11/07/31

アルコールとの付き合い方を考えてみる

ネットでニュースをチェックしていたら、かなり驚くようなニュースを見つけた。それは、ロシアではこれまでビールはお酒ではなく、清涼飲料水扱いだったというニュースだ(参照)。想像以上にものすごい国だな、ロシアって。ロシア人にとっては、ビールはコーラみたいな感覚なんだろうか。

ビール党の自分としては、なんとも魅力的な国だ。なにしろ、真昼間からビールを飲んでも、「酒飲み」ではなく「単に清涼飲料水を飲んでいる爽やかなヤツ」として認識されるわけだ。さすがにビールと清涼飲料水が同一視されるわけではないだろうが、少なくともウォッカを飲む人より爽やか指数はずっと上だろう。いつかはロシアに移住したい。

自分が初めてアルコールを口にしたのは、小学生の頃だったと思う。父親が晩酌で飲んでいる日本酒に興味を持って、だれもいないときにコップに少しばかり注いで恐る恐る口に含んでみたのだが、あまりのまずさに速攻で吐き出した覚えがある。大人は、よくもこんなまずいものを美味そうに飲むものだと思った。

酔うという感覚を覚えたのは、大学に入学してコンパなどに参加するようになってからだ。その当時は一気飲みなんていうバカな飲み方が流行っていたから、自分も調子に乗ってバカな飲み方をしていた。自分は結構アルコールを飲める体質らしいと気付いたのもこの頃だ。しかし、まだ常習的に飲むまでには至らなかった。

アルコールを常習的に飲むようになったのは、会社に入社して2〜3年経ってからだと思う。この頃になると、そこそこ仕事も覚えてくるから、それなりの仕事も任せてもらえるようになり、人並みに忙しくなってくる。人並みに忙しくなってくると人並みにストレスも溜まるから、人並みに酒も飲むようになる。

20代後半からはすっかり常習的に飲むようになり、1年365日のうち350日くらいは飲んでいたと思う。この頃はビール一辺倒で、日本酒やウィスキーなどのアルコール度数の高い酒はまったく飲まなかった。アルコール度数の高い酒はあの独特な匂いがダメで、グラスを鼻に近づけただけで「オエッ」となってしまう。

結婚してからは、新婚旅行でおフランスに行ったときに飲んだワインが美味しかったこともあって、一人前にワインも飲むようになった。結婚してからもしばらくは1年365日のうち350日くらいは飲む生活を続けていたのだが、自分の身体を心配する相方から、もう少し控えたらと言われるようになった。

しかし、酒飲みとしては、「少し控える」というのがなかなか難しい。酒を飲まない人にすれば、毎日飲む量を徐々に減らしていけばいいだけなのに、と思えるかもしれないが、酒飲みとしてはこういう条件を付けられるのが大嫌いなのだ。だれかに監視されて量を気にしながら飲む酒なんて少しも美味くない。

いっそのこと、オンとオフをはっきりさせた方がよっぽどわかりやすいということで、飲まないと決めた日は一切飲まないというやり方にした。少しくらいならいいか、みたいな言い訳で飲み始めると、自分のようなだらしない人間は結局際限なく飲んでしまうから、最初からはっきりと線引きをしておいた方がいい。

そんな感じで現在に至るわけだ。いまでは、1年365日のうち200日くらいはアルコール抜きで過ごしていると思う。健康診断の数値も、以前はγ-GTPが高かったが、いまではすっかり正常値に戻った。とりあえず、アルコールとはほどほどの距離感で付き合うことができているような気がする。

しかし、アルコールに関しては、タバコのようにきっぱりとやめるということは難しい。タバコなら1〜2週間もすれば吸いたいという気持ちはきれいになくなるが、アルコールの場合はそうはならない。どんなに長期間禁酒したところで、アルコールへの欲求が消えることはない。本当に厄介な代物だ。

こうなると、体質的にアルコールを受け付けないという人がうらやましい。以前は、飲み会でウーロン茶を飲んでいる人なんてつまらないと思っていたのだが、最近ではうらやましく思えるようになってきた。アルコールなんて、飲めなければ飲まない方がいいに決まっている。

酒飲みは、「酒を飲まないなんて、人生の楽しみの半分を捨てているようなものだ」なんてことをもっともらしく言ったりするが、こんなのは酒飲みの勝手な理屈だ。酒を飲まなければ飲まないなりの楽しみというのも当然あるはずで、結局は酒を飲む自分のための言い訳でしかない。

また、「酒を飲むと本当の自分を出せる」みたいなことを言う人もいるが、これもどうかと思う。人間にはいろんな面があって、どれが本当の自分かを判断するのは難しいが、少なくとも、酔っ払ってロレツの回らない舌でわけのわからないこと言っているのが本当の自分だとは思えないし、思いたくもない。

人間は理性で物事を考えて行動する動物だから、理性が支配する素面のときの自分が本当の自分なのだろうと思う。だいたい、酒を飲みながらする話なんて、大した話ではない。そのときは真剣に話しているつもりでも、次の日になると何を話したのかさっぱり覚えていないことも多い。

結局、どれもこれも、酒を飲むための言い訳にすぎない。酒飲みというのは、自分が酒を飲むことについて批難されたりすると、「でも、ちゃんと仕事はしているし」とか、「でも、健康診断の数値は正常だし」などと、必ず「でも」という言い訳が始まる。酒を飲むという行為に対して後ろめたく思っているからこそ、「でも」という言い訳になってしまうのだろう。

ということで、ほどほどの距離をおいて酒と付き合うのは結構難しい。健全な人にとっては何でもないことなのかもしれないが、そこそこ「いける口」である自分としては難しいと感じる。すっぱりとやめることができればいいのだけれど、いまのところそれは難しそうだ。



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