13/09/01

最後の晩餐


人生の最後に何を食べたいかと問われたら何と答えるだろうかと、ふと考えた。人生の最後に食べたいものというのは、普通に考えれば、一番好きな食べ物ということになるが、これが最後の食事になるとわかっていながら食べるわけだから、いくら大好物であっても、まともに喉を通らないような気がする。

なので、ここでは2つのパターンに分けて考えてみたい。1つは、あれこれ難しい条件はすべて取っ払って、純粋に自分が一番食べたいものを答えるパターンと、もう 1 つは、死刑囚として人生の最後に食べたいものを答えるパターンだ。こんなことを考えて何の役に立つのだろうと思わないこともないが、実際にそのときが来たら何かの役に立つかもしれない。

まずは、最初のパターンについて考えてみたい。食べ歩きが好きなグルメなら、どこそこのお店のなんとかというメニュー、みたいな感じで、美味しい料理を出す有名店の看板メニューがいくつも思い浮かぶのだろうが、あいにく自分はそんなグルメな人間ではないから、いろいろと考えてみても一向に浮かばない。

そもそも、子供の頃から濃い味付けの料理を食べてきたから、いまではすっかり舌がバカになっていて、微妙な味の違いなどほとんどわからない味覚オンチな部分がある。というか、なんだか味が薄いなあと思うと、迷わずに醤油をドボドボとかけてしまうような人間だから、典型的な味覚オンチだと自覚している。

だから、最後の晩餐として高級な料理を選ぶというのは、どうにも自分らしくない。だからと言って、いつも食べている立ち食いソバや牛丼が最後の晩餐というのも悲しすぎる。あれこれ考えた結果、自分が大好きなラーメンならどうだろうと思い付いた。大好きと言っても、あれこれと有名店を食べ歩くほどのレベルではないけれど、一番好きな食べ物であることは間違いない。

それでは、どこのラーメンを食べるかということになるが、これは迷わず日本橋のますたにということになる。この店にはもう10年以上も通っていて、いまだに飽きずに食べ続けている。京都の銀閣寺の近くに同じ名前のラーメン屋があって、そこののれん分けという形になるらしい。つまりは、京都のラーメンということだ。

京都のラーメンということで、いろいろと特徴のあるラーメンだが、ビジュアル的には、ラーメンの上に乗った九条ネギがいかにも京都らしい雰囲気を出している。また、上層は背油の甘みが感じられ、中層はさっぱりとした醤油味、下層は唐辛子の辛みを効かせた三層構造のスープも美味い。ストレートの細麺によく合っている。

最後の晩餐がラーメンというのでは、立ち食いソバや牛丼と大して変わらないような気がするが、いかにも自分らしいとは思う。人生の最後に、食べなれない高級料理を気取って食べてもしょうがない。一杯750円のラーメンが、自分のような貧乏くさい人間にとってはお似合いの最後の晩餐ということになるのかもしれない。

それでは、もし自分が死刑囚だったとしたら、最後の晩餐として何を食べるだろうか。日本にはそういう制度はないけれど、アメリカでは死刑囚が希望するメニューを死刑執行前日の夕食として提供する制度があるらしい。いくら凶悪な死刑囚とはいえ、やっぱり人間だから、せっかくのご馳走も喉を通らないことが多いらしいが、中にはペロリと平らげる死刑囚もいるそうだ。

精神的に非常に弱い自分は、間違いなく喉を通らないタイプの人間だと思う。明日処刑されることがわかっていながら、最後に何を食べたいかと訊かれても、冷静に答えられるわけがない。きっと、いつもの食事でいいです、と答えるだろう。特別な食事だと、かえって処刑のことを意識してしまって、余計に喉を通らなくなりそうだ。

そんなことを言っていたら話が進まないので、何か適当なものがないかと考えてみると、卵かけご飯が候補として浮かんできた。これなら、なんとか喉を通るのではないだろうか。喉を通りやすいものということであれば、お茶漬けという選択肢もあるけれど、なんだか飲んだ後のシメみたいな感じで、人生最後の食事としてはどうかと思ってしまう。

まあ、卵かけご飯にしても同じようなものだが、最後の晩餐としては意外に「あり」じゃないかという気がする。なにしろ、最もシンプルな料理でありながら、最も人気のある料理でもある。いろいろな美味しい料理を食べた人間が最後に行きつくのは、意外にも卵かけご飯のようなシンプルなものなのではないかと思う。

ということで、自分にとっての最後の晩餐は、ラーメンと卵かけご飯という結論に達した。なんだかものすごく貧乏くさい感じで恥ずかしいけれど、実際には、こういう感じの結論に達する人は少なくないような気がする。結局のところ、ラーメンとかカレーとか寿司とか、そういうわかりやすい料理に行きつくのだと思う。



今週の覚書一覧へ

TOP