13/01/20

教科としての現代国語は必要か

この土日は、全国的にものすごいセンター試験ブームになっているらしい。大雪が降ったりインフルエンザが流行したりで何かと大変なこの時季に、わざわざ試験をするのもどうかと思うが、そういうことになっているからしかたない。とりあえず、熱が39度くらい出たところで、自分の一生を左右しかねない大事な試験に臨めば、意外になんとかなるものだ。いや、自分はそんな経験はないけどね。

自分も30年くらい前に、センター試験を受けたことがある。当時は、センター試験ではなく共通一次試験という名前で、5教科7科目の合計点が1000点という試験だった。この覚書でも何度か書いたことがあるが、200点満点の数学の試験で16点という信じられない低スコアを叩き出して、第2志望はおろか、第3志望の大学すら受けられなかった苦い思い出がある。

それでも、地元の国立大学には合格できたのだが、これは二次試験の受験科目が英語と現国と小論文という、自分にとって得意科目ばかりだったことが一番の理由だ。最も得意な教科は英語だったけれど、国語もそれなりに得意だった(特に現国)。まあ、自分は真正の文系人間だから、国語が苦手ではどうしようもない。

ところで、文系・理系という言葉は、その人のいろんな側面を表すのによく使われる便利な言葉だけれど、私は文系人間なんです、なんていう人に、あまり頭のいい人はいない。文系人間だと自称する人で、本当に文系科目ができる人というのは少なくて、その多くは、単純に理系科目が苦手だからしかたなく文系人間を自称しているだけだと思う。何を隠そう自分がそうだから間違いない。

とりあえず、文系か理系かと訊かれれば文系と答えるわけだけれど、その答えには、ある程度の劣等感や引け目みたいなものが含まれている。自分は昔から、理系科目ができる人にはコンプレックスを抱いていて、難しい数学の問題をいとも簡単にサラサラと解いてしまう人がうらやましかった。小学4年生の算数の文章題でつまづいてからというもの、このコンプレックスをずっと抱えたままでいる。

そんな自分としては、せめて文系科目くらいはと思ってゴリゴリと暗記に励むようになった。文系科目だけではなく、数学などの理系科目もすべて丸暗記でやっつけた。これは、あらゆる問題の解法パターンをすべて暗記して試験に臨むという作戦だ。この作戦で、中間試験や期末試験では常に80点以上は取っていたが、試験が終わるとすぐに忘れてしまうため、予備校が主催する全国模試などでは散々だった。

それはともかく、小学生の頃は、国語の授業が楽しかった。新しい学年に進級して教科書をもらうと、国語の教科書はすぐに全部読んでいた。けっこう面白いお話しなどが載っていたからだ。図書館の本などもそれなりに読んでいたから、読むということに対して抵抗はなかった。漢字の書き取りもそれほど苦にならなかったから、国語のテストでは常に満点近く取っていたような気がする。

中学生になると、国語の授業が次第につまらなくなった。この文章にはどういう意味があるのかとか、この作者はどう感じたのかとか、いちいちそんなことを考えながら文章を読む必要があるのか、疑問に感じるようになってきたからだ。普通に読んで、面白いと感じればそれでいいいし、つまらないと感じるのもその人の自由だ。読み方までいちいち強制されたくないと思った。

そんな調子だから、高校生になると、現国の授業なんてまったく聞いていなかった。とりあえず、試験に出そうなところだけはノートに書いておいて、後はほかのことを考えていた。このあたりは妙に勘が働いて、試験に出そうなところというのはだいだいわかる。だから、特に勉強しなくても、現国の試験ではそれなりの点数を取っていた。

要するに、読解力なんて、他人から教えてもらって伸ばすものではないということだ。読解力のない人間は、いくら授業を受けたところで、おそらく死ぬまで読解力のないままだし、読解力のある人間は、授業なんて受けなくても問題はない。そもそも、他人から「この文章の裏にはこういう意味がある」などと教えてもらうなんて、あまりにもナンセンスだ。

読解力のない人が読解力を付けるには、結局のところ、自分で本を読むしかない。何を読むかは特に重要ではなくて、自分が興味を持った本を読めばいいと思う。この方法は、かなり時間はかかるけれど、他人から授業で教わったり、薄っぺらい参考書で小手先のテクニックを学んだりする方法よりも、ずっと確実な方法だと思う。

だから、国語の授業は、基本的な読み書きや漢字を勉強するくらいで充分で、高校生になってまで現国の授業をする必要はないと思う。「このとき作者は何を感じたか、50字以内で答えよ」なんていう問題は、あまり意味がない。他人が書いた文章を読んでどう感じるかは人それぞれだから、これが正解だと決めつけるのは傲慢ですらある。

結論としては、国語の授業は義務教育までで充分で、高校では現国の授業なんて必要ないということだ。ついでに、大学の入学試験からも現国は外していいと思う。現国が試験科目として存在するから、小手先のテクニックを並べた薄っぺらい参考書に受験生が頼ってしまうことになる。読み方のテクニックを学ぶなんて、ものすごく気持ち悪いことだと思う。



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