房器具としての用途のほかに、もうひとつの用途があった。それは、コタツの天板をひっくり返して麻雀卓として使うという用途だ。いまのコタツはどうなのか知らないが、当時のコタツの天板というのは、ひっくり返すと緑色のフェルト地になっていて、麻雀卓として使うことができた。この天板を考え出した人は本当に偉いと思う。

自分の部屋に友人を呼んで麻雀をしたこともあったけれど、週末になると郊外に住んでいる友人のところに集まって麻雀を打つのが常だった。そのときに麻雀卓として使うのは、もちろんコタツだ。夏の間も、コタツを押し入れから引っ張り出してきて麻雀を打っていた。土曜日の夕方くらいから打ち始めて日曜日の昼過ぎまで打つというのが、いつものパターンだった。要は徹マンだ。

大学生のときにもっとまじめに勉強していれば、いまごろはもっと違った人生があったかもしれないと思うが、いまとなっては後の祭りだ。それはともかく、大学3年になったときにもう一度引っ越したのだが、ここでもやっぱり夏は暑さを耐え忍び、冬はコタツで乗り切るというパターンは変わらなかった。ただ、ようやく風呂付きの部屋に住めたというのが嬉しかった。

風呂と言っても、当時流行していたおしゃれなユニットバスではなく、後から無理矢理取って付けたような強引な風呂だった。部屋に遊びに来た友人は、例外なく風呂のドアを物置か何かのドアだと勘違いしていた。ただ、狭苦しくて使いにくいユニットバスに比べれば、見た目はブサイクだったが、広くて使いやすい風呂だった。

社会人になると、会社が新しく建てた独身寮に入ることになった。その部屋にはエアコンが完備されていたから、コタツを使うことはなかった。寮の1階のホールには、座卓の麻雀卓が用意され、週末になるたびによく徹マンを打っていた。やがて、自分に劣らず麻雀好きの後輩が中古の全自動卓を購入し、寮の麻雀環境が一気に豪華になった。

ということで、自分とコタツの付き合いは、大学生までということになる。いまのように便利なものがあふれている世の中になると、わざわざコタツを買ってノスタルジックな雰囲気に浸ろうという気にはなれない。ただ、貧乏な一人暮らしの男子などにとっては、コタツの需要はまだあるのかもしれない。そう考えると、コタツを卒業したときが、貧乏生活から脱出したときだと言えるのかもしれない。



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