11/10/23

ギャンブル依存症について考えてみる

ついにカダフィ大佐が殺害されたらしい。そのシーンをつい動画で見てしまったが、なんとも残酷だ。これでは、どっちもどっちという気がする。それにしても、排水管に隠れていたところを引っ張り出されたとは、英雄の最期としてはあまりにもカッコ悪すぎる。これまで一国を治めてきた人間なのだから、最期くらいは堂々としてもらいたい。

大学生の頃、寝起きのまま髪の毛が爆発した状態で学校に行ったら、「お前、カダフィ大佐に似てるな」と友達から言われたことがあって、それ以来なんだかカダフィ大佐のことは他人に思えないのだ。だから、カダフィには麻原彰晃みたいなカッコ悪い真似だけはしてほしくなかった。なんだかガカーリだ。

そんな前フリとはまったく関係なく、今回は大王製紙の前会長のとんでもないニュースをネタにして書いてみたいと思う。この人は、子会社から100億円もの大金を個人的に借り入れ、そのうちの少なくとも20億円をマカオのカジノで使い果たしたというツワモノだ。なんだかもう金額がすごすぎて、自分のような貧乏人には想像がつかない。

現実感を持たせるため、自分の身近なものに置き換えてみよう。いま欲しいものはKUOTAのロードバイクなのだが、これが約30万円する。ということは、20億円あればKUOTAのロードバイクが6666台も買えるわけだ。毎日1台ずつ乗ったとしても、6666台すべてに乗るためには、なんと18年以上もかかってしまう。恐るべし、20億円。

そんなものすごい大金を、カジノですべてスッてしまうなんて、いったいどういう金銭感覚をしているのだろう。おそらく、この人はギャンブル依存症だと思う。自分の持ち金の範囲で遊んでいるだけなら問題ないが、借金までしてギャンブルをするというのは、ギャンブル依存症の人たちに共通する行動パターンだからだ。

幸いにも、自分にはギャンブルのセンスがないため、この先ギャンブルにはまる心配はなさそうだ。競馬や競輪は、細かい情報がビッシリと書かれた新聞を見るだけで嫌になるし、パチンコは、店内の大音響とタバコのにおいで頭が痛くなるし、海外のカジノに行くお金なんてないしで、どう考えてもギャンブルにはまる要素はない。

まあ、麻雀だけはいまでもたまにするけれど、自分にとっての麻雀はギャンブルというよりゲームという感覚に近い。だいたい、ギャンブルをしたいだけなら、もっと単純な種目を選ぶだろう。四人集まって牌をガチャガチャといじって、1時間くらいかけてようやく1ゲームが終わる種目なんて、ギャンブルとしては面倒なことこの上ない。

だから、大王製紙の前会長のように海外のカジノに出かける金がない一般人にとって、最も手軽なギャンブルはパチンコということになるのだろう。競馬や競輪は開催日が限定されているから、好きなときに好きなだけ遊ぶというわけにはいかない。しかし、パチンコ店ならばどんな田舎にでも必ずあるから、いつでも遊べる。

実際に自分の周りでも、退職金をすべてパチンコにつぎ込んでしまったとか、パチンコのおかげでサラ金から多額の借金をしてしまったというような話はよく聞く。日本全国にこれだけのパチンコ店があふれているのだから、こうした人たちはおそらくいっぱいいるのだろう。平日の朝からパチンコ店の前に行列を作っている人の何割かは、きっとギャンブル依存症なのだろう。

大学生のときはいろんなバイトをしたが、バイト先にもパチンコ好きな人がいて、こういう人たちと話をする機会があった。そこで気付いたのは、パチンコ好きな人というのは、とにかくパチンコの話しかしないということだ。一緒に仕事をしている手前、完全に無視するわけにもいかず、適当に話を聞いてあげるのだが、苦痛だった覚えがある。

つまらない話を聞きながら、この人はパチンコ以外に興味を持っていることはないんだろうかと疑問に思ったものだ。まあ、パチンコの話を一通り終えた後は、勝った金で風俗に行ったという話などもするのだが、つまるところ、こういう人たちの話題はパチンコと風俗以外にはほとんどないのだ。いい歳をした大人の話題がギャンブルと風俗だけというのも、哀れではある。

こういう人たちのことを、「あの人はビョーキだからな」などと仲間内では揶揄していたのだが、実際にギャンブル依存症というのは立派な病気で、WHOもギャンブル依存症を正式な病気として分類している。アルコール依存症と同じように、ギャンブル依存症にかかってしまったら、自分の意志だけでギャンブルを絶つことはきわめて難しいらしい。

治療法としては、専門の精神病院にかかるということになるが、病院にかかったからといって、依存症に効く薬をもらえるわけではない。これもアルコール依存症の場合と同じように、ギャンブル依存症に苦しむ人たちの自助グループに参加して、お互いに励ましあいながらギャンブルを絶つ努力をしていくしかない。

しかし、依存症という名前の付く病気は、いずれも完治するということはない。アルコール依存症の人がアルコールを絶ったからといっても、アルコールを飲みたいという欲求から解放されることは一生ないのと同じように、ギャンブル依存症の人がギャンブルを絶ったからといって、ギャンブルをしたいという欲求から解放されることは一生ない。

そう考えると、なんとも残酷な病気だ。なにしろ、日本にはパチンコ店があふれているから、どんなに努力してパチンコを絶ったとしても、パチンコの誘惑はいたるところにあふれているわけだ。実際に、依存症の治療を行った人たちの何割かが、またギャンブルにのめり込んでいくらしい。なんとも怖い病気だと思う。

とりあえず、これだけ多くのパチンコ店は日本には必要ないだろうと思う。日本からパチンコ店をすべてなくせば、日本はもう少し住みやすい国になるのではないだろうか。平日の朝早くからパチンコ店の前に行列を作っている人たちを見るたびにそう思う。もっと有意義な時間の過ごし方だってあるはずなのに、なぜパチンコなんてするのだろう。



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