11/12/25

カーブの思い出(その2)

年末になって、金正日の死去というビッグニュースが飛び込んできた。まさかあの偉大な将軍様がこんなに早くお亡くなりになるとは、夢にも思っていなかった。北朝鮮の人たちもさぞ悲しみに暮れていることだろう。テレビ画面に映る人たちは、みんな心の底から悲しんでいるようで、だれもが大きな声をあげて泣いている。なんとも胸に迫る。

まあ、本気で悲しんでいる人はごく一部だけで、テレビカメラが回っているときには泣きまねでもしておかないと後が怖いというのが、ほとんどの人たちの率直な気持ちだろう。将軍様の偉大さをいかに宣伝したところで、ブタみたいに肥えた将軍様と、骨と皮ばかりになった自分たちとを比べれば、どんな人だってブタを尊敬しようという気持ちにはなれないだろう。

これをきっかけに、北朝鮮でも「中東の春」のような民主化運動が起きてくれればいいのだが、それは難しいだろう。こうした民主化運動の大きな推進力となったのはインターネットや携帯電話だったわけだが、北朝鮮ではそもそもインターネット自体が普及していないし、携帯電話を持っている富裕層の多くは体制派だろうから、こうした人たちから民主化運動が起こるというのは考えにくい。

そんな前フリとはいっさい関係なく、今回は前回の続きで「カーブの思い出」の続きを書いてみたい。というのも、掲示板でcatchyさんから、「お題がcurbなのに、いつの間にかcurveに変わっているし、道路のカーブかと思ったら球種のカーブのことだしで、こういう展開は人間としてどうかと思う」という教育的指導をいただいたからだ。

「かくなる上は、サイクリングでのカーブの思い出について書いてみたらどうかね」というcatchyさんの書き込みに応えてみようと思う。いただいたお題にはすべて誠実に応えることが誠実な人間としての務めであるし、どんなお題でもスラスラと書けるというところもアピールしておきたい。たとえそれが、「ボールペンのキャップ」みたいなつまらないお題であってもだ。

ということで、今回のお題に入っていこう。サイクリングでのカーブといえば、そのほとんどが坂道だ。平地でも急なカーブがないこともないが、つづれ折りにカーブが連続するのは、坂道でしか見られない。だから、サイクリングでのカーブといえば、すぐに坂道を思い出す。しかし、自分はどうにも坂道、それも特に下り坂が苦手なのだ。

上り坂は、苦しいということを除けば特にどうということもないが、下り坂は怖い。直線的に下るのであれば平気だが、急なカーブが連続する下り坂はやっぱり怖い。心の中では、下り坂を猛スピードで駆け降りる姿に憧れるのだが、実際にはカーブの手前で思い切り減速する「ビビリ」なのだ。自分がビビリなのは、子供の頃の体験に原因がある。

自分が自転車に乗れるようになったのは、小学6年生のときだった。もっと正確にいえば、小学6年生の5月14日のことだった。普通であれば、自転車に乗れるようになるのは小学1〜2年生くらいだろう。その当時は子供用の自転車が家にはなくて、兄貴が乗っていた26インチの自転車しかなかったため、身長の低い自分には乗れなかったのだ。

ようやく自転車に乗れるようになった自分は、嬉しくて嬉しくて、休みになるたびに友達と自転車を乗り回していた。やんちゃ盛りの子供が何人か集まると自然にそうなるものだと思うが、自転車の腕試しというか度胸試しみたいな展開になってくる。そのときも、だれが言い出したのかは忘れたが、そんな展開になったのだろう。

家の近くに、直線的に下った先がT字路になっている坂道があった。このT字路をノーブレーキで曲がれるかどうかという話になり、友達のひとりが見事にノーブレーキで曲がり切ってみせた。そうなると、ビビリのくせに負けていられないという気持ちになり、自分も思わず挑戦することにした。

しかし、友達と同じことをしたのでは芸がない。その友達は、T字路を右に曲がったのだが、この右折コースの方が左折コースよりも若干だが角度が緩い。右折コースが93度で左折コースが87度と、まあそれくらいの微妙な差ではあるのだが、とにかく左折コースの方が難易度は高いのだ。

内心では思い切りビビリながらも、この難易度の高い左折コースにチャレンジすることにした。少しでも角度をかせぐため、車道の右端いっぱいにコースを取って坂道を駆け降り、トップスピードのままT字路に突っ込む。車体を思い切り寝かせてカーブを曲がるのだが、やっぱり曲がりきれずに、目の前に土手が迫ってくる。

ここで、あえて土手に突っ込んでしまえばよかったのだが、ビビリの自分は思い切りブレーキをかけてしまった。当然ながら、自転車はそのまま派手にコケた。起き上がってみると、左手の人差し指から大量の血が流れているではないか。ああ、やってしまった、と思いながら、自転車を引いてそのまま家まで帰った。

そのときは、母親がたまたま家の畑で仕事をしていたので、手当てをしてもらった。水道の蛇口で傷口を洗ってもらったときには、あまりの痛さに吐き気がしたことをいまでも鮮明に覚えている。母親によれば、皮膚が深くえぐれて、指の骨が見えていたらしい。あのスピードで突っ込んで転倒したのだから、それくらいのケガは当然だろうと、いまになって思う。

そのときの傷跡はいまでも残っていて、それを見るたびに当時の記憶がよみがえる。これがきっかけとなって、それまでもビビリだったのが、さらにビビリになってしまったというわけだ。下り坂のカーブに猛スピードで突っ込んでいく姿には憧れるけれど、やっぱり自分の身体が大事だから、今日もカーブの手前で思いきり減速するビビリの自分がいる。

ということで、今年の覚書はこれで終わりです。今年もお付き合いいただき、ありがとうございました。いまのところ、来年も続けるつもりなので、よろしくお願いします。それでは、よいお年を。



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