12/04/22

オリンピックとともに辿る思い出 (モントリオール〜ロサンゼルスオリンピック編)

ロンドンオリンピック開催まであと100日を切ったらしい。あけましておめでとうございます、なんて言っていたのはつい昨日のことのような気がするのに、もうオリンピックの開催が間近に迫ってきたなんて、早すぎる。というより、北京オリンピックが開催されてからもう4年が経ったということが信じられない。まったく、いい加減にしてもらえないだろうか。

そうは言っても、オリンピックはやっぱり楽しみだ。日本が出場するようになってからは、サッカーのワールドカップの方がオリンピックよりも関心が高いのかもしれないが、自分としては断然オリンピック派だ。いろんな競技が見られるのがなんといっても楽しい。普段はめったに見ることができないマイナーな競技を観戦すると、意外な楽しみがあって面白い。

一番古い記憶として残っているのは、1976年のモントリオールオリンピックだ。自分は1967年生まれだから、このときは9歳で小学4年生だったことになる。父親がやっぱりオリンピック好きで、現地との時差をものともせず、朝5時くらいからテレビ観戦していた。この当時の自分は、オリンピックのなんたるかもよくわかっていなかったが、むしろそんな父親の姿に興味を持った。

そこで、自分も父親のまねをして、早朝からテレビ観戦をしようと思い立った。しかし、子供の頃は早起きが大の苦手で、ラジオ体操も半分眠りながら行っていたくらいだから、朝5時に起きるなんてできるわけがない。そこで考えたのが、徹夜してそのままテレビ観戦になだれこむという作戦だ。

一人で徹夜するのはさすがに無理だから、兄貴を巻き込むことにした。兄貴もこの作戦に賛成してくれたので、一緒に徹夜することになった。といっても、一晩中電気を点けて騒いでいたら親に怒られてしまうので、布団に入って電気を消し、ヒソヒソ声で話しながら時間をやり過ごすことにした。

最初のうちはワクワクして気分が高揚しているから、時間もあっという間に過ぎていくのだけれど、深夜の1時くらいになってくると、眠気のせいで二人とも口数が少なくなってくる。このままではいけないということで、兄貴が提案したのは、30分交代で寝るという作戦だった。なるほど、それはいいアイデアだと、自分も賛成した。

どちらが最初の寝番だったのか、いまとなっては思い出せないが、そのまま一回も兄貴を起こすことも兄貴に起こされることもなく、気が付いたら朝になっていた。

モントリオールオリンピックでは、コマネチが大きな話題となり、自分もそれはよく覚えているのだが、結局、自分にとってのモントリオールオリンピックでの一番の思い出となっているのが、この徹夜作戦失敗事件だった。最初のうちのワクワク感が、次第に睡魔に襲われて薄れていく感覚は、いまでも鮮明に覚えている。

次のモスクワオリンピックは日本がボイコットしたため、モントリオールオリンピックの次の大会はロサンゼルスオリンピックということになる。モントリオール大会は小学生だったこともあってほとんど覚えていないから、このロサンゼルス大会が自分にとって記憶に残っている最初のオリンピックということになるわけだ。

このときの自分は17歳の高校3年生だった。いつもの夏休みであれば、毎日のように農作業の手伝いをさせられるのだが、とりあえず受験生ということで、この年の夏休みだけは手伝いをすべて免除してもらった。だからといってダラダラと遊んでいていいということではなく、手伝いを免除したからにはその分しっかり勉強しろよということだ。

なんだかありがたいような、でも少しだけ後ろめたいような気分で机に向かうのだけれど、運が悪いことに受験イヤーがオリンピックイヤーに当たってしまった。この歳になれば、当然オリンピックのなんたるかも理解しているから、やっぱり観戦したくなる。また運の悪いことに、テレビで朝から延々と柔道競技を放送しているのだ。

つい2か月くらい前まで柔道部で汗を流していた自分としては、どうしてもオリンピック放送が気になる。ということで、本当に部屋の隅で小さくなりながらずっと柔道競技を観戦していた。この頃は、海外の選手にはまだまだレベルの低い選手が多くて、開始線の前に出て一礼するという試合前のマナーさえ知らない選手が大勢いた。

日本人選手に試合開始から3秒くらいで簡単に投げられる外国人選手を見て、これならオレでも勝てんじゃね? などと思いながら観戦していた。まあ、実際には3秒で投げられてしまうのは自分の方なのだけれど。

このロサンゼルス大会で一番印象に残っているのは、やっぱり山下の金メダルだ。山下の実力ならば、金メダルは絶対に間違いないと思っていたから、2回戦で左脚をけがしてしまったときには絶望的な気分になった。なにしろ、試合場から去るときに、思い切り脚を引きずっているのだ。顔に出さないところはすごいと思ったが、かなり深刻なケガであろうことは誰の目にも明らかだった。

次の3回戦では、開始早々いきなりポイントを奪われてしまう。山下がポイントを取られたのを見たのは、このときしか記憶がない。当時の山下は、それほど圧倒的な強さを誇っていたのだ。だから、ポイントを取られたときには、ああ、これで終わった、と思ったほどだ。しかし、そこからがすごかった。まったくひるむことなく相手を攻め、みごとに一本勝ちを収めるのだ。

決勝については、改めて自分が語ることもないだろう。勝利の瞬間に見せたあの山下の泣き崩れた顔が、それまでの苦労をすべてを物語っている。自分も、あの瞬間に感激して涙した一人だ。本当に、山下の精神力はすごいと思った。自分も山下に負けず、辛い受験勉強を乗り越えて合格という栄冠を勝ち取ろうと、そのときに決意した。

しかし、その決意は3時間くらいしか続かず、机を離れていきなり大の字になって昼寝をしている自分がいた。まあ、他人からもらった感動なんてこんなものだ。そのときにはどんなに感動したところで、その効果効能はせいぜい3時間も持続すればいい方だ。感動するだけで自分の人生がうまくいくのなら、いまの自分はきっとものすごいことになっている。

なんだか、いつものようにダラダラと書いていたら、いつものようにまとまらなくなってしまった。ということで、ソウルオリンピック以降の思い出については、また次回ということで。




今週の覚書一覧へ

TOP