11/05/29

オカルト的なもの

関東地方がいきなり梅雨入りしたらしい。今年は春先までぐずぐずと寒い日が続き、ようやく暖かくなったと思ったらもう梅雨だ。桜が咲いてから梅雨入りするまでの時季を「天国に一番近い季節」と勝手に呼んでいるのだが、一年で一番気持ちのいい季節が今年はあっという間に終わってしまって、ものすごく悲しい。

そんな前フリとはまったく関係なく、今回は精神世界のことについて書いてみたい。もっと俗っぽくいうならば「オカルト」的なことだ。前回の覚書で天国のことについて書いたので、ちょっとそっち方面のことに対する自分の考え方みたいなものをまとめてみたくなった。

まずは、オカルト的なものに対する自分の考え方の変遷をまとめてみる。オカルトに興味を持ったのは小学生の頃で、この頃は心霊現象とか超能力とかUFOなどが大好物だった。まあ、ほとんどの子供がオカルトは大好きだと思う。オカルトなんて非科学的なことには興味ないね、と鼻で笑うような子供なんてロクなもんじゃない。

当然ながら、こうした不思議なことはすべて真実なんだと信じ込んでいた。なんたって、「小学5年生」みたいな雑誌にもオカルトの記事が堂々と載っていたくらいだから、純粋な子供ならだれだって信じてしまう。そんな純粋な時代が大学を卒業する頃くらいまで続いた。

そんな自分がオカルトに対して懐疑的になったきっかけは、当時大ブームを巻き起こしていたMr. マリックのインチキを暴いた本を読んだことだ。マリックさんの見事な超魔術ショーを見て、「これはすごい、この人は本物だ」などとバカ丸出しで信じていたから、この暴露本を読んだときにはその反動で一気に懐疑的になったというわけだ。

それからは、オカルト的なものに関するいろんな本を読んだ。その結果、この世の中のオカルト的なものは、そのほとんどがインチキか単なる思い込みに過ぎないという結論に達した。オカルト懐疑派というよりは、オカルト全否定派になったと言ってもいいかもしれない。

しかし、最近になってまたこの考え方が微妙に変わってきている。基本的な姿勢としては変わってはいないのだが、オカルト的なものを頭から全否定するのもなんだか夢がないと思うようになってきた。科学で解明されていないことなんてそれこそ山のようにあるわけだから、その中にオカルト的なものの可能性を見つけていくのも面白い。

ということで、基本的にはオカルトに対して懐疑的だが、もし納得できるような材料があれば頭から否定することはないよ、というのがいまの考え方だ。それを踏まえて、本題に入っていこう。一口にオカルトと言ってもいろんなジャンルがあるから、ここでは代表的なものだけを選んで書いてみたい。

UFOについて
UFOに対する自分の考え方は07/12/23の覚書で書いたので、ここで改めてくどくど書くことはしないが、エイリアンクラフトとしてのUFOなんて議論にすら値しないと考えている。もちろん、宇宙のどこかに知的生命体が存在するという可能性は否定しないが、そうした生命体が地球に飛来しているなんてことは絶対にない。

超能力について
超能力といってもさまざまなものがあるが、とりあえずそのほとんどがインチキだと断言してもいいと思う。透視だとかテレパシーだとか空中浮遊だとか、あまりにも荒唐無稽なものばかりで笑ってしまう。しかし、「ほとんどがインチキ」ということは、インチキではないものもほんの少しはあるかもしれないということだ。

そのひとつが、いわゆる「スプーン曲げ」だ。もちろん、これにもいろいろなトリックが存在するから、そのほとんどがインチキだとは思うが、どうしてもトリックでは説明のつかないスプーン曲げもある。たとえば、スプーン曲げの第一人者(?)である清田氏の場合がそうだ。

清田氏は、科学者やマジシャンが立会った場でスプーン曲げを披露したこともあるようだが、明確にトリックだと見抜けた人はいまだにいないらしい。彼の場合、テレビ番組でインチキを暴かれた過去があるから、どうしてもそのイメージがつきまとうが、ひょっとしたらと期待する気持ちもなくはない。

ただ、どうしてスプーンなのかという疑問は残る。ときどきは鍵などの金属を曲げることもあるようだが、いかにも曲げやすい形のスプーンばかりを選ぶところに胡散臭いものは感じる。別に金属にこだわる必要はないから、木材みたいなものを曲げたり折ったりしてくれればいいのにと思う。

予知や予言について
予知や予言についても、そのほとんどがデタラメだと断言してもいいと思う。XX年XX月XX日にどこどこで大きな地震が起きる、みたいな予言はいままでに腐るほど出てきたが、どれ一つとして当たったためしがない。当たったとされる予言だって、どうとでも解釈できるあいまいなものばかりで、ピタリと当てたものはまず存在しない。

しかし、時間的にもっと近い未来を予知する能力については、おそらく存在すると思う。たとえば、交差点を渡ろうとしている人を見て、この人は事故に遭うかもしれないと直感的に感じ、そのまま見ていたら脇から出てきた車に接触した、みたいなケースだ。予知というよりは、虫の知らせに近いかもしれない。

こういう人というのは意外に多くて、○○さんの予感はよく当たる、みたいに近所の話題になることもある。本人もその気になって、もしかしたらおれって超能力者なんじゃね? テレビとかに出れんじゃね? みたいな気持ちになってくる。しかし、この場合も合理的な説明ができないこともない。

この場合は、脇から走ってくる車の存在を無意識に捉えていたのだろう。あるいは、無意識のうちに車の音を捉えていたのかもしれない。そうした状態で交差点を渡ろうとしている人を見たわけだから、直感的に危ないと感じても不思議ではない。ただ、本人としてはこうしたことはまったく意識していないわけだから、不思議に感じるわけだ。

まあ、このあたりの能力は予知というよりも観察力に依るところが大きいのだろう。自分でも無意識のうちに周囲の情報を瞬時に収集し、それに基づいて目の前で起きようとしていることを予測しているだけだ。鋭い観察力とそれを瞬時に分析する能力はたしかにすごいとは思うが、それを超能力と呼べるかどうかは疑問だ。

また、予知が当たったケース以上に、外れたケースもあるはずだ。しかし、外れた場合というのはそのまま記憶から消え去り、当たったケースだけが記憶に残るから、まるでいつも予知が当たっているような錯覚に陥る。本当に予知能力があるかどうかは、外れたケースも含めてトータルで判断する必要がある。

ということで、思いつくままに書いていたら、まとまりもなくダラダラと長いだけの文章になってしまった。超能力なんて要らないから、もっと論理的で簡潔な文章を書く能力がほしい。うまくオチがついたところで、今回はひとまずこれで終わり。続きはまた次回に書きます。



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