13/02/17

天ぷらについて熱く語ってみる

昨日はあまりの寒さと強風で、耳がもげるかと思った。朝起きてみると、天気自体はいいのだが、窓の外で風がヒューヒューと吹いているのが聞こえてきて、今日出かけるのは大変だなと思った。ためしにベランダに出てみると、予想通りに風が強くてものすごく寒い。しかし、今日は何があっても出かけなくてはならない。なぜならば、銀座の天ぷらの名店「近藤」を予約しているからだ。

この店には年に1度くらいの頻度で来ていて、今回で7〜8回目くらいの訪問ということになる。本当はもっと足繁く通って「今日はいいネタ入ってる?」みたいな常連さんになりたいのだけれど、我が家の財政事情がそれを許さないのが悲しい。この店を訪れたのは、相方に「銀座に美味しい天ぷら屋さんがあるから行ってみようよ」と誘われたのがきっかけだった。

相方は、ものすごく小食な割には、和洋問わずいろんな美味しいものを食べるのが大好きで、自分と結婚する前は、あちこちのレストランを食べ歩いていたらしい。テレビのグルメ番組で有名なお店が紹介されたりすると、たいていのお店を知っているので驚く。それも、都内だけでなく、京都のお店にも詳しいのだから困る。

しかし、そんな相方も、自分と結婚してからというもの、食べ歩きの機会はほとんどなくなってしまった。なぜなら、自分が貧乏サラリーマンだからだ。申し訳ないと思いつつ、自分の給料が少ないのは世の中の仕組みが悪いからだと責任転嫁して、なんとか毎日をやり過ごしている自分って、やっぱりダメな人間ですか。

そんなことはともかく、ものすごい強風の中を耳がもげそうな思いをしながらお店にたどり着き、コース料理とビールを注文した。店内は、コの字型のカウンター席が調理場をぐるりと取り囲む造りになっているため、料理人が天ぷらを調理する手元がばっちり見えて、料理の味だけでなく、そうした面でも楽しむことができる。

カウンター席からは、今日の料理に使うネタが見えるのだが、シイタケ、アスパラガス、サツマイモなど、どのネタも一級品の素材だということが素人目にもすぐにわかる。料理人がアスパラガスを取り出して調理を始めると、次はあの立派なアスパラガスを食べられるのかと、一気に期待が膨らむ。こうしたことも、オープンキッチンならではの楽しみだ。

このお店は野菜の天ぷらが美味しいことで有名だが、自分としては魚の天ぷらが素晴らしいと思う。中でも、キスの天ぷらは絶品だ。薄い衣をまとったキスの天ぷらを一口ほおばると、サクサクふわふわした食感とともに、なんとも言えない上品な味が口いっぱいに広がる。ボキャブラリーが貧困でうまく表現できないが、とにかく美味い。

休日の昼間からビールを飲みながらぜいたくな食事をすると、なんとも言えない幸せな気分になってくる。自分はこの幸せな気分を、「幸せメーターが上がってきた」という言葉で表現するのだが、クルマのアクセルを踏み込むとスピードメーターがぐんぐんと上がっていくように、美味しいものを食べて美味しいビールを飲むと、自分の幸せメーターもぐんぐんと上がっていくのだ。

天ぷらを食べる場合の調味料としては、天つゆと塩という2つの選択肢があるが、自分は断然塩で食べるほうが好きだ。というか、天つゆで食べる意味がわからない。せっかく熱々に揚がっている天ぷらを冷たい天つゆに浸したら、天ぷらが台無しになる。サクサクの衣だって、天つゆにつけたらビチャビチヤになってしまうから、これも台無しだ。

天ぷらには、レモンを少しだけ絞りかけて、適量の塩をつけて食べるのが一番美味い。この食べ方ならば、熱々の天ぷらを熱々のまま食べられるし、サクサクふわふわの衣も、その食感を損なうことなく楽しむことができる。そんなわけで、自分は天ぷらを食べるときには、天つゆはめったに使わない。たまに使うこともあるけれど、そのたびに「やっぱり塩にしておけばよかった」と後悔する。

この天つゆ嫌いは、いまから思えば、子供の頃に天つゆをつけて食べるという習慣がなかったからだと思う。実家での天ぷらといえば、カボチャ、サツマイモ、人参、ふきのとう、ウドの葉など、野菜の天ぷらがほとんどだったが、家族のだれ一人として天つゆを使って食べるなんてことはしなかった。天つゆではなく、醤油をかけて食べていたのだ。

こういう環境で育ったから、天ぷらに醤油をかけて食べることに何の疑問も持っていなかったのだが、上京して天ぷらを食べたときに、東京の人間は天つゆで天ぷらを食べるということを知って、少なからず衝撃を受けた。はあ、さすがに都会の人は違うなあ、などと思いながら、自分も真似をして天つゆをつけて食べてみたのだが、天ぷらはぬるくなるし、味もぼやけるしで、少しも美味くない。

天つゆも、もう少し味を濃くするとか、もっと熱々にするなどの工夫があればいいのかもしれないが、いまのままではまったく存在価値がないと思う。本当に、なぜ天つゆなるものが市民権を得ているのか、その存在意義すらよくわからない。まあ、これは思い切り個人的な感想なので、天つゆが大好きな人はどうか気を悪くしないでください。

今回の食事で改めて感じたことは、この味を家庭で再現するのは無理だということだ。天ぷらというのは、絶妙なタイミングで揚がったものをすぐに食べてこそ美味いわけで、普通の家庭でこんなことができるわけがない。それに、そのお店の雰囲気や接客なども含めて、料理の味につながってくるのだと思う。値段の高い店には、やっぱりそれだけの価値があるということだ。



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