13/01/27

生きることのコスト

「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」という麻生さんの発言が問題になって、すぐに発言を撤回したらしい。この人は以前からちょくちょく問題発言をしているが、あのべらんめえ口調で話すから、マスコミとしても面白がっている部分があるのだろう。

しかし、この発言は、倫理的な部分は別として、経済的な面からいえばかなり正しい発言だと思う。回復の見込みがないのに、ただ延命のためだけに多額の費用をかけて医療を施すことにどれほどの意味があるのだろうか。麻生さんの発言は、政府のコスト削減という観点からの発言だったために叩かれたけれど、きっとだれもが思っている正直な気持ちを代弁したに過ぎない。

そもそも、治療を受ける本人だって、体中にチューブを差し込まれ、人工呼吸器につながれてまで生きたいと思う人なんていないだろう。それで回復する可能性が少しでもあるのなら別だが、そうでなければ、単純にお金の無駄遣いということになってしまう。もちろん、どんな状態でもいいから、少しでも長く生きていてほしいと願う家族もいるだろうから、それはそれで尊重すべきだと思う。

ただ、もしも自分だったら、周囲の人に迷惑をかけてまで生きていたくはない。そんなことになる前に、無駄な延命治療だけはしないようにと伝えておくだろう。そもそも、医療保険にも入っていないから、お金のかかる治療は無理だ。とにかく、入院が必要になるような大病にだけは気を付けて、もしそうなったら、静かにポックリと逝きたい。

若い頃は、自分が死ぬときのことなんて、漠然としか考えられなかったけれど、この歳になってくると、それなりに具体的に考えるようになってきた。自分の死期が近づいてきたら、まだ元気なうちに、いろいろと面倒なことを片付けておいて、周囲の人になるべく迷惑がかからないようにしておきたいと思っている。

しかし、これが不慮の事故に遭った場合などはそうもいかない。事故に遭って一命を取り留めたものの、植物状態になってしまうと、もう自分の意志ではどうにもならない。自分の友人にも、バイクで事故を起こして植物状態になった人がいるが、その人の父親が「どこまでも迷惑をかけやがって」と呟いた一言がいまでも耳に残っている。

その友人は少しやんちゃな男子で、若い頃からちょこちょこ問題を起こしていて、そのたびに父親が後始末をしていた。そういう事情があるから、「どこまでも迷惑をかけやがって」という言葉になったのだろう。人工呼吸器につながれて病室のベッドに横たわったままの友人は、こちらが何を話しかけてもまったく反応する様子はなく、本当にただ息をしているだけだった。

きっと、この友人の家族も辛い思いをしたと思う。いっそ、事故のときに即死してくれたら、と考えたとしても、だれも責められないだろう。何があっても絶対に人命を優先するというのが世の中の建前になっているけれど、この建前は周囲の人間に対してかなりの経済的な負担や精神的な負担を強いることになる。

結局のところ、生きていくには多額のコストがかかるということだ。自分が現役で仕事をできるうちは、自分で稼いだお金で生きていけばいいから、何の問題もない。仕事を辞めた後でも、現役のときに払い込んだ年金と、それまでに貯めておいた貯蓄で生きていけばいい。ただ、世の中の人すべてがこういう生き方ができるわけではない。特に、これからの時代は、老後の生活が苦しくなる人が増えてくるだろう。

医学が進歩して、日本人の平均寿命も着実に伸びてきているが、寿命が延びて少子高齢化が進むほど、公的年金や健康保険などの社会保険システムの維持が難しくなってくるというジレンマを抱えている。寿命が延びればその分だけ幸せが増えるかといえば、そんなに単純なものではないと思う。少なくとも自分は、適当なところでポックリ逝きたいと思っている。

また、iPS細胞技術が応用されるようになれば、日本人の寿命はさらに延びるだろう。しかし、たとえばあと5年しか生きられない人間の寿命をさらに5年くらい延ばしたところで、あまり意味があるとは思えない。もちろん、なるべく長生きしたいと願う人は多いだろうし、そうした人は人工臓器でもなんでも使って寿命を延ばせばいいと思う。

ただ、自分は、70歳や80歳になってから無理矢理寿命を延ばしたいとは思わない。実際にそのときになってみないとわからないが、いまのところは、そんなにジタバタしたってしかたないと思っている。しぶガキ隊だって、「ジタバタするなよ 世紀末が来るぜ」って歌ってたくらいだし。まあ、世紀末は過ぎてしまったけれど、自分の終末くらいはジタバタせずに過ごしたい。

だから、麻生さんの「さっさと死ねるように」という発言には、全面的に賛成だ。どうせお金を使うなら、過度な延命治療などに使うのではなく、もっと生産的なことに使ったほうがいい。終末医療にかけるお金は、文字通り「死に金」になってしまう。生きるということには、お金もかかるし、環境にも負荷をかけることになる。適当なところで死ぬことができれば、それが一番いい。



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