14/01/19

大学受験の思い出

今場所のキセノンも、やっぱりいつものキセノンだった。今場所のキセノンは絶対にやってくれると期待しながら初日の取組を観戦していたのだが、トヨノンにあっさりと転ばされてしまった相撲を見て、心底ガカーリした。いったい何度目かわからないくらい、いつもこのパターンで落胆させられる。だったら最初から期待させるなと言いたいくらいだ。

とかなんとか言いながら、これからもキセノンを応援していくことになるのだろうが、これからは応援の軸足を徐々に遠藤にシフトしていこうと思っている。彼はキセノンとは違い、ハートも強そうだし頭もよさそうだ。なにより、イケメンなのがいい。キセノンも、関取としてはいい面構えをしていると思うが、遠藤は万人受けするルックスを持っている。やっぱり、人気力士になるには華が必要だ。

さて、今週末は日本全国で空前の大学受験ブームになっているらしい。この時期は、インフルエンザが流行したり、雪のせいで交通機関が乱れたりと、受験生にとっては何かと大変なことばかり起きるけれど、将来がある程度決まってしまう大事な試験なので頑張ってもらいたい。適当な感じで試験に臨むと、自分のようなダメな大人になってしまうからね。

自分が高校生の頃は、いまのセンター試験は共通一次試験という名前だった。試験は5教科7科目で、英数国がそれぞれ200点満点、理科と社会が2科目ずつでそれぞれ100点満点という構成だった。この覚書でも何度か書いているけれど、この共通一次試験の数学で200点満点中の16点という前代未聞の低スコアを叩き出してしまったのは、何を隠そう自分である。

言うまでもなく、この試験はすべてマークシート方式になっていて、4つの選択肢から正解を選んでマークシートに記入するという方式だ。しかし、数学の場合は、3桁の解答欄に数字を書き込んでいくという方式だった。たとえば、56という数字をマークシートに記入する場合は、最初の桁に「*」を記入し、その次の桁に「5」、最後の桁に「6」を記入することになる。

つまり、英語や国語だったら、まったく正解がわからなくても、適当に勘でマークすれば50点くらいは得点できる計算になるが、数学の場合は、3桁の数字を適当に組み合わせて正解する確率は999分の1だから、まず間違いなく0点になる。これでは、マークシート方式と言いながら、実際には記述式とあまり変わらない。よく考えると、これはかなり不公平なシステムではないだろうか。

なにしろ、英語がまったくできない人間と数学がまったくできない人間を比較した場合、前者の方が後者よりも50点ほどアドバンテージがあることになるわけだ。実際に、自分の兄貴は英語が大の苦手で、共通一次試験ではまったくといっていいほどわからなかったらしいが、それでも60点台のスコアを取った。結果的に東北大学に合格したが、この一次試験が記述式だったら、おそらく合格していなかっただろう。

それにしても、16点というスコアはさすがに予想していなかった。いくら数学が苦手とはいえ、何度か受けた模擬試験では常に100点前後のスコアは取っていたから、本番の試験で120点くらいのスコアが取れれば、トータルとしてさほど大けがはしないだろうと考えていたのだ。しかし、本番ではまったく正解がわからなくて、絶望的な気持ちでマークしていたことを覚えている。

この数学のほかにも、理科Tと現代社会で平均点以下のスコアを叩き出すという失敗をしてしまった。この2科目は、その年に新しく導入された科目だったと思う。自分の場合、過去問を解いてその解法パターンをひたすら暗記していくというスタイルだから、こういう「初物」にはめっぽう弱い。そんなこんなで、トータルのスコアは1000点満点の660点くらいだったと思う。

とりあえず、第一志望が東北大学、第二志望が筑波大学、第三志望が千葉大学と考えていたのだが、このスコアでは第三志望すら無理そうなので、地元の新潟大学を受験することにした。実際には、新潟大学の合格ボーダーラインにすら達していないのだけれど、100パーセント合格する自信があった。なにしろ、二次試験の受験科目が現国、英語、小論文という自分の得意科目ばかりだったからだ。

高校3年の秋に新潟大学が主催する模擬試験があり、その時点では新潟大学なんてまったく受験するつもりはなかったけれど、力試しのつもりで受けてみた。本番と同じように、5教科7科目の一次試験と、実際に受験する学部の二次試験という内容だった。結果は当然のようにA判定だった。この時期に新潟大学ごときでB判定やC判定なんて出していたら話にならない。

この試験では、こうした総合的な結果だけでなく、教科ごとの成績優秀者も一覧にまとめられていた。自分も、一次試験と二次試験の英語でこの成績優秀者に名を連ねていた。上位のほとんどは医学部の受験生が占めていたけれど、文系学部の中では、一次試験も二次試験も自分が英語のトップだったと記憶している。

そんなこともあって、二次試験まではほとんど勉強らしい勉強はしなかった。二次試験の前日に39度の高熱が出てちょっと焦ったけれど、多少の熱くらいなら問題ないと思っていた。周囲の受験生は、試験の合間の時間になると熱心に参考書を広げていたけれど、自分は「小島武夫の絶対に負けない麻雀」みたいな本を読んでいた。要は、ナメきっていたわけだ。

予想通り、新潟大学には何の問題もなく合格したが、自分としては浪人してもっとレベルの高い大学に挑戦したかった。しかし、経済的な事情で予備校には通わせられないと親に言われたため、すべり止めとして受験していた早稲田に入学することにした。そんな感じだから、大学受験に関してはまったく納得していない。

このときの経験がよほどトラウマになっているらしく、大学を中退して受験勉強を再開するという夢をいまだに見ることがある。もっと納得できる受験ができていれば、もっと違った人生になっていたかもしれないと、心のどこかで思っているからこんな夢を見るのだろう。しかし、人間的に問題があるから、どの大学に入ったところで、結局は同じ人生になっていたような気がする。



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