12/07/15

オリンピックとともに辿る思い出(シドニーオリンピック編)

小沢さんの新党の名前が「国民の生活が第一」に決まったというニュースを見て、「それは、『自分たちの選挙が第一』の間違いだろう」とテレビの前で突っ込んだ人は、日本中で3千万人はいたと思う。本当にこの人も懲りないというか、学習しないというか、自分の思い通りにならないとすぐに党を飛び出して新党を作るというパターンにはうんざりだ。

新党の公約には、消費税増税の阻止と脱原発を掲げるらしいが、これも無党派層のウケを狙っているのが見え見えで、なんだかなあという感じだ。新党には大した人材がいないから、国民受けする公約を掲げてなんとか次の選挙で勝とうとしているのだろうが、公約うんぬんではなく、国民は小沢さんの節操のなさにうんざりしているということに早く気付いたほうがいい。

さて、いつの間にかロンドンオリンピック開幕まであと2週間を切ったらしい。ということで、今回はシドニーオリンピックの思い出について書いてみたい。このときの自分は33歳で、アトランタオリンピックのときと変わらず、フリーのシステムエンジニアとして仕事をしていた。このときは某IT系企業と直接契約して、それなりの報酬をもらっていた。

当時は、いつまでもフリーでいていいものだろうかという葛藤を常に抱えていたが、フリーという立場の気楽さから、ズルズルと同じ生活を続けていた。そうはいっても、一生フリーを続けていくだけの度胸も才能もないことは自分でよくわかっているから、そろそろなんとかしなくてはいけないという焦りだけはあった。

そんな焦りを抱えつつ、具体的な行動を起こすこともなくダラダラと生きていたわけだが、何を考えたのか、突然自分のホームページを作ろうと思い立った。まあ、「突然」というのは単なるレトリックで、仕事中に息抜きでネットサーフィンをしながら、自分でもホームページを作ってみたいということは漠然と思っていた。

ホームページを作って多くの人を啓蒙しようとか、ホームページをきっかけにしてビッグになってやるぜ、みたいな野望はなくて、自分の書いた文章を読んでくれた人から何かしらの反応がきたら嬉しいなあ、くらいの気持ちだったと思う。それまでは自分が情報を発信する場所なんてなかったけれど、ネットを使えばだれだって情報を発信できるのだから素晴らしい。

サイトを作るためにはパソコンが必要だということで、いろいろと検討した結果、富士通のノートパソコンを購入した。たしか、OSがまだWindows98の頃だったと思う。しかし、これが失敗で、あちこち不具合が出る。買ってから1年で3回くらい修理に出したと思う。たまたまよくない機種にあたったのだと思うが、それ以来富士通製品にはいい印象を持っていない。

とにもかくにもパソコンを手に入れ、プロバイダとも契約してホームページ用のスペースを手に入れた。たしか、5MBまで無料で、それを超えると1MBあたり毎月50円が加算されるというシステムだったと思う。画像などを使うつもりはなかったから、とりあえずは5MBもあれば十分だろうと思った。実際、開設から10年以上経ったいまでも、ホームページ全体の容量はまだ10MBにも届いていない。

ホームページのテーマについては、英語学習でいこうと最初から決めていた。とりあえず、自分が偉そうに語れる分野はそれくらいしかなかったからだ。おおまかな構成を頭の中で考えて、近所の量販店にホームページの製作ソフトを買いに行った。店頭であれこれと迷った末、「ホームページ制作王」というソフトを買った。

しかし、これが大失敗で、自分のやりたいことが何一つできないクソみたいなソフトなのだ。まだ売られているようだから、当時と比べれば機能や使い勝手は進化しているのだろうが、とにかく何もできないソフトだったという印象しかない。いきなり出鼻をくじかれてガカーリしながら、それでもその腐れソフトを使ってシコシコとホームページ作りに取り組んだ。

製作を始めて1か月くらいでとりあえずホームページらしきものが完成した。2000年の夏くらいだったと思う。どこからどう見てもド素人丸出しの痛いサイトではあるけれど、自分が一から作ったサイトだから、完成したときにはやっぱり嬉しかった。ちょっと興奮しながらネットにアップして、何人かの知り合いに「サイトを開設しますた」と連絡した。

しかし、こういう痛いサイトを見せられても、普通は困惑するだろう。当然ながら、だれからも反応はなかった。きっと、「お前のサイト痛すぎ」とはっきり言うのもかわいそうだから黙っておいてやるか、みたいな感じだったのだろう。自分も、完成直後の興奮が醒めて冷静になると、やっぱりこのサイトは痛いよなあ、と思うようになってきた。なにしろ、宣伝活動をする気もおきないくらいの痛さなのだ。

そんな感じで、最初に作ったサイトは、ごく一部の知り合いを除き、だれの目にも触れないまま、ネットの片隅に埋もれたままになった。しかし、せっかく作ったサイトだから、このまま埋もれさせておくには惜しい。それに、自分で言うのもアレだけど、結構いいことも書いてある。ちゃんとしたソフトを買えば、もう少しまともなサイトになるんじゃないだろうか。そう考えて、作り直しを決意した。

今度はIBMの「ホームページビルダー」というソフトを買ってみた。使いやすいし、自分がやりたいと思ったこともけっこうできる。「ホームページ制作王」に比べれば天と地ほどの差があるソフトだ。道具がいいと、作業もはかどるし、筆も進む。最初に作った痛いサイトを下敷きにしながら、いくつか新しいコンテンツも追加していった。

その作業の途中で、シドニーオリンピックが開幕した。開会式では、最終聖火ランナーにアボリジニ人が起用されて話題になったが、なんだか取ってつけたようなあざとさを感じて、自分としては少しばかり白けた気分になったような記憶がある。それはともかく、日本とシドニーとの時差はほとんどなかったから、テレビ観戦するには都合がよくて助かった。

開幕後の競技は、柔道と競泳というのがオリンピックのパターンだから、柔道をお家芸とする日本はいきなりのメダルラッシュになるわけだ。この大会でもそれは同じで、男女の柔道で連日のメダルラッシュになった。しかし、男子100キロ超級の決勝戦の判定はひどかった。フランスのドイエが仕掛けた内股を篠原が見事にすかして一本かと思ったら、なんと有効のポイントがドイエに入ったのだ。

この判定をテレビの前で見ていた自分は、思わず立ち上がって「いまので有効はないだろう、どう見たって一本だろうが!」とテレビに向って怒鳴った。そう、有効のポイントはドイエではなく篠原が挙げたものだと思っていたのだ。しかし、どうやらドイエが挙げたポイントだということがわかると、「どこを見てるんだ、このクソ審判!」と、また怒鳴ってしまった。

本当に、この判定だけはいま思い出しても頭にくる。主審だけならともかく、脇に座っていた副審の2人も、この判定にまったく異議を唱えなかったわけだから、信じられない。これまでに、国際試合で外国人審判のお粗末な判定をいくつも見てきたが、これほどひどい判定は見たことがない。まさに、世紀の誤審だと言っても過言ではない。

ということで、シドニーオリンピックといえば、高橋尚子でも、田村亮子でも、野村忠宏でもなく、バカな外国人審判のおかげで金メダルを奪われた篠原信一のことが真っ先に浮かぶ。試合後の表彰式で、誇らしげに両手を挙げるドイエの横で、下を向いたまま悔しそうにしている篠原の表情が忘れられない。能天気に喜んでいるドイエがまた憎らしかった。

そんな感じで熱くなりながらも、サイトの製作は順調に進み、シドニーオリンピック期間中の9月末くらいに無事にアップすることができた。テキストばかりで垢抜けないサイトではあるけれど、痛さ全開の最初のサイトに比べれば上出来だ。あとは、無駄に桁数の多いカウンタが勢いよく回ってくれることを願うばかりだ。せっかくだから、次回はこの後のサイト運営について書いてみよう。




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