11/06/19

オカルト的なもの(続き)

ということで、5/29からの続きでオカルト的なものについて書いてみたい。このときはUFO、超能力、予知能力について書いたので、今回は心霊現象全般について書いてみることにしよう。心霊現象と一口に言ってもさまざまな分野(?)があるので、とりあえず思いつくままに挙げていくことにする。

心霊写真
木や岩に人の顔が写っていたり、ありえないところに手や足が写っていたり、頭の部分だけ消えていたりと、それだけ見ると霊の仕業としか思えないような写真が数多く存在する。自分も子供の頃は心霊写真が大好物で、家にある写真を引っ張り出しては、霊らしきものが写っていないか調べたものだ。

いまさら説明するまでもないが、こうした写真は霊とはまったく関係がない。心霊写真にはいくつかのパターンがあるが、それぞれのパターンについて解説しているサイトもいくつかあるから(ここがお勧め)、興味があればそうしたサイトを見てみると面白い。いちいち明快な説明があるので、霊が入り込む余地などないことがわかる。

たしかに、自分の顔の横に見知らぬ顔が写っていたりすれば気味が悪いだろうが、そこで慌ててインチキ霊媒師のところに駆け込んだりするとおそらく悲惨な目に遭う。まずは、冷静になって「心霊写真」でググってみよう。なんだ、そんなことだったのかと拍子抜けするはずだ。

そもそも、もし本当に霊が写真に写り込んでいるのだとすれば、だれの目にも霊の姿が見えないということ自体がおかしい。カメラのレンズを通してフィルムに感光してはじめて姿を現す霊なんて、どう考えてもあり得ない。写真好きでフォトジェニックな霊というのもお茶目で面白いけれど。

心霊スポット
有名な心霊スポットは日本全国にあって、自分が住む千葉県にもいくつかの心霊スポットがあるらしい。「千葉県 心霊スポット」でググると、八幡の藪知らず、おせんころがし、東京湾観音、雄蛇ヶ池、佐倉城址公園、里見公園などなど、ザクザクと出てくる。千葉は霊にとってなかなかの人気スポットらしい。

地元を愛する自分としては、散歩やサイクリングでいろんなところを回っていて、上に書いた場所にもそれと知らずにすべて行ったことがあるのだが、まったくそれらしい気配は感じなかった。まあ、昼間に行っているから当然なのだが、「それと知って心の準備をして行く」というのが重要な要素になると思う。

オカルト大好き少年だった頃に、何人かの友達と一緒に近所の「お化け屋敷」を探検しようということになった。お化け屋敷といっても、実際には単なる空き家で、ボロボロに破れた障子や割れたガラス窓などがそれっぽい雰囲気を出しているというだけのことだ。しかし、こちらとしては期待に胸を膨らませて家の中に入った。

いまから思えば、本当に普通の空き家だったのだけれど、その当時は探検気分でドキドキしていたから、何か一つ物音がしただけで大げさに驚いたり、障子の向こうに怪しい影が見えたと言っては大騒ぎしたりで、それなりにお化け屋敷の探検を満喫した覚えがある。

当然ながら、期待した幽霊には出会えなかったが、要は「その気になれるかどうか」で、幽霊に出会える確率は大きく上がるということだ。そこが心霊スポットだとは知らなければ、きっと幽霊に出会うことはないだろうし、期待感に胸を膨らませて行けば、どんな枯れ尾花でも幽霊に見えてしまうということだ。

霊感の強い人
霊感が強い人というのは結構いるらしく、こういう人はそれこそいつも霊を見たり不思議な体験をしてしまうものらしい。テレビでも、夏の夜中などにこういう霊感の強い芸能人がおどろおどろしい雰囲気の中で怪談話をしている番組をよく見かける。はたして、こういう人たちの話は事実なのだろうか。

テレビで紹介されるような怪談はかなり脚色されているとは思うが、すべてが嘘というわけでもないだろう。さすがに、真っ赤な嘘を本当の体験談として話すほど、彼らもくさった人間ではないだろう。おそらく、話の核となる部分については実際に体験しているのだと思う。

では、実際にこういう不思議な現象が物理的に起きているのかといえば、もちろんそんなことがあるはずがない。たとえば、幽霊を目撃するにしても、幽霊が物理的な物体として存在していなければならない。生命体ではないにしても、何かしらの物体として存在しなければ、人間の目に見えるはずがないからだ。

ということは、幽霊だと思ったものは、実際には何かの見間違いということになる。それこそ、枯れ尾花なのかもしれないし、怪しい身なりをした人なのかもしれないし、何かに反射した人影なのかもしれない。なんだか夢のない話だけれど、幽霊の正体というのは見間違いが一番多いだろうと思う。

しかし、世の中にこれほど幽霊の目撃談があふれていることを考えると、すべて見間違いで済ますこともできない。となると、次に考えられるのは、「物理的な幽霊は存在しないが、その人にとっては本当に見えている」という可能性だ。要は、その人の頭の中で勝手に幽霊の映像が写ってしまうということだ。

これは以前から考えていることだが、心霊現象には精神的な疾患が少なからず関係しているのではないかと疑っている。精神疾患の症状には幻覚や幻聴があるが、実際には存在しないものが見えたり聞こえたりするわけだから、このあたりに心霊現象の謎を解くカギが潜んでいるような気がする。

霊的な雰囲気に反応して脳内に何らかの物質が分泌されると、脳内のどこかに眠っているイメージが呼び出されて、実際には存在しないはずのものが見えてしまうとか、おそらくそんな仕組ではないかと思っている。あまり説得力のある説明ではないけれど、幽霊が物理的に存在するという荒唐無稽な話よりは信憑性があるだろう。

金縛り
自分はまったく霊感のない人間で、高校生の頃に「金縛り」を経験したことくらいしか話のネタがない。いまではほとんどなくなったが、当時はけっこう頻繁に経験していて、寝るのが少し怖かった。今日は来そうだな、と思うと、不思議に予感が当たったりするのも怖かった。

金縛りにもいくつかのパターンがあって、だれかに袈裟固めされたり、両方の足首をつかまれて逆さ吊りにされたり、大きく波打つ床の上をゴロゴロ転がったりするのだが、必死に目を開けようとしても開かないということだけは共通していた。目を開けさえすればここから逃げ出せるとわかっているのに、どうしても身体がいうことを聞いてくれない。

いまとなっては、金縛りを心霊現象として信じている人なんていないだろうが、実際に体験してみるとけっこう怖い。特に、だれだかよくわからない人に袈裟固めをきめられたりするのは怖かった。当時はまだバリバリのオカルトビリーバーだったから、もしかしたら何かよくないものが自分に憑いているのではないかと思ったくらいだ。

つまりは、こういう無知さが世の中の心霊現象を作り出してきたということだろう。科学が発達していなかった時代は、説明のつかないことはすべて心霊現象として片付けられてきたが、これから科学的な解明が進んでいけば、心霊現象もそれにつれて減ってくるだろう。

ただし、どんなに科学が進んでも、人間の心からオカルトを求める気持ちがなくなることはないだろう。すべて理屈で説明できる世の中なんて面白くもなんともないし、そもそも夢がない。オカルトと宗教というのは根っこの部分で繋がっていて、精神安定剤みたいな機能を持っているのだと思う。



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