11/02/27

ジェーン・オースティンの名作「高慢と偏見」の感想を語る

ペーパーバックのページで紹介している作品数がついに400冊に達した。いったいどれくらいの人たちがこのページを見てくれているのか、そもそも見てくれている人がいるのかすらよくわからないが、とりあえずひとつの通過点には違いない。400冊というのもなんだか中途半端なので、とりあえず1,000冊を目指してこれからも読んでいこうと思う。

ということで、記念すべき400冊目のペーパーバックは、ジェーン・オースティンの代表作として有名な「高慢と偏見」ということになった。400冊目にはこれを読もうと決めていたわけではなく、399冊目に読んだ「エマ」がたまたま面白かったので、同じ作者の作品を続けて読んでみようと思っただけのことだ。

しかし、これが思いがけずに面白かった。あのサマセット・モームが「世界の十大小説」でこの作品を挙げていることは知っていたから、それなりに期待はしていたのだが、その期待を裏切らない面白さだった。簡単な感想はこちらに書いてあるのだが、きっと誰も読まないだろうから、ここで改めてこの作品について語ってみたい。

まずは、あらすじを以下に紹介しておこう。

5人姉妹の次女のエリザベスは、娘たちの結婚に躍起になる母親と、自分の趣味にふけるマイペースの父親とともに、イングランドの田舎町で静かな生活を送っていた。そんなある日のこと、近所に資産家の独身男性ビングリーが引っ越してくる。母親は早速娘たちをビングリーに引き合わせるが、ビングリーは従順で美しい長女のジェーンとたちまち親しくなる。エリザベスは、ビングリーの友人であるダーシーと知り合うが、ダーシーの高慢で横柄な態度に激しい反感を抱く。そんなエリザベスの前に、遠縁の親戚にあたるコリンズという青年牧師が現れる。コリンズが結婚相手を探していることを知った母親は、なんとかコリンズとエリザベスを結婚させようとするが、エリザベスはコリンズのプロポーズをきっぱりと断ってしまう。ダーシーは、そんなエリザベスに対して密かな恋心を抱くようになる。

思い切り乱暴にまとめると、高慢な青年ダーシーに反感を抱いていたエリザベスが、その反感は自分の偏見から来るものだということに気付き、それが次第にダーシーへの恋心に変わっていくというお話だ。しかし、そこに行き着くまでにいろいろな登場人物がいろいろな形で絡んでくるから、決して単純なラブストーリーということではない。

この作品の素晴らしいところは、とにかく登場人物たちのキャラクター設定がバラエティに富んでいるというところだ。主人公のエリザベスは勝気、姉のジェーンはお人好し、ジェーンの恋人のビングリーは陽気な社交家、ビングリーの友人のダーシーは無愛想で高慢という、なんとも類型的だがわかりやすい設定がいい。

こうした主役たちだけでなく、脇役たちも魅力的だ。愚かなまでにとにかく娘たちを結婚させようと躍起になる母親、若い男性にちやほやされることが大好きな軽薄な妹たち、口だけ達者で中味のないコリンズ、生活のためだけにそんなコリンズと結婚するシャーロットなどなど、どのキャラクターも目に浮かぶようなわかりやすさだ。

しかし、やっぱり主人公のエリザベスとその相手役のダーシーが何と言っても素晴らしい。最初はお互いに反発しあっていたのに、最後には惹かれあっていくなんて、あまりにもラブストリーの王道的な展開で、読んでいてワクワクする。この歳になっても、こういうわかりやすいラブストーリーというのはやっぱり面白い。

それにしても、こういう完成度の高い娯楽小説が19世紀の初頭に存在していたということに驚く。同じ時代の日本文学にはどんなものがあるか調べてみると、「東海道中膝栗毛」や「南総里見八犬伝」などがあるようだ。同じ娯楽小説ではあるが、オースティン氏の小説とは大きく異なる。

オースティン氏の小説は、もちろんストーリー展開も面白いのだが、登場人物たちの巧みな心理描写がその面白さの基礎となっているのに比べて、「南総里見八犬伝」などはストーリー展開の面白さだけで勝負しているところが大きく違う。つまり、小説としての完成度がまったく違うのだ。

などと言いながら、「東海道中膝栗毛」や「南総里見八犬伝」などの作品を古典のまま読んだことはない。子供用にやさしく書き直されたものを読んだだけだ。というか、そもそもこの時代の日本の古典をそのまま読めるような知識も才能もない。この点について言えば、日本語の古典よりも、英語の古典のほうがずっと読みやすい。

日本人でありながら、日本語よりも英語のほうが読みやすいというのもどうかと思うが、事実なのでしかたない。あんなにわけのわからない文章を楽しんでいたなんて、昔の日本人はみんな頭がよかったのだろうと感心する。まあ、英語の古典のほうが読みやすいとはいっても、あくまでも比較した場合の話で、実際には相当に難しい。

たとえば、以下の文章は「高慢と偏見」の書き出しだが、一度読んだだけですんなりと理解できるだろうか。

It is a truth universally acknowledged, that a single man in possesion of a good fortune, must be in want of a wife. However little known the feelings or views of such a man may be on his first entering a neighbourhood, this truth is so well fixed in the minds of the surrounding families, that he is considered as the rightful property of some one or other of their daughters.

この文章などはまだわかりやすいほうで、もっと回りくどい文章が山盛りで出てくる。こういう大げさな文章のことを名文だの美文だのとやたらにほめる人がいるが、自分はまったくそうは思わない。読み手に余分なストレスを与える文章なんて名文でもなんでもない。思い切り乱暴に訳すと、以下のようになる。

裕福な独身男性は決まって結婚相手を探しているものだということは、だれでも知っている真実だ。この真実はどこの家庭でも固定観念のようになっているから、こうした独身男性が近所に引っ越してくると、彼の気持ちや意見などはおかまいなしに、うちの娘の結婚相手にぴったりだわ、などと思い込んでしまうことになる。

こういうわかりにくい文章はできれば勘弁してほしいが、ほとんどの古い小説がこうした回りくどい文章で書かれているので、この時代の流行みたいなものだったのかもしれない。とりあえず、文章は非常に読みにくいけれど、内容は非常に面白いので、機会があったらぜひ読んでみてください。



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