12/06/03

オリンピックとともに辿る思い出(アトランタオリンピック編)

生活保護の不正受給の問題で、なにやら世間が騒がしい。この問題の是非についてはともかく、こういう人たちは世の中にいっぱいいるんだろうなと思う。以前に、国民年金の未納が問題になったときに、未納の政治家が続けて何人も現れたことがあったが、今回の生活保護の問題にしても、これからまだまだ出てきそうな感じだ。マスコミは、こういう悪者探しが大好きだからね。

さて、前回はバルセロナオリンピックまで書いたので、今回はアトランタオリンピックの思い出について書いてみたい。このときは1996年で、自分は29歳だったことになる。新卒で入社した会社は27歳のときに辞めて、このときはフリーのシステムエンジニアで食べていた。フリーと言えば聞こえはいいが、実際には単なる派遣だ。

前回も書いたが、新卒で入社したこの会社は本当にいい会社で、給与はそこそこ高いし、福利厚生は手厚いし、仕事も社内の雰囲気もヌルいしで、自分のような怠け者にとってはまさに理想的な会社だった。では、なぜそんなに素敵な会社を辞めてしまったのかというと、システムエンジニアという仕事に嫌気がさしたからだ。

そもそも、この会社がいい会社だということは、この会社を辞めていろんな会社を見てきたいまだから言えることであって、新卒で入社して他の会社のことは一切知らない当時の自分にとって、世間的な基準から見た自分の会社の評価なんて、わかるはずがない。だから、辞めるときにもほとんど迷いはなかった。いまならば、違った判断になることは間違いないけれど。

辞めてどうしたいという確たる考えがあったわけではなく、とりあえずしばらくはのんびりして英語の勉強でも始めよう、くらいのことしか考えていなかった。せっかく会社を辞めたのだから、失業保険をもらってみたいとも思った。しかし自分の場合は自己都合での退職だから、支給までには3か月待たなければならない。

とりあえず、認定日にはきちんと職安に顔を出して、受給の資格だけは満たした。周りにはくたびれた顔をしたおじさんたちもいたが、自分は気楽なもので、不安などまったく感じることなく、失業生活を謳歌していた。住まいこそ、それまで住んでいた会社の寮に比べればかなりグレードは落ちるけれど、もともと貧乏暮しには慣れているからどうということもない。

失業時代の生活パターンはというと、朝起きて簡単な食事を摂り、9時の開館に間に合うように近所の図書館にチャリンコで出かけ、そのまま閉館時刻の午後5時まで勉強を続ける、という感じだった。このときは、「独習のボキャブラリー」のページで紹介している「英字新聞の社説を切り抜いてノートに貼り付け、未知の単語を書き出して暗記する」という方法で、ただひたすらに単語を暗記していた。

いまから思えば、もっと効率のいい方法なんていくらでもあるのに、という感じがしなくもないが、当時はこの方法を信じて勉強を続けるしかないと考えていた。いまみたいにネットに情報があふれているという時代ではなかったから、勉強の方法にしても、いろんな書籍を自分で調べて試していく以外になかった。

そんな感じで毎日楽しく過ごしていたのだが、失業保険の支給も終わる頃になると、そろそろ次のことを考えなければいけないと思うようになってきた。バブルは完全に崩壊し、学生の就職率も悪化して、日本の経済は完全に下降線をたどっている時期だったから、まだ若いとはいえ、自分にもそれなりの危機感はあった。

しかし、また同じような会社に正社員として入社するのもバカバカしい。そう考えた自分は、その場しのぎの作戦として、とりあえず派遣のシステムエンジニアとして仕事をすることにした。人材派遣の会社に登録すると、あっけないほどすぐに仕事が見つかって、無事に失業生活からは卒業することができた。

それまでに派遣など経験したことがなかったから、最初のうちは会社が提示する条件に素直に従っていたが、そのうちにあれこれと交渉する術を覚えて、それなりの給与ももらえるようになり、最終的には人材派遣の会社には頼らず、派遣先の会社と直接契約して中間マージンをカットするというレベルにまでたどり着いた。

さて、やたらと前置きが長くなってしまったが、アトランタオリンピックが開催された1996年は、自分がフリーのシステムエンジニアとして働き始めて2年目くらいの頃だった。職場は、目黒にある某都市銀行のシステム部門で、やたらとつまらない仕事だったことを覚えている。仕事がつまらないだけでなく、とにかく環境がクソみたいにひどいのだ。

といっても、蟹工船の世界のように、低賃金重労働という意味のひどさではなく、開発環境が信じられないくらいに悪いという意味だ。システムの規模に比較して、開発用のサーバーのスペックが低すぎるため、サーバーに少しでも負荷がかかると、とたんに画面が凍りついたように動かなくなる。トイレに行って一服して席に戻っても、まだ画面が凍りついたままなのだ。

フロアには何十人という開発要員がいたが、この人たち全員が同じサーバーで作業をしていたから、全員の画面が同じように凍り付いていたというわけだ。なんというムダなんだろうと、凍り付いた画面を眺めながらいつも思っていた。漏れ伝わってくる情報によると、新しいサーバーの購入を検討してはいるのだが、上からの承認がなかなか下りないらしい。

こんなクソみたいな環境で能率の悪い仕事をさせ、その割には無駄に人ばかり増やしているくせに、行員にはバカみたいに高い給与を支払うなんて、銀行というのはどこまで儲かる商売なんだろうと、なかばあきれながら思ったものだ。フリーのエンジニアとしていろんな会社で仕事をしてきたが、こんなにひどい仕事をさせられたのは、後にも先にもこの某都市銀行だけだ。

などと思いつくままに書いていたら、いつものようにまとまらなくなってしまった。アトランタオリンピックについて書こうと思っていたのに、結局は失業生活のことを書いただけで終わってしまった。ということで、この続きはまた次回。




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