13/10/20

才能について考えてみる


この前、通勤電車の中で渡辺明永世竜王を見かけた。友人と二人で電車に乗り込んできたのだが、ものすごく普通な感じだったので、電車内のだれにも気付かれることなく、普通に友人と会話をしていた。「渡辺竜王ですよね、今度は名人位を獲得してください」などと声をかけようかとも思ったが、あまりにも車内の雰囲気に溶け込んでいるので、なんだか悪いような気がしてやめておいた。

渡辺明といわれてもだれのことだかわかならない人が多いだろうから、ここで簡単に説明しておこう。渡辺明というのはプロ棋士で、将棋界ではあの羽生善治よりも強いのではないかというくらいの実力者だ。実際のところ、今日現在での羽生との対戦成績は26勝26敗でイーブンになっている。40戦以上して羽生に勝ち越している棋士はいないらしいから、その可能性があるのはいまのところ渡辺明だけということになるだろう。

将棋界にはメジャーなタイトルが7つあるが、その中でも竜王と名人が二大タイトルとして別格の存在になっている。そのうちの1つである竜王のタイトルを現在まで9期連続で獲得しているのが、渡辺明だ。竜王の場合、通算で7期、連続で5期獲得すれば、永世竜王の称号を名乗ることができる。渡辺明は、見事にこの条件をクリアして、初代永世竜王になったわけだ。羽生の場合、通算6期でまだ永世竜王の称号は得ていない。

もう1つのメジャータイトルである名人位でも、渡辺明は名人位への挑戦権の獲得に向けて、現在A級リーグで熱い戦いを繰り広げている。竜王と並び称されている名人位ではあるけれど、歴史や格式という面では、圧倒的に名人位の方が重い。名人になるためには、C級2組から始めて、C級1組、B級2組、B級1組、A級へと昇級しなければならない。

それぞれのリーグ戦を勝ち上がるだけでも大変なことで、C級2組から一度も昇級できない棋士だって少なくない。だから、10人しかいないA級に昇級するというのは大変なことなのだ。一度でもA級リーグで戦ったことがある棋士は、それだけでものすごく名誉なことで、生涯トップ棋士として認めてもらえる。しかし、名人に挑戦するためには、そのA級リーグで優勝しなければならない。

簡単に説明しようと思ったのだが、なんだかくどい説明になってしまった。とにかく、渡辺明という人は、将棋界ではものすごく強くて有名な存在なのだということが言いたかったのだ。しかし、そんな有名人にもかかわらず、電車内ではだれも気付く人がいなくて(もしかしたらいたのかもしれないが)、将棋というのはマイナーな存在なんだなと改めて思った。

そんな自分も、百数十人いるプロ棋士の中で、顔と名前が一致するのはほんの一握りのトップ棋士だけだ。そもそも、自分には将棋のセンスがまったくなくて、駒の動かし方がかろうじてわかるくらいのレベルだ。子供の頃に何回か将棋を指したことがあるけれど、駒落ちでお情けで勝たせてもらった以外は、実力で将棋に勝ったことは一度もない。

そんな自分にとって、プロ棋士というのはものすごい存在に思える。頭の中で何手も先を読んだり、いくつものパターンを想定したり、とても人間業とは思えない。しかし、それと同時に、こういう才能が何の役に立つのだろうということも考えてしまうのだ。いや、「何の役に立つのだろう」というのは失礼な言い方なので、「その才能をほかに活かせないものだろうか」くらいにしておこう。

いくらすごい才能であっても、結局は将棋盤の上だけで発揮される才能であって、実際に世の中の役に立っているのだろうかと考えた場合、うーん、それはどうなんだろうねえ、みたいな感じになってしまう。将棋がこの世からなくなっても、困る人はそれほどいないと思う。だって、将棋界の有名人が電車に乗ってきても、だれも気付かないくらいだから。

これは将棋に限ったことではなくて、プロのスポーツ選手にしても同じことだ。プロ野球の選手やプロゴルファーたちは、たしかに一般人には及びもつかないすごい才能を持っているけれど、それが世の中の役に立っているかと考えた場合、やっぱり、「うーん、それはどうなんだろうねえ」みたいな感じになってしまう。

たしかに、そうしたスポーツのファンにとっては、熱中できる大事な存在だろうし、そうしたファンのおかげでマーケットとして成り立っているわけだから、経済的な価値だってあるだろう。しかし、プロ野球がこの世からなくなっても、それで食っている人以外は、困る人はそれほどいないと思う。プロ野球がなくなったら、明日からの生活に物理的な支障が出るというケースはほとんどないだろう。

しかし、駅のトイレを掃除する人や、街のゴミを収集する人がこの世からいなくなったら、一部のホームレスを除き、ほとんどの人が困るだろう。別に、ゴミを収集する人がプロのスポーツ選手よりも偉いということを言いたいわけではなくて、社会における実用度として考えた場合、プロスポーツみたいな分野はそれほど必要ないよね、ということだ。

この世の中は、理系の人間が頭脳となっていろんなものを作り出し、文系の人間がそれを運用していくという形で成り立っていると思う。これも、理系の人間の方が偉いという話ではなくて、そういう形になっているというだけのことだ。そうした形に当てはまらない突出した才能の持ち主の受け皿として、将棋やらプロ野球やらという分野が存在するわけだ。

いつもの悪いクセで、何が言いたいのかよくわからない文章になってしまったが、この世の中を動かしているのは、特異な才能を持つごく一握りの人間ではなくて、何の取り柄もないその他大勢の人間だということだ。将棋で竜王や名人のタイトルを獲ったり、プロ野球でホームラン王を獲得するのはすごいことだとは思うけれど、それだけではお腹は膨らまないよね、ということだ。



今週の覚書一覧へ

TOP