12/07/08

玄関に関する考察

総武線の車内がやたらと寒くて困る。いつも、総武線と京浜東北線を使って通勤しているのだが、京浜東北線はともかく、総武線の冷房がガンガンに効いていて、とにかく寒いのだ。外気温に関係なく、車内では「ゴー」という大きな音が聞こえるくらいに冷房がフル稼働している。節電の夏なんだから、もう少しなんとかなりませんかね、総武線さん。

ということで、今回は例によってネタ枯れなので、例によって単語カードからお題を拾って書いてみたい。いいお題にあたりますようにと念じながら単語カードをめくると、「vestibule」という単語にあたった。これは「玄関」とか「入口」という意味の単語で、「ベス食べるのは玄関先」という語呂でどうだろう。ベスという名前の犬が玄関先でエサを食べているイメージだ。

そんなことはともかく、今回はなかなかいい単語にあたったような気がする。ごく普通の形容詞などにあたると、なかなかネタとしては使えなくて苦しむことになるけれど、こういう名詞は使いやすくてありがたい。

とはいうものの、これまでの人生において、玄関について特に深く考えたことはない。建築関係の仕事に就いている人ならともかく、普通の人間が玄関について深く考察するなんてことはないだろう。おれって玄関が好きでさ、ヒマがあるといつも玄関のことばかり考えてるんだよね、なんていう人には、これまで一度も会ったことがない。

自分がいま住んでいるのは、千葉市稲毛区にある80平米の超高級マンションだが、玄関はかなりしょぼい。普通の高級マンションには、玄関先にポーチなる空間を設けているところも多いが、ウチのマンションは超高級だから、そんなポーチなんていうこじゃれた空間はない。玄関あけたら2ミリで外廊下という潔さだ。

マンションに限らず、集合住宅の玄関はとにかくしょぼい。せいぜい玄関先に申し訳程度のポーチが付いているくらいが関の山で、ほとんどは何の変哲もないドアが一枚付いているだけだ。しかも、玄関を開けると薄暗い空間が待っているというのも欠点だ。どんなに晴れた日の昼間であっても、マンションの玄関は薄暗い。

リビングの日当たりを確保するためには、その反対側の玄関が日当たりの悪い方角になるわけで、これが集合住宅の設計上の制限になっている。とにかく、マンションの玄関というのは、狭くて薄暗くて殺風景と相場は決まっていて、玄関先にいくら花や草木を飾ってみたところで、この印象は大きくは変わらない。

しかし、これが一戸建てとなると、話はまったく違う。一戸建ての場合、玄関はまさにその家の「顔」になるわけで、大きな家になるほど、玄関の作りも凝ったものになる。佐渡にある自分の実家は、広いだけが取り柄の田舎家屋だけれど、南側に面した玄関は、明るくて広くて気持ちいい。

具体的には、玄関の土間だけで四畳半くらいの広さはあると思う。いまはもうないけれど、昔は玄関先に大きな水槽があって、そこにたくさんの金魚が泳いでいた。そうした飾りを置かないと逆に殺風景に感じるくらいに広い玄関だということで、これはなにも実家に限ったことではなく、田舎の家ではごく当たり前の風景だと思う。

それはともかく、一戸建ての場合、集合住宅のような設計上の制約はないから、好きな位置に玄関を作ることができる。土地の狭い都市部では、わざと日当たりの悪い方角に玄関を作って、リビングの採光を確保している家もあるけれど、田舎の場合、ほとんどが一番日当たりのいい方角に玄関を作っている。

たまに実家に帰ると、やっぱりどことなくほっとするような感覚があるが、改めて考えてみると、この開放的な玄関のおかげでそう感じる部分は少なくないと思う。もし、自分が生まれ育った家がマンションだったとしたら、帰省のときには殺風景な玄関に出迎えられることになるわけで、そう考えるとあまりぞっとしない。

こうして書いてみると、これまで玄関について深く考えたことはなかったけれど、実は玄関というのは、家にとってかなり重要な部分を占めているのだと感じた。18歳で上京してからずっとアパート暮らしで、ようやく自分の家を持ったとはいえ、やっぱり集合住宅には変わりないから、この殺風景な玄関にすっかりなれてしまった自分がいることに気付いた。

「やっぱり、最終的には一戸建てが欲しい」と考える人が多いのも、集合住宅の殺風景な玄関を無意識のうちに嫌っているからではないかという気がする。明るくて広い玄関が付いた家を持って、初めて自分の家を持ったといえるのではないだろうか。なんだかそんなことを改めて考えた。まあ、考えるだけで、一戸建ての家を建てるお金なんてどこにもないんだけれど。




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