11/06/05

政治家という人種

今回は、前回からの続きで「オカルト的なもの」について書こうと思っていたのだが、内閣不信任案の否決という大きなニュースが飛び込んできたので、こちらを優先して書いてみたい。さすがに、このニュースについてはスルーするわけにもいかない。オカルトについてはまた次回ということでご容赦を。

内閣不信任案が提出されたときには、これでようやく民主党も分裂かと思っていた。なにしろ、こちらとしては去年の民主党総裁選のときから、民主党の分裂を予想していたというか期待していたのだ。もっと言えば、民主党が政権を獲ったその瞬間から、民主党の分裂を期待していたのだ。

だから、小沢さんと鳩山さんが不信任案の賛成にまわるというニュースが流れたときには、これでついに暗黒の民主党政権も終わりかと喜んだ。管さんがいつもの短気を起こして解散総選挙に踏み切れば、間違いなく民主党は惨敗するからだ。しかし、土壇場になって状況が一変し、結局は管さんの続投が決まった。

いったい、この茶番劇は何なのだろうか。今回の騒動で、いったいだれが得をしたのだろうか。管さんは首がつながったとはいえ、辞任を前提としての続投だし、鳩山さんも管さんとの認識の違いでグダグダになっているし、小沢さんにしても振り上げたコブシをどこに降ろせばいいのかわからない状況になっている。

不信任案を提出した野党にしたって、結局は大差で否決されるしで、結局のところだれが勝者でだれが敗者なのかよくわからない。すべての陣営が敗者なのではないかとすら思えてくる。そして、今回の騒動で一番迷惑しているのは被災者だろう。だれも得をせず、被災者にだけしわ寄せが来る政治って、いったい何なんだろうか。

それにしても、ここまで叩かれても総理の座にしがみつく管さんの気持ちもよくわからない。自分が管さんと同じ立場だったら、これ幸いとばかりに総理の座から降りるところだ。どんなに頑張ったところで、いまの状況ではだれも評価してくれないだろう。だったら、早いところ降りたほうが身のためだ。

しかし、意地でも総理の座を守ろうとする管さんを見ていると、それほどまでに権力の座というのは魅力的なものなのかと思えてくる。まあ、ここであっさりと降りてしまうような人間なら、最初から総理になんてなっていないだろうし(あっさりと降りた総理もいたけれど)、そもそも政治家にすらなっていないだろう。

こういう騒動を見るにつけ、政治家という人種は、自分たち一般人とはまったく違った人種なんだと改めて思う。何というか、面の皮が厚いというか、心臓に毛が生えているというか、とにかくいい意味でも悪い意味でも、一般人が持つ繊細さとはまったく関係のない世界で生きているような気がしてならない。

それを一番強く感じるのが、街頭での選挙活動を見るときだ。道行く人はほとんど反応を見せないのに、一人でマイクを持って大声でがなりたてる神経は本当にすごいと思う。自分の名前を延々と連呼しているだけという人も多いが、よくこんなことができるものだと思う。これは何かの罰ゲームですかと訊きたくなる。

これは、国政選挙みたいな大きな選挙に限らず、市議会議員選挙みたいな小さな選挙でも同じことだ。むしろ、市議会議員の方が、駅前などでマメに活動している。ほとんどの人に無視をされながら、それでも何事もないように延々と一人で演説を続けるなんて、自分には絶対にできない。

市議会議員ですらこうなんだから、国会議員ともなればもっと神経が図太いのだろう。そうでなければ、あんなに叩かれてまで政治家を続けようという気にはならないと思う。どんなに叩かれても、右から左に聞き流せるような図太い神経を持っていなければ、政治家という仕事は勤まらない。

もし自分が政治家になってボロボロに叩かれたとしたら、きっとすぐに電車に飛び込むと思う。なにしろ、人一倍打たれ弱い人間だから、そういう攻撃には耐えられない。というか、そもそも街頭演説ができないと思う。みんなにガン無視されながら演説するくらいなら、そのまま電車に飛び込んだほうがマシだ。

しかし、政治家という人種がこの世の中に必要だというのは間違いのない事実だ。管さんや鳩山さんや小沢さんがいまの政治に必要かどうかは微妙なところだが、少なくとも、この人たちが日本の政治を動かしてきたという事実は否定できない。願わくば、正しい方向に舵を取ってほしいものだ。



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