11/05/22

どうやら天国は存在しないらしい

物理学者のホーキング博士が天国の存在を否定したことが、海の向こうで大きな話題になっているらしい。博士によれば「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界」だということだ。

よく考えれば、いや、よく考えなくても、これはごく当たり前の考え方だと思うのだが、キリスト教社会の欧米ではかなりショッキングな考え方として受け止められているようだ。西洋合理主義という思想が生まれた欧米において、こういう非論理的な宗教的思想にとらわれている人が多いという事実はなんだか不思議だ。

以前から疑問に思っているのだが、こういう熱心なキリスト教徒は、天国に限らず、本当にキリスト教そのものを信じているのだろうか。もっと具体的に言えば、本当に聖書の内容を信じているのだろうか。この世のすべての出来事には神の意志が働いていると、本気で思っているのだろうか。

自分にはキリスト教徒の知り合いはいないので、こういうことを尋ねる機会はないのだけれど、日本人が考える以上に、欧米社会にはキリスト教が深く根付いているということは感じる。それを最も強く感じるのが、ペーパーバックを読んでいるときだ。とにかく、やたらとキリスト教をテーマにした作品が多い。

純文学だけでなく、たとえばミステリーなどのエンターテインメント系の小説でも、キリスト教がひょこひょこ顔を出してくる。どの小説でも当たり前のように宗教が出てくるなんて、日本ではちょっと考えられない。特別に信心深い人でなくても、キリスト教が広く人々の間に根付いているという証拠だろう。

無宗教の人間が多い日本では、神様よりも仏様を敬う傾向が強いように感じる。日本人にも熱心なクリスチャンはいるからこうした人たちは別にすると、天国の神様に祈りを捧げる人よりも、墓前の仏様に祈りを捧げる人のほうが圧倒的に多い。しかし、これには特別に宗教的な意味はないような気がする。

ご先祖様を粗末にすると罰が当たるとか、何かの祟りがあるとか、そういう意味でお墓参りや法事などをする人もいるとは思うが、そういう後ろ向きの理由で仏様に接している人は多くないだろう。まあ、こうした後ろ向きな人たちが、霊感商法やインチキ霊能師に引っかかったりするわけだ。

そうではなく、ご先祖様を大事にすることによって、自分の家族も大事にできる、といった気持ちのほうが強いと思う。あるいは、仏壇にはいつもお供え物を欠かさないとか、お彼岸には必ずお墓参りをするという人は、そうした行動によって自分自身を律する、みたいな意味もあるのだと思う。

仏壇のお供え物を仏様が実際に食べているとか、お墓参りのお祈りの言葉が草葉の陰の仏様に届いているとか、そんなことを本気で考えている人なんていないだろう。このあたりが、天国や神様の存在を本気で信じているクリスチャンとは大きく違っている部分だと思う。

ということで、自分も当然ながら天国の存在なんて信じていない。人間は死んでしまったらそれっきりで、その後は天国も地獄もなくて、ましてや輪廻転生なんかもあるわけなくて、あるのはただ絶対的な「無」だけだと思う。肉体は滅びても魂だけは残るなんて、そんな都合のいい考え方が入る隙などないくらいの絶対的な「無」だと思う。

しかし、最近になって、もう少し死後の世界に夢を持ちたいと考えるようになってきた。絶対的な無しか残らないというのでは、やっぱり少しばかり寂しい。それに、絶対的な無など、そもそも存在するのかという疑問もある。たとえば、時間的あるいは空間的に絶対的な無など存在するのだろうか。

この世はいつ始まったのかを考えるとき、いったい時間をどこまで遡ればこの世の起源にたどり着けるのだろうか。あるいは、この世の果てを考えるとき、いったい空間をどこまで進んでいけばこの世の果てにたどり着けるのだろうか。こういうことを考えると、絶対的な無なんて存在しないのではないかという気がしてくる。

とはいえ、人間の死を考える場合は、単に固体が死滅するだけの話だから、その後に待っているのはやっぱり「無」しかないのだろうという結論になる。自分の中でもこのあたりのことはうまく整理できていないので、なんだかまとまりのない話になってしまったが、結論としては、どうやら天国は存在しないらしいということだ。



今週の覚書一覧へ

TOP