13/06/09

弾丸登山の思い出

先月の終わりに、観測史上3番目の早さで関東地方が梅雨入りしたと思ったら、雨が降ったのは梅雨入り直後の2日くらいで、その後はずっといい天気が続いている。これはどうやら、梅雨入り宣言を早まってしまったようだ。おそらく、気象庁は、なんらかのタイミングで梅雨入りの時期を訂正することになりそうだ。気象庁ですら梅雨入りの時期を見誤るほどだから、やっぱり最近の気候は予測しづらいのだろう。

さて、世界遺産登録が決まって、富士山が盛り上がっているらしい。それに伴い、山梨県や静岡県では、「弾丸登山」なるものを自粛するように登山客に呼びかけている。弾丸登山とはどういうものかと思ってニュースを見ていると、ご来光に合わせて夜間に5合目から登り始め、そのままノンストップで頂上を目指すスタイルの登山のことを指すらしい。

ニュースを見ながら、これって、自分が富士山に登ったときのスタイルとまったく同じジャマイカ、と思って、なんだか笑ってしまった。あれは、自分が28歳のときだったと思う。父親が突然富士山に登りたいと言い出して、自分を含めて家族5人で富士山に登ることになった。当時は津田沼のボロアパートに住んでいて、家族5人がこの6畳一間の狭い部屋に泊まることになった。

その頃は、フリーランスのシステムエンジニアとして仕事を始めたばかりで、目前に迫ったシステムの納期に追われて、かなり忙しい日々を送っていた。登山の前後に休みが取れれば理想的だけれど、カットオーバーが近づいている開発案件を抱えているわけだから、悠長に仕事を休むわけにはいかない。一応自分がリーダーだったから、なおさら休むわけにはいかない。

いろいろと日程を検討した結果、土日の二日間を最大限に利用して登山を決行するしかないと判断した。いくら考えたところで、夏の間に休みを取ることは難しそうだから、土日に行くしかない。仕事がヒマになってからなんて悠長なことを言っていたら、登山のシーズンが終わってしまう。多少の無理は承知で登るしかない。

となると、山小屋に一泊してゆっくりとご来光を拝むというスケジュールは難しい。ご来光の時間に合わせて頂上に着くように、夜のうちに登り始めるしかない。金曜日の夜はボロアパートに家族5人が寝て、翌朝富士山に向けて出発し、夜のうちに登り始め、土曜日の早朝に頂上に着き、ご来光を拝んだらそのまま下山して帰宅し、翌日は出勤する。こうして、弾丸登山のスケジュールが決定した。

ということで、登山前日の金曜日は残業せずに早めに仕事を切り上げて、東京駅まで家族を迎えに行った。田舎者丸出しな感じの4人(両親、兄貴、妹)を総武線に乗せて、そのまま津田沼駅まで向かう。母親がまた笑ってしまうくらいの田舎者で、電車の窓から見える景色ですら珍しいらしく、いろんなものを指さしては「あれは何?」と訊いてくるので、苦笑しながら答えていた記憶がある。

その日の夜は、自分が簡単な食事を作ったと思う。そこは気心の知れた家族だから、自分が作った粗末な食事にも文句を言わずに食べてくれたが、困ったのは食器だ。普段は一人暮らしだから、必要最低限の食器しか持っていない。この日のためにだけ食器を買うというのもバカバカしいので、少ない食器をなんとかやりくりして食事を出した。

さらに、布団のやりくりにも困った。5人分の布団なんて当然持っていないから、どうしたものかと頭を悩ませた。幸い、そのときは夏だったから、いっぱい布団をかけて暖かくする必要はない。とりあえず、妹と母親にはそれなりの寝床を作ってあげて、父親には寝袋で寝てもらうことにした。以前にキャンプに行ったときに買った寝袋だが、思わぬところで役に立った。

兄貴はどういうスタイルで寝たのかよく覚えていないが、おそらく自分と同じように、毛布だけをかけて、畳に直に寝ていたのではないかと思う。そんなこんなで、相当に貧乏くさい感じで目を閉じたのだが、どうにも眠れない。自分は、典型的な「枕が変わると眠れない」というタイプの人間で、ちょっと環境が変化するだけですぐに眠れなくなってしまう。

このときも、枕が変わったわけではないけれど、狭い部屋に5人が雑魚寝するという環境の変化にとまどったのだと思う。早く寝なければと思うほど眼が冴えてきて、ますます眠れなくなる。結局、一睡もできないまま朝を迎えてしまった。こういう神経の細さはいまも昔も変わらない。本当に自分でもイヤになってしまう。

しかし、ほかの皆はちゃんと眠れたようで、それを聞いて安心した。なにしろ、今日は徹夜で富士山に登るわけだから、しっかりと寝ておかないことには身体がもたない。いやいや、すでに体がもちそうにない人間がここにいるんですけど、と心の中で自分自身にツッコミを入れながら、簡単な朝食を済ませて仕度に取りかかる。

その日は朝からよく晴れて、暑い一日になりそうだった。ナビゲーター役の兄貴を助手席に乗せて、両親と妹を後部座席に乗せてボロアパートを出発した。しかし、このクルマというのが、カローラのレビンというスポーツタイプのクルマで、規格としては4人乗りなのだ。だから、後部座席が圧倒的に狭い。きっと、後ろに乗った3人はさぞかし窮屈だったことだろう。

ということで、何もかも貧乏くさい感じで富士山へと向けて出発した。なんだか長くなりそうなので、この続きはまた次回。



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