13/02/03

スポーツと体罰について考えてみる

突然だが、「きゃりーぱみゅぱみゅ」ってものすごく発音しにくいということに最近気付いた。自分は滑舌が悪くて、普段の会話でもよく噛むのだが、そんな自分にとって「きゃりーぱみゅぱみゅ」という発音はものすごく難しい。でも、もしかしたら何かの会話でこの言葉を発する機会がないとも限らないので、少しだけ練習してみた。

その結果、「きゃりー」の部分を比較的弱めに言っておいて、「ぱみゅぱみゅ」の「ぱ」の部分で思い切り強く発音すると、なんとか噛まずに言えるということに気付いた。ただ、「ぱ」というのは破裂音なので、思い切り強く発音すると、目の前の相手に対してツバが飛んでしまうという危険性がある。なので、この技を実際に使う勇気はまだない。

さて、そんな前フリとは一切関係なく、今回は最近なにかと話題になっているスポーツと体罰との関係について書いてみたい。バスケ部のキャプテンが体罰が原因で自殺したことが明るみになってからというもの、例によってマスコミが体罰について煽り立てるものだから、いきなり日本中が空前の体罰ブームみたいな感じになってきた。

最近の旬は、女子柔道の園田監督の件だろうか。またタイミングの悪いことに、金メダリストの内柴くんの裁判で有罪判決が下されたものだから、柔道界全体がバッシングを受けている状態になってしまった。ただ、ここで誤解してはいけないのは、園田監督の体罰と内柴くんのレイプとはまったく関係ないということだ。

なんだか、この二つをごっちゃにして、最近の柔道界はけしからん、みたいな論調になっているけれど、それとこれとはまったく話が違う。内柴くんの場合は、たまたま野獣のような性欲を持った男子が指導者になって事件を起こしたというだけであって、そのことで柔道界全体を非難するのは筋違いというものだ。この場合、非難されるべきは内柴くんだけで、柔道界の体質とかそういったことは一切関係ない。

それにしても、内柴くんのあまりの転落ぶりには、不謹慎ながら少しだけ同情してしまう。なにしろ、オリンピックで連覇した英雄が、いきなり犯罪者にまで落ちたわけだから。しかし、メディアで報道される公判の情報をチェックした限りでは、同情の余地はないな、とも思う。開き直って自己弁護に努めているだけで、反省の言葉なんて一切ないのだ。

裁判官もそのあたりを厳しく評価したようで、求刑どおりに懲役5年という判決が下された。こうした裁判では、求刑の7掛けから8掛けというのが量刑の相場になっていて、今回のように求刑が5年だった場合、実際の判決は3年6ケ月ないしは4年といったあたりが妥当な線になる。それが、今回の裁判では求刑に対して満額回答の判決だったわけだから、いかに裁判官に対する内柴くんの心証が悪かったかということだ。

さて、そんな内柴くんのことはさておき、スポーツと体罰との考察に入っていこう。スポーツと体罰というのは、よく似合うというか、けっこう相性のいい取り合わせで、厳しい練習中に鬼のような形相でバットや竹刀を振りかざす指導者の絵が浮かんでくる。これは、勝利を目的としたスポーツというのは厳しいものだという常識が出来上がっているからだろう。

部活動の場合、指導者による体罰だけでなく、先輩からのシゴキというのもかなりキツイ。特に格闘技の場合、直接組み合って練習するわけだから、お互いの体格差や実力差が大きい場合は、シゴキという名のイジメになることも少なくない。かくいう自分も、高校生のときに柔道部に入っていて、思い切り汗臭い青春時代を過ごした一人だ。

中学生のときは野球部だったけれど、大してうまくもないので、高校の野球部に入ったところで万年補欠になることは目に見えていたから、まったく違う運動部に入ろうと思っていた。球技の才能はなさそうだということは自分でもわかっていたので、そうした運動センスが必要なさそうな柔道部に入った。父親が高校生のときに柔道をやっていたからというのも、理由の一つだった。

それまで、柔道の経験なんてまったくなかったから、最初のうちは大変だった。体中が擦り傷だらけで、特に肘なんてベロンと剥けたりして、湯船に浸かるとあちこちヒリヒリして思わず声を出したりしていた。練習をしても、先輩たちにいいように投げられたり締められたりするだけだから、毎日憂鬱だった。放課後が近くなってくると、だんだん憂鬱になってくるのが自分でもわかるのだ。

自分を入れて一年生は7人いたが、みんな自分と同じように練習が辛いと言っていた。間もなく、そのうちの二人が柔道部を辞めたいと言い出し、それを聞いた先輩たちは最後の乱取りだと言って、その二人をかなり手荒く投げ飛ばしていた。その様子を見ながら、辞めたら自分もこうなるのかと、なんだか気分が悪くなってきたのを覚えている。

それからは、なるべく先輩たちに愛されるキャラクターになるように心がけた。練習の合間にちょっとお茶目なギャグを言ってみたり、積極的に道化役になってみたりして、「弱いけど憎めないヤツ」という立場を確立した。それでも、理不尽なシゴキにあうこともあったけれど、適当におちゃらけてみたりすると、先輩たちも手加減してくれた。

同じようにシゴキにあっている同級生の中には、思わず泣き出すヤツもいたが、そんなときは先輩たちもさすがにやりすぎたと思ったのか、「お前も永橋みたいに適当に受け流せよ」みたいなことを言っていた。そのやり取りを見ていて、自分の作戦は正しかったと認識した。しかし、自分が強くなることよりも、どうすれば楽に練習をこなせるかに腐心していたわけだから、強くなれるわけがない。

なんだか単なる思い出話になってしまった。ここからスポーツと体罰との考察に入っていくのは難しい展開になってきたので、今回はこれでやめておこう。というか、そもそも最初から明確な考えがあったわけじゃないし。体罰はよくないとみんなが言っているから、きっとよくないんじゃね? くらいにしか思っていないというのが正直なところだ。



今週の覚書一覧へ

TOP