08/12/21

師走の風が吹いてだいぶ寒くなってきたが、世間ではもっと厳しい風が吹いているらしい。テレビでは連日のように派遣切りの報道を流していて、この寒空の下、仕事ばかりではなく住む場所さえ失ってしまう人が後を絶たないという。なんとも厳しい世の中だ。

正直なところ、他人事ではないと感じる。自分も7年ほどフリーのシステムエンジニアとして働いていたから、その不安定さは理解できる。当然ながら、単純労働の派遣作業と比べれば給与は雲泥の差があったが、守ってくれる会社がないという点では、単純労働の派遣もフリーのSEも同じだ。

あの頃は同年代の男子よりも多く稼いでいたから、正社員の人間たちと肩を並べて仕事をしているような気になっていたが、いまから考えれば笑ってしまう。組織の後ろ盾のない人間の場合、正社員の倍の金を稼いでようやく互角だと思う。正社員より多少多く稼いでいるくらいでは、まったく勝負にもならない。

しかし、正社員だからといって安心できる時代でもない。いまは切りやすいところからということで派遣の人間が切られているが、これが落ち着けば次は正社員のリストラが本格的に始まるのだろう。いや、リストラの嵐はすでに吹き始めているのかもしれない。

いまの時代、自分の能力によほど自信がない限り、会社を辞めるべきではないだろう。早期退職勧告に応じれば退職金を上積みすると言われても、絶対に応じるべきではない。特に、大企業に勤めている人間は、どんなことがあっても会社にしがみついたほうがいい。

大企業の社員は、仕事の規模や扱う金額が大きいため、自分のことを仕事ができる優秀な人間だと勘違いしがちだが、実は仕事ができるのは自分の能力のためではなく、会社のシステムがきちんと確立されているためであることが多い。

そんな人間が、自分は仕事ができるからどこにでも転職できるなどと勘違いして早期退職勧告に応じたら、間違いなく悲惨なことになる。一流企業の正社員という肩書きを失った人間は、転職市場では無価値な存在であることに気付いて愕然とするだろう。

自分の場合も、いまの仕事を失ったらどうすればいいのかをいつも考えている。しかし、いくら考えてもハッピーな結論には至らない。07/07/22の覚書にも書いたが、自分には特にアピールできる職歴がないため、結局は零細企業の工場勤務や道路工事の警備員くらいの選択肢しか残らない。

現在の不景気に対する一番の防衛策は、どんな状況になっても困らないくらいの能力を身につけることだと思うが、そんな優秀な人間はほんの一握りだ。エリートビジネスマンを気取って仕事をしている人間だって、運が悪ければすぐに職を失って寒空の下に放り出されることになる。そう、結局はすべて運なのだろうと思う。

この問題については、まだまだ書きたいことはいっぱいあるのだが、なんだかまとまらなくなってきたので、また日を改めて書きたい。とりあえずの結論としては、可能な限りいまの会社にしがみつくのが一番の得策だということだ。間違っても、自分の能力を過信してはいけないと思う。



08/12/14

そろそろ今年のまとめなどを書いておきたい。今年は何を頑張ったかと振り返ってみると、単語の暗記に精を出した一年だったと思う。今年の初めに単語カードという史上最強の単語暗記ツールを手にしてからというもの、まるで何かを覚えたサルのように単語の暗記に明け暮れた。

これまでに1組90枚綴りの単語カードを22組暗記したので、合計で1980語を暗記した計算になる。1組90枚といいながら、実際には95枚前後あるので、2000語を暗記したといっても差し支えないだろう。しかし、覚えるだけならそれほど大変ではない。一番大変なのは、暗記した単語をいかに忘れないようにするかである。

このあたりも単語カードというツールは優れていて、出かけるときにポケットに忍ばせておけば、ちょっとした空き時間にいつでも復習できる。自分の場合、トイレの個室や就寝前のベッドなどを利用して復習している。そのおかげで、いまだに100%に近い記憶保持率だ。

肝心の単語はどうやって暗記するのかといえば、これまでに何度も紹介しているとおり、語呂合わせで暗記している。何度も書いて覚えたり、繰り返し発音して覚えるなど、いろんな方法があると思うが、こういった方法はその大変な労力の割には効果が薄いと思う。

基本的な単語の場合、スペルも発音も正確に覚える必要があるから、こういう大変な思いをして覚えるしかないが、遭遇する頻度が少ない難しい単語の場合は、自分で書いたり話したりする必要はなく、読んだり聞いたりしたときに意味が思い浮かぶ程度で充分だ。

そういう意味では、語呂合わせという方法は効果的だと思う。スペルも発音もそれほど気にせず、だいたいの雰囲気だけおさえておけばいい。少なくとも自分は語呂合わせという方法だけで人並み以上の語彙力を獲得したわけだから、それなりに効果はあると思う。

というわけで、今年の素敵な新作語呂を発表してみたい。

単語: comeuppance 意味: 当然の報い 語呂: 「カマ、パンストが伝線するのは当然の報い
この「カマ」というのは「オカマ」という意味だ。毛深いオカマが女装しようとパンストを穿くのだが、すね毛の手入れを怠ったために、その剛毛がパンストに引っかかって伝線してしまった情景を思い浮かべてほしい。普段の手入れを怠ると、当然の報いとしてパンストが伝線するというわけだ。

単語: subsistence 意味: 最低限の生活 語呂: 「寂しいっす、タンスひとつの最低限の生活は」
これは、リストラされた独り身のおじさんが寂しそうにつぶやいている情景を思い浮かべてほしい。折からの不景気でどこにも転職できず、金目のものはすべて売ってしまい、部屋に残ったのはわずかな衣類が入ったタンスだけ。そんなおじさんが「寂しいっす」とつぶやいているわけだ。

この調子で書いていくとキリがないので、これくらいにしておこう。というか、我ながらあまりのくだらなさに思わずめまいがしそうだ。この2つの語呂は、こうして紹介するくらいだからかなりの自信作である。その自信作でさえこの程度の出来だから、そのほかの語呂のレベルは推して知るべしだ。

ということで、来年も単語カードと語呂合わせを駆使して、単語の暗記に励んでいきたい。英検を受験したことにより、自分には英会話のセンスが皆無だということを痛感したので、英会話の習得はあきらめた。その分のパワーを、単語の暗記に向けていきたい。



08/12/07

楽しみに待っていたのに、結局我が家に裁判員の当選通知は送られてこなかった。約350人に1人の割合で通知が発送されるということで、もしかしたら自分のところにも来るかもしれないとワクワクテカテカしながら待っていたのだが、今回はどうやら落選したようだ。

世間の反応としては、迷惑だ、面倒くさい、責任が重い、などの理由で裁判員にはなりたくないと考えている人が多いようだ。この気持ちはわからなくもないが、せっかくのチャンスなのにもったいないとも思う。自分だったら、喜び勇んで裁判員になるだろう。

本を読むときなど、自分はとにかく裁判ものが大好物で、法廷シーンが描かれている小説ならそれだけでドンブリ飯3杯はいける。裁判の傍聴記録を綴ったノンフィクションはさらに大好物で、ドンブリ飯5杯は軽い。これで、裁判員として実際の法廷を見ることができたら、いったいドンブリ飯何杯になるのか、自分でも怖いくらいだ。

定年退職になって毎日が日曜日という生活になったら、裁判所に毎日出かけて面白そうな事件を傍聴しようといまから考えている。なので、今回の裁判員制度は、自分にとっては大歓迎の制度なのだ。あのお堅い司法界が、よくぞここまでの大改革に踏み切ったものだと思う。

裁判員制度の一番の利点は、国民の常識的な意識が判決に反映されるということだろう。重大事件の判決を見て、どうしてこんなに軽い(または重い)判決になるのかと疑問に感じることは少なくないが、このあたりが裁判官と一般人との意識の差だと思う。

裁判官という人間は、学生時代から一生懸命に勉強して司法試験に合格し、そのまま司法界で生きてきた人間がほとんどだろうから、一般の人間とはやはりどこかズレた感覚を持っている人が多いのではないか。よく言えば世間擦れしていない、悪く言えばちょっとズレている、そんな感じの人が少なくないのではないか。よくは知らんけど。

ということで、裁判に一般の国民が参加して、世間一般の常識的な意識を法廷の場に持ち込むということは大きな意味があると思う。たしかに面倒なこともあるのだろうが、滅多にないチャンスなのだから、選ばれた人はぜひとも積極的に参加してほしいと思う。

一生のうち、裁判員に選ばれる確率は67人に1人らしい。これくらいの確率ならば、気長に待っていればそのうち当たりそうな気がする。死刑や無期懲役の判決を自分たちで協議して決めるというのはたしかに重荷だが、だからこそ真剣に考えることになるわけだから、いろいろと学ぶことも多いだろう。いつかはぜひとも参加してみたい。



08/11/30

予想通り、英検1級2次試験に落ちた。しかも、見事に最低点での不合格だ。合格点は100点満点の60点以上で、60点未満は59〜46点が不合格A、45〜33点が不合格B、32点から20点が不合格Cと分類され、不合格Cより下の分類はない。

 分野  得点  満点
 セクション1  6  30
 セクション2  6  30
 セクション3  4  20
 セクション4  4  20
 合計  20  100

つまり、この20点という得点は、実質的に0点と同じということだ。これには当然ながら理由があって、面接試験の開始早々にギブアップして途中退場してしまったからだ。面接試験を受けていないから採点のしようがなく、こういう得点になってしまったというわけだ。

過去問をパラパラと見た限りでは、5つあるトピックの中で1つはなんとかなりそうなトピックが必ずあることに気付いた自分は、そのトピックを急いで探し、残りの時間で話すべきポイントを3つ考えればなんとかスピーチの形になると考え、本番もこの作戦で臨んだ。

しかし、実際にトピックを渡されてみると、話せそうなトピックが1つもない。それでも無理矢理トピックを選んで、3つのポイントを必死に考えるのだが、これが見事に何も思い浮かばない。3つのポイントどころか、1つのポイントすら浮かばないのだ。そうこうするうちにタイムアップとなった。

面接官から、それではスピーチを始めてくださいと言われ、困り果てた自分は、"Sorry, there is no topic I want to talk about. I give up." と早々に白旗を揚げて退散した。面接官もさすがに驚いたような顔をしていたが、一番驚いたのは自分自身だ。もう少し根性を見せたらどうだ、おれ。

我ながら、英会話に対するこの異常なまでの苦手意識はいかんともしがたい。いままでに英会話を勉強したことなどほとんどないから、話せないのは当然といえば当然なのだが、どうしたら話せるようになるのかすらわからない。英会話の勉強法に関する書籍やサイトなどもいくつか見たことがあるが、この方法ならと思えるものはなかった。

正直なところ、英会話ができる人はうらやましい。外人さんを相手に堂々と英語で話している人を見ると、カッコいいと思う。それと同時に、自分は一生かかっても英語を話せるようにはならないだろうと感じる。おそらく、話すためのセンスや才能といったものが、自分には決定的に欠けているのだろうと思う。

ということで、はじめての英検1級受験は、1次試験2次試験ともに惨敗という結果で終わった。これから先、1次試験はもう一度受けるかもしれないが、2次試験を受けることは絶対にないだろう。英会話に対する消しがたいコンプレックスを抱えながら、これからの人生を歩んでいきたい。



08/11/24

突然だが、富士山が見えなくなった。よく晴れた冬の日には窓から富士山がきれいに見えていたのだが、その富士山が見えなくなった。駅前に背の高いタワーマンションが建ったせいで、いままでは正面に見えていた富士山が、マンションの影にすっぽりと入ってしまったのだ。

正確には、富士山の左側の裾野だけは見える。雪で白くなった山頂部分もわずかだが見える。しかし、肝心な部分をモザイクで隠されたような感じで、まったく絵にならない。いっそのこと、すべて見えなくなったほうが絵的には美しいし、気持ちとしても落ち着く。

朝起きて窓の向こうにきれいな富士山が見えたり、夕方帰ってきて夕焼けに赤く染まった富士山が見えると、それだけでなんだか嬉しくなれたのだが、これからはもうそんな気分を味わうことはできない。富士山がタワーマンションに化けるなんて、興ざめもいいところだ。

ということで、このタワーマンションにはちょっとだけ不愉快な感情を抱いている。街中を散歩していると、「高層マンション建設は絶対反対!」などと書かれた幟をよく目にするが、ああいう人たちの気持ちがほんの少しだけ理解できるような気がする今日この頃。

住環境が大きく変わるということは、その場所に長く住んでいる人間にとっては大きな脅威になるのだろう。いままで快適に暮らしていたのに、いきなり背の高いマンションから見下ろされたり、日当たりが悪くなったりすれば、たしかに誰しも反対したくなるだろう。

しかし、法律に違反した建設でなければ、建設会社を責めるわけにはいかない。建設会社だって慈善事業でマンションを建てているわけではなく、建てる以上は利益を出さなければならないわけだから、法律の許す範囲内でできるだけ背の高いマンションを建てるのは当然のことだ。

「高層マンション建設は絶対反対!」などと叫ぶ人たちは、自分の土地だけでなく、その周りの環境も自分のものだと勘違いしているのではないか。先に住んでいる自分たちにこそ、住環境を独占する権利があると勝手に思い込んでいるのではないか。だとしたら、それは傲慢な考え方だと思う。

その土地が高層マンションの建設を許されている土地であれば、いくら反対したところでどうにもならない。どうしても高層マンションに反対ならば、そもそもそんな土地に住むこと自体が間違っている。最初から、絶対に高層マンションの建たない第一種低層住居専用地域に住むべきだった。

ということで、自分の場合も、富士山が見えなくなったからといってタワーマンションを恨んではいけないのだろう。しかし、いままで当たり前に見えていたものが突然見えなくなるというのは、やっぱり納得できない。これからずっと富士山の切れ端を眺めることになるのかと考えると、どうにも悲しい。



08/11/16

自分は甘いものが苦手なので、お菓子などの類はめったに食べないのだが、缶コーヒーだけはたまに飲む。仕事中に疲れや眠気を感じたときなど、缶コーヒーのカフェインに少しばかりの覚醒効果を期待して飲むのだが、あのいやらしい甘さにはいつも閉口する。

飲むときには微糖の缶コーヒーを飲むのだが、微糖のくせにやたらと甘い。微糖でもこれだけ甘いのだから、普通の缶コーヒーは死ぬほど甘いのだろう。缶コーヒーを飲んで死んだら嫌なので、とりあえず微糖を飲んでいるわけだが、口の中にネバネバとした感覚がいつまでも残るのが困る。

だったら無糖のものを飲めばいいだろうということになるが、これはこれでまずい。もちろん、あのいやらしいネバネバとした感覚は残らないものの、今度はすっぱいような感覚が残ってしまい、これもいただけない。同じまずい飲み物ならば、少しは疲労回復を期待できる微糖を飲むことになる。

そもそも、自分はコーヒーがあまり好きではないのだろうと思う。レストランでランチを注文するときに食後の飲み物としていつもオーダーするのはコーヒーだが、これもコーヒーが好きだから注文しているわけではなく、ほかに飲みたいものがないからという消極的な理由にすぎない。

そもそも、食後の飲み物は冷たい水が一番だと思っている。食事の後に濃い味の飲み物を飲むというのは、自分としてはちょっとおかしな行為だと感じてしまう。なので、食後のコーヒーを飲んだ後も、最後は必ず冷たい水で口の中を洗わないと気が済まない。

ただ、コーヒーが美味いと感じる場合もある。それは、夕方4時か5時くらいの少し空腹を感じるような時間帯に飲むブラックのホットコーヒーだ。満腹状態で飲むコーヒーは一度も美味いと感じたことはないが、空腹時に飲むコーヒーはなぜか美味いと感じる。

これは、なにも喫茶店のコーヒーである必要はなく、自動販売機のコーヒーでも充分だ。ただし、その場合は缶コーヒーではなく、紙コップに入って出てくるコーヒーに限る。取り出し口に置かれた紙コップにコーヒーが上からウィーンと注がれるあのタイプだ。あんなコーヒーでも充分に美味い。

こう考えてみると、缶コーヒーはコーヒーとはいいながら、実際にはコーヒーとは似て非なるものだということになるのだろうか。同じコーヒー豆を使っているはずなのに、どうしてあれほど味が違ってくるのか不思議だ。結論としては、缶コーヒーの微糖は少しも微糖ではないということだ。



08/11/09

再来年のNHK大河ドラマの主役に、坂本竜馬役として福山雅治が決まったらしい。自分は坂本竜馬の大ファンで、なおかつ福山雅治の大ファンでもあるから、このニュースはまるで盆と正月がいっぺんに来たような感じだ。ドラマははほとんど観ないが、これだけは毎週欠かさず観ようといまから決心している。

坂本竜馬と福山雅治のファンになったのはほとんど同じくらいの時期で、27歳から28歳くらいのときだったと思う。竜馬のファンになったきっかけは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を知り合いから勧められて読んだことだ。文庫本で全8巻の長編だが、本当に面白くて一気に読んでしまった。

男子たるもの、「竜馬がゆく」を読んで何も感じない人間はいないだろう。男として生まれてきたからには、多少なりとも竜馬のように生きてみたいと誰でも思うのではないか。自分の場合、竜馬のように生きてみたいと思うだけで、まったく行動が伴わないのが悲しい。

福山雅治のファンになったきっかけは、たまたま聴いたFMラジオだった。それまではたまにドラマで見かけるくらいで、そのときは生意気そうなヤツだな、くらいの印象しかなかったのだが、ラジオで聴く福山のトークは抜群に面白くて、一気にファンになってしまった。

いまは、東京FMで日曜の16時から放送している番組をよく聴いている。テレビでしか福山雅治を見たことがない人がこの番組を聴くと、おそらくそのギャップに驚くのではないかと思う。下ネタ満載のトークは、いつ聴いても面白い。ミュージシャンとしてよりも、DJとしての才能のほうがあるのではないかと思うくらいだ。

ということで、坂本竜馬を福山雅治が演じるということは自分にとっては嬉しいのだが、やっぱり福山では竜馬のイメージとは違う気がする。いままで何人か竜馬を演じた俳優を見てきたが、自分が描く竜馬のイメージと一番近かったのは、上川隆也が演じる竜馬だった。

江口洋介が演じる竜馬も、なかなかよかった。比較的ガッチリとした体格も、竜馬のイメージに合っていたと思う。逆に、今年の大河ドラマで竜馬を演じている玉木宏はいただけない。彼の場合は身体が細すぎて、竜馬を演じるにはあまりにも見た目が貧相だ。

そういう意味では、福山も竜馬を演じるには少しばかり線が細い。もう少し太ってくれると印象も違ってくるのだろうが、太った福山というのも、ファンとしては複雑ではある。それよりもっと大きな問題は、福山は演技がヘタだということだ。あの硬い演技で、本当に大河ドラマの主役を張れるのだろうか。それがものすごく心配だ。

なにはともあれ、やると決まった以上は頑張ってもらいたい。おそらくあの硬い演技で「〜ぜよ」みたいなセリフを言うのだろうが、思わず「プ」なんて吹いてしまいそうな気がする。いろんな意味で、いまから楽しみだ。福山ファンとしてできるだけ生暖かく見守っていきたい。



08/11/02

英検1級1次試験の合否結果をWebで確認した。前回の覚書では「目をつぶっても受かる」などと不遜なことを書いたが、ここで最初に謝っておこう。調子に乗って偉そうなことを書いてしまい、正直スマンかった。さすがに英検1級、それほど簡単な試験ではなかった。

今回は適当に別の話題でも書いて、英検の結果などすっとぼけようかとも考えたのだが、それはさすがに人間としていかがなものかと思い直し、恥を忍んで試験の結果を公表することにした。どうしてあんなことを書いてしまったのか、後悔先に立たずである。

 分野  配点  得点  得点率(%)  平均点
 合格  全体
 語彙・熟語・文法  25  23  92  15  12
 読解  空欄補充  6  6  100  5  5
 内容把握  20  20  100  18  14
 リスニング  会話文  14  14  100  12  9
 一般文  20  14  70  15  12
 作文  28  16  57.1  19  14
 合計  113  93  82.3  84  66

散々偉そうなことを吹いておきながら、肝心の結果がこれである。ちなみに、今回の合格最低点は79点らしい。93点という数字だけを見るとまずまずに思えるかもしれないが、自分としては「惨敗」に近い数字だ。前回の覚書では96点と予想したが、内心では100点オーバーも可能だろうと踏んでいたのだ。

とりあえず、各パート別に振り返ってみたい。まずは語彙のパートだが、かなり難しかった。間違ったのは苦手な熟語の2問だけだが、単語も完璧というわけではく、消去法で正解を導き出した設問が2問あった。4つの選択肢のうち3つは知っている単語だったので正解できたが、未知の単語を正解としてマークするのは不安なものだ。

読解のパートは特に問題はなかった。合格者の平均点を見てもわかるとおり、このパートは満点を取ってあたりまえのサービス問題だと思う。時間がかかる割には配点が低いという、なんとも効率の悪いパートだが、ここで大きく取りこぼすようでは合格は遠い。

リスニングパートは意外に得点できた。自分はリスニングが大の苦手で、今回の試験でも一番の難関だと思っていた。とにかく、後戻りできないのが辛い。もう少し時間があれば正解できそうな気がする問題でも、勝手にナレーションが進んでしまうのが困る。その苦手なリスニングで28点というのはまずまずだ。

最後の英作文だが、この得点は激しくショックだ。自分では英作文は得意だと思い込んでいただけに、この6割にも満たない得点を最初に見たときには、何かの間違いだろうと思ったくらいだ。英作文の解答用紙は別になっているから、誰かの解答用紙と間違って採点されたのではないか、などとあり得ないことを考えるくらいにショックだった。

冷静になって敗因を考えてみると、はじめての受験にも関わらず、ハナからなめてかかっていたことが一番大きいと思う。字数制限や3つのトピックを盛り込むなどのフォーマットさえ守って書けば、大きな文法ミスがない限り8割くらいは簡単に取れるものと勝手に思い込んでいたのだ。

しかし、この結果を見る限りでは、英作文の内容が大きなウェイトを占めていることがわかる。自分の場合、導入部+3つのトピック+結論という単純な構成で、頭の悪い高校生が書く作文程度の内容しか書かなかったので、それが大きく影響したのだろう。

ということで、初の英検1級受験は、自分としては惨敗に終わった。これが自分の実力なんだと言われれば納得するしかないが、自分の実力はこんなものではないという気持ちも当然ながら強くある。近い将来、もう一度1次試験から受験し直すべきかどうか、真剣に検討しているところだ。



08/10/19

こそっと、英検などを受けてみることにした。別にこそこそする必要はないのだが、若い衆に混じっていまさら英検を受けるというのもなんだか恥ずかしい。恥ずかしいけど、41歳のおじさんが受けても悪いということはないだろう。ということで、英検1級を受けることにした。

英検は、中学2年のときに4級に合格したきりで、それ以来受けていない。いや、正確には、英語の独習を始めてから半年くらい経ったときに(27歳のときだったと思う)、準1級を受けたことがある。このときは、1次試験は受かったのだが、2次試験で不合格Aになってしまい、それ以来受けていない。

別に自慢するわけではないが(などと言いながら、実は思い切り自慢だが)、英検1級の1次試験など、いまの自分にとっては楽勝で受かると思う。おそらく、目をつぶっても受かるだろう。いや、さすがに両目を閉じたら受からないだろうから、片目を閉じていても受かる、くらいにしておこう。

ということで、ここで1次試験の点数をパート別に予想しておくことにしよう。過去問は何度か解いてみたから、大体の予想はできる。こんなところで予想など書いて、大きくはずしてしまったらカッコ悪いような気もするが、それはそれで面白いかもしれない。

まずは語彙問題だが、このパートは25点満点中の24点と予想しておく。本当はカッコよく満点を取ると宣言しておきたいところだが、5問ほどある熟語の問題がどうにも自信がない。必ず1問は勘を頼りにマークしてしまう問題があるのだ。なので、ここは控えめに1問は落とすと予想しておく。

次の長文読解のパートは、当然ながら満点を取ると宣言しておこう。いやしくも英検1級を受けようという人間が、このパートで取りこぼしていたらお話にならない。などと言いながら、過去問を解いたときにもけっこうケアレスミスがあったので、本当は若干不安が残る。

予想が難しいのが、英作文のパートだ。これは語彙や読解のパートとは違い、採点する人の主観で得点が決まってしまうから、何を基準にして得点を予想すべきかよくわからない。とりあえず、8割くらい得点できると計算すると、このパートは22点という予想になる。

最後のリスニングパートが、自分にとっては1番の難関だ。正直なところ、このパートはまったく自信がない。最後まで集中力を切らさなければ、そこそこの点数は取れると思うが、1度でも切れてしまうと、たちまちリズムを崩して悲惨なことになってしまう。とりあえず、このパートは7割くらいの得点(24点)と予想しておこう。

ということで、すべてのパートの得点を合計すると、予想得点は96点ということになる。満点が113点だから、約85%の正答率だ。合格のボーダーラインが約70%の正答率らしいから、かなり余裕がある計算になる。本当にこのとおりの結果になるかどうかはわからないが、それほど大きくずれることはないと思う。

ということで、1次試験は絶対に受かる自信があるのだが、2次試験は絶対に受からない自信がある。あんな小難しいテーマでスピーチをしろなんて、日本語でも難しいのに、英語で話せるわけがない。ということで、2次試験の対策は何もしていない。というか何をしていいのかすらわからない。そんな状態で、これから午後の1次試験に行ってきます。



08/10/12

今年はノーベル賞の受賞者が日本から一気に4人も誕生したらしい。特にノーベル物理学賞なんて、受賞枠の3人すべてを日本人が独占したというのだから素敵だ。日本人研究者もすごいではないか、日本もまだまだ捨てたもんじゃない、などと思った人も多いだろう。

しかし、これまでの長い歴史の中で、日本人の受賞者は今回の4人を合わせてもたったの15人しかいない。受賞者数のトップはもちろんアメリカで300人以上、2位のイギリスも100人を超える受賞者がいる。この数を見ると欧米偏重の賞であることは明白で、なんだかなあ、という気はする。

それはともかく、もっと納得できないのがノーベル文学賞だ。物理学、化学、医学といった自然科学の分野であれば、その研究がもたらした効果を客観的に評価することは可能だと思うが、文学の優劣や功績を客観的に評価することは可能だろうか。そもそも、文学を客観的に評価することに何が意味があるのだろうか。

小説は読んだ人がどう感じるかが一番重要で、他人の評価などまったく必要ない。同じ作品であっても読む人によって評価がさまざまに分かれるのが小説だと思うし、逆に言えば、すべての評価が一致する作品なんて、思い切り駄作である場合以外にはありえない。

極端なことを言えば、文学などこの世に存在しなくても人間は生きていける。実際に、本などまったく読まないという人も大勢存在する。しかし、科学の恩恵を受けずに現在の文明生活を享受できている人間は一人もいない。つまり、まったく性質の異なる分野を同じレベルで評価することに違和感があるのだ。

さらに疑問を感じるのが、文学賞の選考方法だ。日本語などのマイナーな言語で書かれた作品は当然翻訳されて審査されることになるのだろうが、翻訳というフィルターがかかった状態で、その作品の価値を本当に理解できるのかどうか、激しく疑問だ。

どんなに優秀な翻訳家だって、原文の真意を100パーセント汲み取って訳すことは不可能だし、まったく誤訳のない翻訳に仕上げることも不可能だと思う。原文の細かいニュアンスを完璧に訳すなんて、それこそ絶対に不可能だ。そんな作品を読んで評価したところで、はたして意味はあるのだろうか。

川端康成の「雪国」の書き出しを、"The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky." と訳したのはサイデンスティッカー氏だが、これは文句なしに名訳だと思う。しかし、原文を読んだときとまったく同じ情景が浮かんでくるかと訊かれると、正直なところ返事に困る。

結論としては、文学作品に優劣をつけるのは意味のないことだし、それを翻訳というフィルターがかかった状態で評価するのはさらに意味がないということだ。小説は一人で読んでムフフなんて思えばいいのであって、文学賞を与えるだけヤボというものだ。



08/10/05

このサイトが実は英語学習サイトであることを自分自身でも再認識しておくため、たまには英語学習のことについて書いておこうと思う。自分の場合、英語学習といえば何をおいてもまずはボキャブラリーである。今年の初めから行っている単語カードの暗記は、いまも飽きることなく続けている。

これまでに、1組90枚綴りの単語カードを19組暗記した。合計で約1700語を暗記したことになる。ここにきて、だいぶ暗記のペースが落ちてきた。これは、暗記に飽きて怠けているということではなく(それも若干あるが)、単語カードのソースの確保が難しくなってきているというのが一番の理由だ。

いままでは、辞書でマーカーの引かれた単語を片っ端から単語カードに書き出すだけでよかったのだが、その作業が一通り終わると、未知の単語をどこから探してくるかが大きな問題になった。TIMENEWSWEEKを読んでも、未知の単語は1ページに1〜2個くらいなので、1組の単語カードを作るだけでも膨大な時間がかかってしまう。

そこで、アルクが出している「究極の英単語Vol.4 超上級の3000語」という単語帳を買った。本の帯には、「TOEIC満点を超えてネイティブも驚く語彙マスターになる!」と大きな文字が躍っている。どうやら、9000語レベルから12000語レベルの単語を集めたものらしい。

しかし、パラパラとめくった感じでは、ほとんどの単語はすでに知っているものばかりだ。おそらく、9割くらいの単語はすでに知っているだろう。それでも、この1冊で単語カードを3組は作ることができる。英文雑誌などからシコシコと抜き出すよりもずっと効率的だ。

当たり前のことだが、単語を覚えれば覚えるほど、未知の単語を探し出すのは難しくなってくる。最初のうちはそんなことなど考えずに、「このペースなら1年間に3000語くらいはいけるな」などと単純に考えていたのだが、まったくの皮算用であることがわかった。

このアルクの単語帳が終わったら、次からは何をソースに未知の単語を探すべきなのか、目下思案中だ。12000語レベルなどとケチなことをいわず、20000語レベルくらいのものすごい単語帳を作ってほしい。そんな単語帳があれば、5万円でも10万円でも出すと思う。それくらい、単語カードのソースの確保は重要なことなのだ。

とりあえずいま考えているのは、思い切り語彙レベルの高いペーパーバックを1冊選び、それを頭から読んでいって未知の単語をすべてカードに書き出すという作戦だ。これも時間のかかる作業であることには違いないが、もうこれくらいしか思い浮かばない。もしいいソースを知っている方がいたら是非教えてください。



08/09/28

麻生内閣が誕生したと思ったら、小泉さんが引退した。なんだか、ひとつの時代が終わったような感じだ。この人については賛否両論があるようだが、自分としては小泉さんの強烈な個性が好きだった。こういう個性的な政治家は、この先おそらく出てこないだろう。

などと思っていたら、早速出てきたのが中山大臣だ。「ゴネ得」、「単一民族」、「日教組」の失言三連発を聞いたときには、また頭の悪い失言大臣の登場か、と思っただけだったが、その後の「日教組は日本教育のガンだ」という発言には、テレビの前で思わず拍手を送ってしまった。

腹の中にはいろんなものを抱えていながら、周囲の顔色をうかがってあたりさわりのない発言に終始する政治家ばかりの中、これほど自分の信念をストレートに発言できる政治家は貴重だ。政治家たるもの、これくらいの信念を持った人でないといけない。自分は一気に中山大臣のファンになってしまった。

「ゴネ得」と「単一民族」発言はたしかにまずかったが、日教組が日本教育にとってのガンだというのは正論だと思う。公務員でありながらストライキを強行したり、国家斉唱や国旗掲揚に反対したり、悪名高きゆとり教育を推進したりと、はっきり言って教育者として必要なことを何一つしていない。

残念だが、解散総選挙が目前に迫っている事情から、中山大臣は辞任させられることになるだろう。いまの政権には中山さんのような政治家こそが必要だと思うのだが、こういう過激な人はどうしてもマスコミから叩かれてしまうのはしかたのないところだと思う。

おそらく、今度の総選挙では自民党が敗北して、民主党を中心とした政権が誕生すると思う。そうなったら、民主党を支持している日教組がさらに幅を利かせることになるだろう。困ったものだ。また、ゆとり教育みたいな頭の悪い政策を打ち出してこないか心配だ。

ただし、民主党政権が誕生したとしても、おそらく長くは続かないと思う。そもそも民主党は、自民党や旧社会党などから飛び出した政治家たちが緊急避難的に寄り集まってできた政党だから、左寄りの人と右寄りの人がごっちゃになっている。そんな政党が政権を獲っても、早晩内部分裂を起こしてしまうのがオチだろう。

それはともかく、いまの日本には左寄りの政党に政権運営を任せる余裕はないと思う。いまでさえ、中国や韓国や北朝鮮にいいようにやられているのに、これ以上情けない状態になったら悲惨だ。そういう意味でも、中山さんのような政治家は貴重だと思うのだが、その存在を許さない周囲の環境が残念だ。



08/09/21

ドイツの政治家が、有権者を前にした演説で、「ビールを1リットル飲んで運転しても問題はない。2リットル飲んでも1〜2時間たてばいい」と発言したらしい(参照元)。とても政治家とは思えない発言だ。日本だけでなく、失言癖のある政治家は世界中にいるようだ。

この発言はビアホールでの演説中になされたということで、おそらくは冗談っぽい雰囲気での発言だったのだろうが、それにしても、さすがにビールの国ドイツという気がする。ドイツ人にとってビールは酒ではなく、もしかしたら水みたいな感覚なのかもしれない。

ドイツには行ったことがないのでわからないのだが(というか、海外はフランスしか行ったことがありません)、きっと昼間からものすごい勢いでビールをがぶ飲みするのだろう。なにしろ、日本人の倍以上のビールを消費する国だから(参照元)、それくらいの勢いで飲まないと間に合わないと思う。

それにしても、昼から飲むビールはなぜあんなに回りが速いのだろうか。もしかしたら何か怪しい薬が入ってるんじゃないの? もう、昼間から酔わせてどうするつもりなの、みたいな気持ちになってしまうほど、速攻で酔いが回ってしまう。なので、昼間から飲む酒はちょっとだけ怖い。

自分の場合、一人だけのときは昼間から酒を飲むことは絶対にない。休日の昼にラーメンをすすっているときなど、隣でビールを飲んでいる人もけっこう見かけるが、まったく飲みたいとは思わない。昼間から飲むと、アルコールの回りが異常に速いおかけで、その日は何もする気が起こらなくなるからだ。

それに、昼間から一人で飲んでいると、なんだかダメな人間になってしまうような感じがして、それも激しく抵抗がある。まあ、元々かなりダメな人間なのだが、これ以上ダメになりたくないという自制心がどこかで働くらしい。とにかく、昼間から一人で酒を飲むようになったら終わり、みたいな考えがどこかにある。

ということで、ドイツ人は偉いなと思うわけだ。昼間からビールをものすごい勢いでがぶ飲みしながらも、先進国としての地位を保っているわけだから。自分もドイツ人になりたいと少しだけ思う今日この頃。ということで、今回の覚書は自分でも何を書いているのかよくわからない内容になってしまってごめんなさい。



08/09/15

それにしてもすごいな、露鵬と白露山は。この期に及んでも、いまだに身の潔白を訴えているなんて、ものすごい神経だと思う。もしかしたら本当にやっていないのかもしれないと、ほんの少しだけ思わせる迫力がある。さすがにフェーリクソヴィッチ兄弟だ。

逆切れ気味に身の潔白を訴えるだけでなく、なにやら相撲協会との全面戦争に突入しそうな勢いだ。これほどまで強気になれるのには、なにか裏があるのかもしれないと考えてしまう。おそらく二人は相撲協会の弱みを握っていて、自分たちの解雇を撤回しないとそれを暴露するぞ、という戦法を取るのではないだろうか。

協会がバラされて困る弱みといえば、やはり以前から何度も話題になってきた八百長問題だろう。協会の理事にも、現役時代には八百長で星を買っていたと噂される人物が何人かいる。有名なところでは、小さな大横綱として国民栄誉賞まで受賞した九重親方(千代の富士)だろう。

もちろん、こうした八百長を嫌ってずっとガチンコ勝負に徹してきた力士もいるわけで、その代表格が若貴兄弟の弟である貴乃花親方である。一切八百長相撲をせずに22回の優勝を成し遂げたその実力は、八百長相撲含みで31回の優勝を遂げた千代の富士の実力より上と見るファンも少なくない。

自分としては、当然八百長相撲は存在すると思う。ただし、週刊現代が昨年報じたような、専門の仲介人を立てて場所のほとんどの星を買うというような大規模な八百長は存在しないと思う。あれは、週刊現代が適当に書き飛ばした、いわゆる「飛ばし記事」だろう。

そうではなく、たとえば千秋楽の取り組みで8勝6敗の力士と7勝7敗の力士が戦うような場合、勝ち越しを決めている力士が「ここは負けておいてやるか」と考えて手を抜くような八百長なら存在すると思う。勝ち越しを決めている力士とすれば、自分が同じ立場のときにこの星を返してもらおうという打算もあるだろう。

こうした八百長なら、バレない程度にやってもらってかわまない。狭い角界だから、こうした打算や情などが勝負に入り込むことは当然だろう。そうした力士個人の思惑まで制限することはできない。おそらく、大半の相撲ファンがそう感じているのではないかと思う。

しかし、ここに金銭が絡むとなると話は別だ。金の絡まない星のやり取りであればかまわないが、金が絡むとなると一気にイメージが悪くなる。そして、おそらくこうした八百長も少なからず存在するのだろうと思う。フェーリクソヴィッチ兄弟は、こうした八百長を暴露するつもりなのではないだろうか。

相撲ファンの一人として、願わくば八百長の暴露などという野暮なことはやめてもらいたい。多くの相撲ファンは、あまりにも露骨で頻繁に行われているのでない限り、ある程度の八百長はやむなしと黙認しているのだから。結論としては、フェーリクソヴィッチ兄弟にはおとなしくロシアに帰ってもらいたいということだ。



08/09/07

福田さんの突然の辞任には、少しだけ驚いた。この人は、周りから叩かれながらも飄々として仕事をこなしていくタイプの人間だと思っていたのだが、意外と繊細な神経の持ち主なのかもしれない。総理なんて、どんなに頑張っても悪く言われることが圧倒的に多い仕事だから、繊細な人では務まらないだろう。

それにしても民主党は、福田さんが総理を務めているときには「早く辞めろ」などと散々言っておいて、本当に辞めたとなると「無責任だ」と批判する始末だ。いったいどうしろというのだろうか。イチャモンのためのイチャモンなんてみっともないだけだと思うのだが。

今回の辞任について、世間からは「無責任だ」という声しか聞こえてこないが、それほど厳しく突っ込まなくてもいいじゃん、と自分としては思ってしまう。なにしろ、自分は昔から物事に飽きたり嫌になったるするとすぐにバックレていたから、人のことをあれこれ言える立場ではないのだ。

学生時代は数え切れないほどバイトをしていたが、バイトを途中でバックレたことも何度かあった。このバイトもそろそろ飽きてきたな、とか、なんだかやる気が出ないな、などと感じるようになると、給料日に給料をもらって翌日からはバックレ、なんてことをしていたのだ。

あるいは、バイトの面接に行って、「じゃあ、明日から来てください」などと言われてそのときはやる気充分なのに、翌日になると、やっぱり行く気しないな、などとやる気がしぼみ、電話線を引っこ抜いてそのまま布団をかぶって寝てしまったことも何度かあった。

これほどいい加減で周りに迷惑をかけまくってきたダメな自分だが、いまでも苦い思い出として残っている出来事がある。あれは、大学1年の春休みのことだったと思う。友達のアパートで麻雀を打った翌朝、起きてみると一面の銀世界になっていた。あわててテレビを点けると、軒並み電車が止まっている。

その日はバイトの予定が入っていたのだが、これではバイト先までたどり着くことができない。しかたがないのでバイト先に電話をしようと思ったのだが、肝心の電話番号がわからない。だったら104で調べればよかったのだが、なんだか面倒になり、そのまま麻雀を打ち始めてしまった。

結局このバイトはそのままバックレてしまったのだが、このバイト代をあてにしていたのでいきなり金に困った。質屋に持っていけるような金目の物は部屋の中にはないし、友達に借りるのも気が進まない。かといって、怪しげな学生ローンにお世話になるのも怖い。そんなこんなで、バックレたバイト先に給料をもらいに行くことにした。

たった1ヶ月働いただけでバックレをかましたバイト先に給料をもらいに行くのは、さすがに気まずかった。好きな女子に告白するときだってこんなにドキドキしなかったぜベイベー、などと考えながら、「すみません、給料をもらいに来ました」と頭を下げたときの嫌な気分はいまでも忘れられない。

バイト先の店長さんは呆れたような顔をしながら、それでも1ヶ月分の給料袋を渡してくれた。君には期待していたのにガッカリだよ、もう来なくていいから、と言われたときは、自分はなんてダメな人間なんだろうと痛感したものだ。これからは二度とバックレたりしないと、固く心に誓った。

しかし、そんな決心もどこへやら、その後も何度かバックレをかますことになるのだが、これはまた別のお話。とりあえず、この場をお借りして、当時ご迷惑をおかけしたすべての人たちに謝りたい。正直スマンかった。いまでは少しだけ責任感のある大人になりました。

ということで、これほどいい加減で無責任な自分としては、福田さんのことを無責任だなどと責めることはできない。それどころか、その気持ちはわかりますよ、などと杯を酌み交わしたいくらいだ。総理の職とバイトごときを一緒にするなと怒られそうだが、結局は同じことのような気がする。



08/08/31

今年の夏は暑いのか涼しいのかよくわからない、おかしな天候だ。35度を超える猛暑日が続いたかと思えば、その後は雨ばかりだ。さらに、バケツをひっくり返したような集中豪雨も頻発している。いったい今年は何回、集中豪雨のニュースを見ただろうか。

だいたい、1時間に100ミリを超える降水量というのは異常だ。それが何回も起きているのだからさらに異常だ。どんなに育ち盛りの子供だって、1時間に100ミリも成長することはないから、いかに異常な数字であるかがわかるというものだ。なんだか比較対象が間違っている気もするが、まあよしとしよう。

では、この異常気象の原因は何なのか、ということになると、温室効果ガスによる地球温暖化という結論に落ち着くのだろう。それで、クールビズだの、エコバッグ運動だのといった対策で温室効果ガスの削減に躍起になっているわけだ。最近はどこもかしこもエコブームで、正直なところ少し気持ち悪い。

しかし、温室効果ガスを削減すれば、本当に地球温暖化は防げるのだろうか。なんだか、それほど単純なことではないような気がするのは自分だけだろうか。そもそも、将来の気候の変化というものは、そんなに簡単に予測できるものではないはずだ。

たとえば、バタフライ効果などがいい例だ。どんなに膨大なデータを積み上げて計算したところで、実際の環境で発生するわずかな現象により、将来の気候は思わぬ方向に変化していく。もちろん、地球温暖化には温室効果ガスが原因になっている部分もあるのだろうが、両者をイコールで結べるほど強固な因果関係があるのかどうか。

さらに、地球温暖化にまつわる諸説には嘘も多い。有名なところでは、「北極の氷が溶けることにより海面が上昇し、太平洋に浮かぶ小さな島が水没する」という説があるが、これなどは大嘘だ。北極はもともと海に浮かぶ大きな氷の塊だから、これが溶けたところで海面が上昇することはない。

これは、氷の浮かんだグラスを思い浮かべるとわかりやすい。グラスが地球で、グラスの中の水が海で、水に浮かぶ氷が北極海の氷と考えると、もともとグラスに入っていた氷が溶けたところで、グラスから水が溢れることはないことがわかる。小学生でもわかる理屈だ。

もちろん、陸地の氷が溶けるとなると、話は別だ。海面が上昇する可能性は当然否定できない。しかし、こうしたレベルの話がすべてごっちゃになって地球温暖化が議論されているから、話がややこしくなる。わざと話をややこしくしているのではないか、何か裏があるのではないかと勘ぐりたくなる。

温室効果ガス削減のためにエコに取り組むこと自体はいいことだと思う。しかし、なんだかうまいこと乗せられているような気がしなくもない。温室効果ガス削減を推進する裏には何らかの利権の構造が隠されているのではないか、そんなことを考えてしまうのである。



08/08/24

若ノ鵬が大麻所持の容疑で逮捕されたらしい。相撲ファンの自分としては少しだけ驚いた。とはいえ、若ノ鵬のファンというわけではないから、どうでもいいと言えばどうでもいい。そもそも若ノ鵬は、若いくせに立ち合いの変化が多すぎる。若いうちからこんな相撲を取っていたら大成しないと思っていたらこんなことになった。

それにしても、大麻所持で一発解雇というのは厳しい。一度くらい更生のチャンスを与えてやってもいいように思うが、最近の角界は不祥事続きという事情もあって、協会としては厳しく罰するしかなかったのだろう。若ノ鵬としてはなんともタイミングが悪かった。

さらにタイミングが悪いのが間垣親方だ。ようやく暴行事件のほとぼりが冷め始めたと思ったらまたこの事件だ。日頃の行いの悪さが、ここにきて一気に表面化してきたということかもしれない。とりあえず、間垣親方だけに間が悪かったということだろう。ぷぷ。

それはともかく、今回は大麻について考えてみたい。この事件をきっかけに、自分でも大麻のことをちょっとだけ調べてみた。自分が調べた限りでは、どうやら大麻というのはタバコよりも害が少ないものらしい。それどころか、医療目的で大麻を使用しているケースさえあるということだ。

なるほど、これなら大麻を解禁しろと主張する人たちの意見もわかる気がする。窪塚洋介タンなどは大麻信奉者として有名だが、同じような意見の人はきっと大勢いるんだろう。自分も、「タバコなんて禁止して、代わりに大麻を解禁すればいいんじゃね? そしたら税金がっぽり取れんじゃね?」などと頭の悪いことを一瞬だけ考えた。

しかし、幻覚が見えるような代物を解禁するのはやはりまずかろうと思うわけだ。幻覚については個人差があるようで、見える人もいればまったく見えない人もいるらしい。もちろん自分は大麻など吸ったことがないのでわからないが、吸ったことのある友人の話によると、ピンクの象が見えたらしい。

ということは、大麻が解禁になって職場にも喫煙室ならぬ大麻室などができたりすると、大麻を吸いながら幻覚を見る人が現れたりするわけだ。「今日は、ピースな愛のバイブスでポジティブな感じのピンクの象が見えたよ」なんていう会話が聞こえてきたりするわけだ。絶対に嫌だな、そんな職場は。

どんなに安全だと言ったところで、法律で禁止されているからにはそれなりのリスクがあるのだろう。身体にはそれほど害がないというだけで、大麻を吸ったから健康になるということもないはずだ。興味本位で吸うことはあってもいいと思うが、常用するのはどうだろうか。



08/08/10

いつの間にかオリンピックが始まっていたらしい。今回のオリンピックは本当に「いつの間にか始まっていた」という感じだ。マスコミもあまり盛り上がっていないし、自分の中でもあまり盛り上がるものがない。なぜ今回はこれほど盛り上がりに欠けるのだろうか。

やっぱり、開催国が中国だからだろう。なにせ、日本の国歌斉唱のときにも平気でブーイングをするくらい民度の低い国で開催されるわけだから、あまり期待しようという気になれないのは当然だ。同じアジアなのに、完全にアウェーの雰囲気というのはあまり気分のいいものではない。

などと言いながら、始まってしまえばやっぱり観戦してしまう。高校時代に柔道をやっていたこともあり、一番期待して観るのが柔道だ。そして、期待を裏切られて一番落胆するのもやっぱり柔道だ。なにしろ、外国人審判のレベルが驚くほど低い。首をひねりたくなるようなジャッジばかりだ。

本音を言えば、日本選手の一番の敵は外国人選手ではなく外国人審判だと思う。オリンピックで多くのメダルを獲得するための一番有効な方法は、日本選手たちのレベルアップではなく、外国人審判のレベルアップではないだろうか。正しく公平なジャッジさえしてくれれば、日本選手はそうそう負けないはずだ。

今回の谷選手のときのジャッジもそうだ。なぜ谷選手だけに反則が取られるのかがわからない。恣意的な感じすらある。ひょっとしたら、「日本の選手よりルーマニアの選手の方が美人さんだから、ボクちんルーマニア選手を応援しようっと」などと考えたのかもしれない。

その人の主観でジャッジをするわけだから、こういう偏りというのは充分にありうると思う。ここまでひどくはなくても、無意識のうちにどちらかの選手に肩入れしながらジャッジをするというのは、人間である以上は避けられないことだと思う。そうは言っても、こういう主観で試合を裁かれたのでは選手たちがかわいそうだ。

いっそのこと、一本や技ありなどというポイントをなくし、反則も注意や指導といったレベル分けをすべてなくしたらどうだろう。その上で、試合方式をサドンデス方式に変更する。つまり、少しでも有効な技が決まったらそこで試合終了となり、少しでも反則があったら同じようにそこで試合終了となるということだ。

本当は、時間無制限でどちらかが一本を取るまで終了しない、というルールが一番公平だと思うが、それではさすがに現代のスピード化時代には受け入れられないだろう。であれば、極端にスピードアップしたルールで試合をするのも面白い。とにかく、いまみたいに中途半端なルールが一番よくない。

このルールならば、選手たちはさすがに反則負けだけはしたくないと考えるだろうから、積極的に技をしかけざるを得なくなるだろう。中途半端に技をかけるとかけ逃げと判断されるから、キッチリと技をかけなければならない。これならば、不可解なジャッジをかなり防げると思うのだが、どうだろうか。

本気でこんなことを考えているわけではないが、いまのルールだけはどうにかしてもらいたい。いまの柔道は、「柔道」ではなくて「JUDO」という名の別物になっているような気がする。いずれにしろ、柔道はオリンピック競技に適していないことだけは間違いない。



08/08/03

このところ毎週通っている図書館の学習室がいきなり混雑して、いつの間にか世の中は夏休みに入っているらしいことに気付いた。なるほど、いまごろ子供たちは長い夏休みをエンジョイしているわけか。自分も、小学生の頃の長かった夏休みをもう一度欲しいと思う。

とはいえ、夏休みの宿題だけは勘弁してほしい。青っ洟をたらした小学生相手に、漢字ドリルやら絵日記やら読書感想文やら、そんなにやらせてどうするつもりだと言いたい。自分は怠け者だったから、夏休みの最後の3日間くらいはいつもヒーヒー言いながら、やり残した宿題をやっつけていた。

漢字ドリルや計算ドリルなどはまだいい。機械作業のように黙々とこなせば、必ず終わりは見えてくるからだ。しかし、絵日記や読書感想文など、ある程度の創造力が要求される宿題はそうもいかない。なにかしら自分自身で創り出さなければ終わらないからだ。

そういう意味では、一番やっかいだったのが自由研究だ。青っ洟をたらした小学生相手に、研究などという高度な課題を与えてどうすると言いたい。おそらくほとんどの人がそうだったと思うが、自分も夏休みの宿題の中ではこの自由研究が一番嫌いだった。

自由研究デビューとなった一年生のときの研究タイトルは、「豆のかんさつ」だったと思う。畑に豆を植え、発芽して苗木に成長していく過程を観察日記の形式でまとめた。こう書くと、いかにも自分で考えて実行したように見えるが、アイデアも観察日記の絵も、すべて母親にやってもらった。

二年生と三年生のときのテーマは忘れた。四年生のときのテーマは、「自転車のしくみについて」だった。その頃はまだ自転車に乗れなかったから、自転車の仕組みについて調べてみれば乗れるようになるかもしれないと考えたのだろう。しかし、もともと機械などには興味がないので、研究内容もお粗末なものだった。

「自転車は、ペダルを踏むことによってタイヤに力が伝わり、その結果として前に進むことがわかりました」という結論で締めくくったような気がする。おいおい、あんたはバカですか? そんなわかりきった結論を出すために貴重な時間を使って研究したのですか?

六年生のときは、友達と一緒に共同研究をしたような記憶がある。自由研究に頭を悩ませているのは自分だけではなかったから、そういう友達を巻き込んで少しでも楽をしようと考えたのだ。そのときのテーマは、「紙はなぜ日焼けするのか」というものだった。

わら半紙を日に当てると激しく変色するが、普通の白い上質紙などはそれほど変色しないことに注目し、それぞれの紙を顕微鏡で調べてみた。その結論として、「わら半紙の繊維は粗いために日光をよく通し、上質紙の繊維は細かいために日光を通しにくいことがわかりました。紙の日焼けは繊維に原因があることがわかりました」などとまとめた。

共同研究などという大それたチーム編成をしておきながら、研究の成果としては2種類の紙を顕微鏡で覗いたときのスケッチと、上に書いたような的外れな結論だけだ。微笑ましいといえば微笑ましいが、バカといえばバカである。まあ、どちらかといえばバカなんだろう。

そんな感じで、自由研究にはいつも頭を悩ませていた。なかなか自由研究のテーマが思い浮かばず、夏休みも残りわずかとなったところで苦し紛れにテーマをひねり出していた。自由研究さえなければ、どんなに夏休みが楽しいものになっていただろう。大人になったいまでもそう思う。



08/07/27

いや、惜しかった。一打出れば逆転サヨナラというところまで追い詰めたのだが、延長戦で敗れてしまった。何の話かというと、高校野球の新潟県予選で、わが母校である佐渡高校が決勝戦にまで駒を進めたのだ。甲子園出場こそ逃したものの、これは快挙と言っていい。

なにしろ、これまでは最高でも県の予選でベスト8止まりだったのだ。それも、すべての佐渡勢(硬式野球部は現在のところ5校)をあわせての結果だから、今回の決勝戦進出がいかにすごいことなのかがわかるだろう。離島から甲子園を目指すということは、いままでは夢のまた夢という感じだった。

しかし今回の活躍で、佐渡から甲子園を目指すということが一気に現実味を帯びてきた。今回のチームは全員が生粋の佐渡っ子だということも心強い。やればできるのだ。自分が生きているうちに一度でいいから、佐渡から甲子園に出場してほしいと思う。

ということで、佐渡高校の野球部員はいまごろモテモテだろうなと思うわけだ。ここまですごい活躍をしてモテないわけがない。おそらく、これまでの人生の中で最大瞬間風速とでもいうべきモテモテの嵐が吹きまくっていることだろう。うらやましいぞ、このやろう。

男子がモテる要素には大きく分けて3つあると思う。頭がいいこと、スポーツができること、イケメンであることの3つだ。この3つがすべてそろっていれば完璧だが、そんな男子は滅多にいない。では、この3つの要素のうち、どの要素を備えていると一番お得なのだろうか。

まずは頭のよさだが、これだけではモテない。スポーツマンでもイケメンでもなく、ただ頭がいいだけでは、逆にキモイなどと言われかねない。頭のよさはあくまでも副次的な要素であって、スポーツができて頭がいいとか、イケメンで頭がいいという場合以外、あまり使い道はない。

スポーツができるのであれば、頭がいいだけよりもずっと有利だ。なぜならば、見た目だけでアピールできるからだ。バレーボールで華麗にスパイクを決めたり、バスケットボールで鮮やかにスリーポイントシュートを決めたりすれば、それだけで充分にアピールできる。

しかし、見た目ということであれば、結局のところイケメンにはかなわない。頭の悪そうなジャニーズ系のジャリタレがキャーキャー言われていることを見れば、それは容易に理解できる。つまり、3つの要素を比較すると、イケメン>>スポーツマン>>>>>>>>秀才ということになるだろう。

ただし、この公式が崩れることもありうる。それは、今回の佐渡高校のように劇的な活躍をした場合だ。スタンドから生で試合を観戦した場合ならなおさらだろう。まったくイケメンでなくとも、ひたむきに白球を追う姿に女子の心はメロメロになるはずだ。これは、一種の吊り橋効果と言えるかもしれない。

しかし、こうした効果は残念ながら長続きしない。いまモテているからといって、いつまでもこの状態が続くと思ってはいけない。人の気持ちは熱しやすく冷めやすいものだ。佐渡高校の野球部員は、現在の嵐のようなモテモテ状態を有効に活用してほしい。なにはともあれ、お疲れさまでした。感動しました。



08/07/21

先週の覚書では、高校生の頃に教師になりたいと思ったことがあったと書いたが、今週はこれまでに自分が思い描いてきた将来の夢の変遷を書いてみたい。暑くなるとどうもネタ切れになる傾向があるようで、今回のネタも若干苦し紛れであることを最初にお断りしておきます。

最初に将来の夢というものを意識したのは小学2年生くらいの頃だったと思う。そのときの夢は、かなりありがちだが、プロ野球選手だった。その当時はまだサッカーなんて流行っていなかったから、子供にとってはプロスポーツ選手イコール野球選手だった。

普通はジャイアンツに入団したいと考えるところだろうが、自分の場合は近鉄に入団したいと思っていた。このあたりが子供ながらになかなかクレバーなところで、人気球団のジャイアンツよりは弱小球団の近鉄の方が活躍のチャンスが多いと考えたのだろう。小学2年にしてこの冷静な分析には、我ながら感心する。

小学4年生くらいになると、これもありがちだが、漫画家になりたいと思った。絵を描くのはけっこう好きで、一人で留守番をしているときなど、わら半紙にヘタクソな漫画をよく描いていた。「ゴオー」とか「カキーン」などという擬音だらけの50ページくらいの野球漫画を仕上げたときには、おれって天才かも、と自分の才能に酔いしれたりもした。

小学6年生になると、何を考えたのか、作家になりたいと思った。SF小説を書こうと思い立ち、大学ノートにストーリーを書き始めたのだが、主人公が洞窟の奥に怪しい光を発見したところで筆が止まった。1ページ目の半分も埋まっていないところで挫折したように思う。あの怪しい光の正体はいまだに謎のままだ。

中学生になると、さすがにプロ野球選手や漫画家などという夢は実現不可能だということに気付くが、だからといって平凡なサラリーマンになりたいと思うほど現実的にもなりきれなかった。自分が何になりたいのかがわからず、自分が何になれるのかもわからなかった。

高校生になると、先週も書いたように一瞬だけ教師になりたいという夢を持ったが、結局は具体的な目標もなく大学に入学した。このままなんとなく普通のサラリーマンになるんだろうなと思っていたが、まだ何か他の道もあるかもしれないと漠然と考えていた。

大学に入学すると、最低限必要な授業だけ出席して、後はダラダラと過ごしたりバイトで生活費を稼いだりする毎日だった。就職を目前にして麻雀のプロになりたいと突然現実逃避したこともあったが、結局はあたりさわりのない無難なサラリーマン生活を選んで現在に至るわけだ。

こうしてまとめてみると、子供の頃は自分勝手な夢を思い描き、成長とともに現実的な将来の目標を消去法的に選択していくという、なんともありきたりな夢の変遷だと思う。世の中の大多数の人間はこんなものだろう。これからの夢も一応は持っているのだが、恥ずかしいからここには書かない。



08/07/13

大分県の教員採用試験における汚職事件が話題になっているが、裏口を使わなければならないくらいに教師になるのは大変だということを初めて知った。普通に教職課程を履修して教育実習に行って採用試験を受ければ誰でもなれるものだと思っていた。

実は自分も、高校生の頃に教師になりたいと考えたことがある。子供の頃は、プロ野球選手、タレント、漫画家、作家など、自分の才能もかえりみずに好き勝手な夢ばかり見ていたが、さすがに高校生にもなるとこうした無茶な夢はあきらめ、そこそこ現実的な将来を思い描くようになる。

大学受験を前にして、自分は将来どんな仕事をしたいのだろうと考えたときに、教師になるのも面白いかもしれないと考えたのだ。生徒たちを熱く指導したいという純粋な動機からではなく、普通のサラリーマンになるよりもなんとなく楽そうだという不純な動機だった。

それに、女子高の教師にでもなったらモテモテかも、などというけしからんことも考えた。生徒たちの前を歩くだけで「キャー」なんていう黄色い声があがり、バレンタインデーともなると、靴箱を開けたとたんに大量のチョコレートがあふれ出したりするわけだ。

まったくしょうがないなあ、なんて余裕をかましながら両手いっぱいにチョコを抱えて職員室に入ると、今年もすごいチョコの量ですなあ、などとモテないオヤジ教師たちが羨望のまなざしを送ってくる。そんな視線を浴びながら、もらいもので悪いですがお一つどうですか、などと言ってチョコを配って歩くわけだ。

そんな想像もしてみるくらいに、不純な動機だった。なにせ、自分はモテモテという経験を一度もしたことがないので、想像の世界の中だけでもモテモテになってみたかったのだ。いまから整理券を配るから押さないで、ほら、ちゃんと2列に並んで、などという経験をしてみたかったのだ。

そんな楽しい想像をしていたのだが、結局は教師になるのはやめにした。毎年同じことを生徒たちに教えるだけなんて、なんと退屈な仕事だろうと考えてしまったからだ。若い生徒たちに毎年同じことを教えながら、自分はただ歳を取っていくだけというのは、なんだかとてもつまらないことのように思えた。

いまから考えると、いかにも若い考え方だったなと思う。どんな仕事にしろ、結局は同じことの繰り返しで、そうした中からいかに新しいことを見つけていくかが大事なのだろう。とはいえ、これもいまだからわかることで、その当時はそう考えてしまったのだからしかたがない。若気の至りということだ。

今回の汚職事件についてはとんでもないことだとは思うが、そうまでして教師になりたいと考える若者がいるというのは、それなりに素敵なことだと思う。いまどき、教師になりたいと考える若者は貴重ではないか。自分のような不純な動機からではなく、理想に燃えた熱い教師になってくれることを願う。



08/07/06

4年ぶりに健康診断を受けてみた。もちろん健康診断自体は毎年あるのだが、自分は採血が激しく嫌いなので、いままで逃げていたのだ。とはいえ、ずっと逃げてばかりもいられないので、今年はオリンピック・イヤーということもあり、4年ぶりに受けてみたわけだ。

久しぶりに受けてみたところ、新たな発見がいろいろとあった。まず、血圧が下がった。いままでは上が110で下が70くらいだったものが、今回は上が90で下が50と大幅に下がった。下がった理由はよくわからないが、上がるよりは下がったほうがいいのだろう。

そのほかに、心拍数も大幅に下がった。いままでは1分間に60くらいだったものが、今回は50くらいに下がった。看護婦さんから、何かスポーツをやっているんですか? と訊かれたのだが、これは俗にいうスポーツ心臓になったということだろうか。しかし、これも特に思い当たることはない。

それはともかく、採血のときには激しく気分が悪くなった。血を抜かれた瞬間に頭がクラクラして心拍数も一気に上がった。それを見た看護婦さんが、あららボクちゃん大丈夫でちゅか? 深呼吸をすると楽になりまちゅよー、などと子供をあやすかのような素敵な対応をしてくれたので、なんともハズカシス。

しかし、その甲斐あってか、衝撃の事実を知ることができた。いままで自分の血液型はA型だどずっと思い込んでいたのだが、実はO型だということがわかったのだ。いや、別に衝撃の事実でも何でもないのだが、本気で血液型性格診断を信じている人だったら衝撃の事実になるのだろう。

自分はもちろん血液型性格診断などは爪の先ほども信じてはいないのだが、信じている人間のほうが多いのだろうと思う。なんとなく信じているとか、もしかしたら当たっているかも、なんていう人間も含めると、おそらく圧倒的多数が血液型性格診断を信じているのではないだろうか。

たしかに、体内を流れる血液がその人の性格に影響を与えるという説は、一見すると科学的な根拠がありそうな気がする。しかし実際には、怪しげな星占いなどと同じく、まったく根拠のないものだ。それにも関わらず、いまだにこういう怪しげなものを信じる人は多い。

自分で信じるだけならまったくかまわないのだが、血液型でその人の性格をあれこれと解説するのはやめてほしい。「やっぱりA型だと思った、だって几帳面だもんね」だとか、「えー、全然A型に見えない」だとか、あれこれうるさいっちゅーの。血液型ごときで人を判断するなんて失礼なことはやめなさい。

それにしても、O型でよかったと思う。これがB型やAB型だったりしたら、それこそ衝撃の事実になるところだった。母親はA型で父親はO型だから、もし自分がB型だとしたら、橋の下で拾われた子供だということになってしまう。ふう、危ないところだったぜ。



08/06/29

タバコの値段を1箱1,000円に上げようという議論が活発になっているらしい。いいんじゃないだろうか。大賛成だ。近年まれに見るナイスアイディアだと思う。なにしろ、自分はとっくの昔に禁煙しているから、1,000円と言わず100,000円でもまったく問題はない。

1,000円ということは、現在の3倍以上の価格になるわけだから、おそらく喫煙者は激減するだろう。しかし、現在の3分の1まで減ることはないと思う。せいぜい半減するくらいではないか。だとすれば、現在の税収プラスアルファはしっかりと確保できることになる。

喫煙者にしても、いままでは片隅に追いやられてコソコソと吸っていたものが、1,000円に値上がりすれば大きな顔をして吸えるようになる。なにしろ、貴重な基礎年金の財源を代表して払っているようなものだから、この貧乏人たちが、と非喫煙者のことを見下すこともできるわけだ。

自分がタバコを止めたから言うわけではないが、タバコなんてそれこそ百害あって一利なしで、吸って得することなんて何もない。タバコを吸って腹がふくれるわけでもなければ、健康にいいわけでもない。歩きタバコは危ないし臭いし不愉快だしで、周りの人間にとっても迷惑なことこの上ない。

ではなぜ、こうも迷惑なものを吸ってしまうのだろうか。自分が初めてタバコを吸ったのは、小学生の頃だった。好奇心に駆られて友達と吸ったのだが、このときは口の中でふかすだけで、肺まで吸い込むことはしなかった。なんだか大人になったような気がしたものだ。

小学生でタバコを吸うなんて、おれたちもワルだよな、などと話しながらひとときの不良気分に浸ったことを懐かしく思い出す。その勢いにまかせて、夜の校舎窓ガラス壊してまわったものだ。ついでに、先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか、とシャウトもしてみた。

本格的に吸い始めたのは、大学に入学してからだった。タバコの煙を初めて肺に吸い込んだときには、頭がクラクラしたものだ。なるほど、これがタバコというものかと、そのとき思った。それからなんとなくダラダラと吸い続け、3年前になんとなくやめようと思って禁煙したわけだ。

いまから考えても、タバコを吸い始めたのにはこれといった理由はなかった。ただなんとなくカッコいいかな、くらいの理由だったと思う。そんな理由で始めたタバコを20年もダラダラと吸い続けたわけだから、なんとも無駄なことをしたものだ。タバコに費やした時間と金を返してくれと、夕陽に向かって叫びたい。

とにかく、タバコなんて激しく必要ない。こんなものは即刻なくしてもいいくらいだと思うが、貴重な税収になっているのだからそうもいかない。だから、今回の値上げ案には大賛成だ。税収を確保しつつ喫煙率も減らせるなんて、これ以上の妙案はないと思う。この案だけはぜひとも実現させてもらいたい。



08/06/22

宮崎勤の死刑が執行されたらしい。死刑が確定してから実際に死刑執行されるまでの平均期間は約8年だが、宮崎の場合は死刑確定から2年4ヶ月での死刑執行ということで、かなり早い。こうも早いと、いやでも秋葉原の通り魔事件との関連を疑わざるを得ない。

法律によると、死刑が確定してから半年以内に死刑を執行することになっているが、実際には上記のとおり、約8年間の猶予期間がある。その間、死刑囚は拘置所内で、自分の順番はいつなのか、今日なのかそれとも明日なのかと、それこそ生きた心地もしない思いで過ごすわけだ。

ちなみに、懲役刑によって服役の義務を果たす懲役囚は当然ながら刑務所に収容されるが、死刑囚の場合は死刑執行をもって初めて服役したものとみなされるため、死刑執行までの間は未決囚と同じ扱いとして拘置所に収容される。なので、死刑囚は刑務所には原則として存在しない。

今回の死刑執行は、秋葉原の通り魔事件のみせしめのために行われたのかという気もするが、あまりにもタイミングが接近しすぎていることから、それはあまりにもうがった見方なのだろう。昨今の厳罰化を受けて死刑確定囚が増えていることから、死刑にしやすいところからサインしたというのが実情だと思う。

それはともかく、死刑の是非という問題についてはどうなのだろう。最近の重大事件は明らかに厳罰化という方向に流れているが、それにも関わらずこうした事件は一向に減る気配はない。死刑制度は、重大事件の抑止力としては機能していないということだろう。

だからといって、死刑制度は廃止すべきかといえば、それもまたどうかという気がする。なぜならば、どうしても死刑にする以外にない人間もこの世には必ず存在するからだ。生きていてもどうしようもない人間は、国家権力の名の下に処罰するしかないだろう。

宮崎勤や加藤智大のような重大事件が起きると、マスコミは一斉にその事件の背景や社会的な要因などを分析するが、これはあまり意味がない。インターネット社会のひずみがどうだの、格差社会の弊害がこうだのという分析をしたところで、結局はマスコミの自己満足でしかない。

こういう犯罪を犯す人間は、どんな時代にも、どんな社会にも必ず存在する。結局は、そういう人間であるというだけのことだ。時代や社会に後付けの理由を求めても意味はない。犯人にしても、理由など深く考えてはいないと思う。周りが後付けの意味を考えてくれるから、自分もそんな気になるだけのことだろう。

結論としては、こうした凶悪犯罪を犯す人間はいつの時代にもどんな社会にも必ず存在するから、こうした人間を国家権力の名の下に処罰するために死刑という制度が必要になる、ということだと思う。難しい理屈など並べる必要はなく、結局はこういう単純な話に落ち着くのではないだろうか。



08/06/15

自分は翻訳本が嫌いだ。あのいかにも翻訳調の文章がどうにも苦手だ。しかしそんなことばかり言っていたら、ドストエフスキーやビクトル・ユーゴーなどの作品を読むことなく死んでしまうのだと気付いて悲しくなった。英語はともかく、ロシア語やフランス語なんて読めないからだ。

ということで、いきなり「罪と罰」や「レ・ミゼラブル」などの大作を読むのもどうかと思ったので、比較的気楽に読めそうなドストエフスキーの「賭博者」なる作品の翻訳を読んでみた。しかし、やはりどうしても翻訳調の文体になじめない。いちいち引っかかってしまって、作品に入っていけないのだ。

たとえば、退役軍人の元将軍が、自分の使用人に対して叱責するセリフが、「さるドイツ人ですと!? そのドイツ人はヴルマーヘルム男爵で、偉い人物なんですぞ!」という感じだ。すまん、思わずフイた。どこの世界に「〜ですぞ!」などという語尾で話す将軍様がいるのだろう。

次は、この使用人が将軍に対して反論するセリフで、「僕はただ、まるで僕の自由な意志を支配する権利を有しているみたいな人物の下で、後見を受けているといった、僕にとっては腹立たしい想定を解明したいと思っているだけなんです」というもの。一読しただけでは何を言っているのかよくわからない。

原典がないので想像するしかないのだが(原典があってももちろん読めないけど)、おそらく「相手は、将軍であるあなたが僕の意志を無視してすべてを自由にできるものと思い込んでいるのでしょう。僕はそうした屈辱的な誤解を解きたいと思っているだけなんです」くらいの意味になるのだろう。

次は、気取り屋のフランス人のセリフで、「概してこの出来事はすべて実に奇妙なものですから、わたしのごく自然な性急さもどうかお許しください」というもの。「ごく自然な性急さ」という表現があまりにも不自然で、これまたフイた。不自然すぎて逆にすごい。

これも想像になるが、おそらく「わたしもつい先走ってしまいましたが、今回のできごとはすべてにおいて実に不可解なものですから、それも無理からぬことと察してお許しください」くらいの意味になるのだろう。あまりうまい文章ではないが、「ごく自然な性急さ」よりはマシだろう。

次は、愉快な将軍様のセリフで、「わたしとわたしの家族は、わたしたちはあの人の相続人なんですよ」というもの。そんなに必死に「わたし」を並べなくてもいいと思いますぞ、将軍様。「わたしたち家族は、あの人の相続人です」だけで十分だと思いますぞ!

きりがないのでこれで最後にしよう。最後は、お金目当てのいやしい女性が、ルーレットで大金を稼いだ主人公を誘惑するセリフで、「そこでいっしょに暮らせば、真っ昼間にお星さまを見るような思いをさせたげるわ(訳注: 真っ昼間に星を見るという表現は、目から火が出るという意味にもなる)」というもの。

訳文もイマイチよく意味がわからないし、訳注もさらに意味がわからない。これではわざわざ訳注を付ける意味がない。これはおそらく、「昼間から太陽が黄色く見えるような思いをさせてあげる」という意味だろう。これでもわかりにくければ、「腰が立たなくなっても知らないわよ」くらいを付け足しても問題はないだろう。

全編にわたってこんな文章ばかりで、読んでいて疲れた。いかに名作であろうとも、日本語がまずいと台無しだ。翻訳である以上、ある程度の不自然さはしかたないが、それも程度の問題だ。少なくとも自分は、元将軍が自分の使用人を「〜ですぞ!」と叱責するような小説は読みたくない。

わたしは、これからのわたしの人生において、「罪と罰」や「レ・ミゼラブル」などといった、ロシア文学やフランス文学の名作を読む機会を二度と与えられることはないだろうということを、悲しさとともに悟ったのだった。この考えは、わたしに辱めを与えるとともに、ひどくわたしを苦しめるものだった。



08/06/08

やっぱり、スピード社の水着はすごいらしい。北島をはじめ、スピード社の水着でレースに臨んだ選手たちが次々に日本新記録を出したことで、この水着のすごさが改めて証明された形になった。正直なところ、水着だけでこれほどタイムに影響するというのは驚きだ。

しかし、これほど水着に影響されてしまう競技というのも問題だ。水泳競技は、いまだに日本記録や世界記録がものすごい勢いで塗り替えられる競技だが、こうした水着の進化がその大きな理由なのかもしれない。この先どこまで記録が伸びるかは、水着がどこまで進化するのかと同義なのかもしれない。

ここまでくると、選手同士の競技というよりは、水着の性能の争いという気がしてくる。いっそのこと、オリンピックの出場選手はすべてスピード社の水着を着用すべし、と規定したらどうだろう。あるいは、五輪用の統一規格として新しく専用の水着を作ってもいいと思う。いずれにしろ、同じ条件で競技しなければ意味がない。

オリンピックは平和の祭典だと言っているが、こういう水着問題ひとつをとってみても、結局はコマーシャリズムと切り離すことはできないのだと感じる。いくら身体能力が優れている選手が多くいても、資本力の乏しい国はオリンピックでは決して活躍できない。

そんな小難しい問題はともかく、水泳競技については以前からひとつの疑問を感じていた。それは、なぜわざわざ平泳ぎや背泳ぎなどという不自然な泳法で競うのかということだ。一番楽で速い泳法は間違いなくクロールだ。それなのに、わざわざ遅い泳法でタイムを競うというのが面白い。

スピードの出ない泳法で競技をしながら、水着などの改良で必死にタイムを伸ばそうとするのはなんだか矛盾しているような気がするのだが、どうだろう。平泳ぎや背泳ぎやバタフライが陸上競技の競歩に少しだけ似ているように感じるのは自分だけだろうか。

競歩を見ていると、あんなに必死に歩くのなら、いっそのこと走ればいいのにと思ってしまう。平泳ぎや背泳ぎも同じで、いっそのことクロールで泳げばいいのにと思ってしまうのだ。わざわざスピードの出ない泳法でスピードを競ってもあまり意味がないのではないか、そんなことを感じてしまうのだ。

自分の場合、クロールなら体力の続く限り泳げるが、平泳ぎや背泳ぎになるとまるでダメだ。平泳ぎは必死に手足をもがいでいるだけで実際には犬かきみたいになっているし、背泳ぎはいつの間にか腰から下が下がってくるしで、どちらの泳法もまともには泳げない。

バタフライにいたっては論外で、間違ってバタフライで泳ごうものなら、あのジタバタしている人、何か嫌なことでもあったのかしら、などと周りから同情されてしまうくらいのジタバタぶりだ。ジタバタするなよ、としぶガキ隊に怒られてもジタバタしちゃうくらいの情けなさだ。

というわけで、平泳ぎやバタフライできれいに泳げる人は素直に尊敬するのだが、でも実際にはクロールさえ泳げれば問題ないよね、とも思うわけだ。バタフライが泳げなくても、ドーバー海峡は横断できるしね。結論としては、日本選手にはぜひともスピード社の水着で頑張ってほしいということだ。



08/06/01

仲間由紀恵が「ヤンクミ」なる教師を演じている「ごくせん」というドラマが流行っているらしい。しかし、「ごくせん」と「ヤンクミ」の意味がよくわからない。「ごくせん」のほうは「極道の先生」という意味だろうとは推測できるが、「ヤンクミ」の意味がわからない。

自分の予想としては、この教師の名前が久美子で、ヤングな久美子を略してヤンクミなのかと考えていたが、なんだかそれもおかしい気がする。そこで、子供電話相談室に電話をかけて教えてもらおうかと思ったが、「ググレカス」と言われると嫌なのでググってみた。

どうやら、主人公の名前の山口久美子を略してヤンクミというらしい。ヤンキー組長の略だという説もあるようだが、とりあえずヤングな久美子でないことだけはわかった。人前で「ヤンクミってヤングな久美子っていう意味なんだぜ」などと得意げに説明しなくてよかった。

とはいえ、自分はいままでにこのドラマを一度も観たことがない。そもそもドラマの類いはほとんど観ないのだが、若い女子がヤクザ言葉で啖呵を切るドラマなんて、こっ恥ずかしくてさらに観る気がしない。しかし、一度も観ていないながらも、このドラマがヒットしている理由は推察できる。

一番大きな理由は、不良生徒が出演する学園ドラマということだろう。学園ドラマには絶対に不良生徒役が欠かせない。古くは金八先生のときだって、トシちゃん、ヒロ君、ヤックンなど、おいしいところはみんな不良生徒役が持っていった。学園ドラマの主役は絶対に不良生徒なのだ。

ドラマを制作する側からすれば、リアルな教育現場の問題を深く掘り下げるよりも、見た目も怖い不良生徒が、最初は教師に反抗しながらも最後には心を開いていく、という陳腐なパターンのほうが視聴者の共感を得やすいということだろう。たしかに、視聴者もドラマに小難しいことを求めてはいない。

「ごくせん」というドラマは、イケメンの不良生徒役がてんこ盛りらしいから、ヒットする要素は十分に備えているということだろう。しかし、不良が主役になれるのは学園ドラマくらいではないだろうか。こういうドラマでは、不良イコール純粋な好青年、優等生イコール意地の悪い人間、という図式で描かれることが多い。

こういうドラマを観た若い衆が、なるほど不良ってカッコよくていいヤツなんだな、おれもカッコいい不良を目指すぜ、なんて思わないとも限らない。不良のイメージが曲解されて、社会に悪い影響を与えないとも限らない。製作者は、そのあたりを配慮しているのだろうか。

なんつって。そんな堅苦しいことはもちろん考えていない。いくら頭の悪い学生でも、これほど安っぽくてうそ臭いドラマを本気にするほど頭は悪くないだろう。もし本気にするほど頭が悪い学生がいたとしたら、それはもう救いようもないくらいに頭が悪いのだから、放っておくしかない。

しかし、不良イコール純粋な好青年、という図式を安直に垂れ流すのだけはどうかと思う。なんだかんだいっても、やっぱり不良というのは怖くて迷惑な存在だ。このドラマを観て、不良にあこがれるのではなく、ヤンクミを目指す人が増えてくれるといいなと思う。



08/05/25

宇都宮地裁の判事がストーカー容疑で逮捕されたらしい。報道によると、「女性職員に面会を迫るメールを十数回送った疑い」で逮捕されたということだ。事件の詳しい背景がわからないからなんとも言えないが、この報道だけを見る限りでは、十数回のメールで逮捕というのは厳しいなと感じてしまう。

しかし実際のところは、「東大で同級だった警察庁幹部に『部下が無言電話で困っている』と持ちかけ、幹部が3月中旬、県警本部長に『相談に乗ってやって』と連絡。捜査が始まるとすぐに、女性へのメールや無言電話は途絶えた」という事情があったらしい。なるほど、完全な自作自演というわけだ。

しかし、こうまでして相手の気を引こうとするこの判事さんはちょっとだけかわいい人だなと感じる。複数のメールアドレスを使い、ストーカーとしてメールを送りつける一方で、善人のフリをして女性の相談に乗ってあげていたというのだから、なんとも健気ではないか。

気のある女子を待ち伏せして、知り合いの不良たちにその女子を取り囲ませ、あわやというところで自分が正義の味方として登場してその不良たちをやっつけるという、安っぽいマンガでよく見るあのパターンそっくりの自演自作ぶりに、思わずほほえましさを感じてしまう。

もちろん、現役判事として許される行為ではないが、この人の気持ちもわからなくもない。55歳の裁判官だって、20代の若い女性に恋をするのだ。それ自体は何も悪いことではない。むしろ、健康な男子としては自然な感情だろう。女は死ぬまで女、とはよくいうが、男だって死ぬまで男なのだ。

しかし、55歳にもなって正義の味方を演じて相手の気を引こうとするのは、やっぱりどこかズレている。55歳という年齢からしても、現役裁判官という職業からしても、ズレているとしかいいようがない。まるで、くだらないマンガばかり読んでいる中学生の発想だ。

では、この判事さんはどうすればよかったのだろう。どうすれば、親子ほどにも歳の離れた女子の気を引くことができたのだろう。いろいろと考えてみたが、やはり正攻法で攻めるのが一番だろう。面と向かって堂々と「食事にでも行きませんか」と誘うべきだった。

しかし、こうして勇気を出して誘ってみたところで、結局はやんわりと断られてしまうのがオチだろう。断られるのが怖かったら、最初からそういうお店に行くなりして、自分の気持ちと身体の欲求をごまかす以外にない。世の中のおじさんたちはみんなそうしているのだから、この判事さんもそうするべきだった。

月並みな考えだが、この歳になってこういうズレたことをしてしまうのは、若い頃にうまく恋愛できなかったことの反動なのかもしれない。若い頃に勉強するのはもちろん大事なことだが、それ以外の経験をするのもそれ以上に大事なことだと思う。裁判官という職業に就く人間であれば、なおさら豊かな人生経験が必要だ。



08/05/18

今年からあらためてボキャブラリー増強に取り組んでいることは08/02/24の覚書に書いたが、とりあえず現在もくじけることなく継続中だ。これまでに11組の単語カードを暗記した。1組90枚綴りのカードを使っているから、合計で990の単語を暗記した計算になる。

このうちの大部分が復習として覚えた単語だから、純粋にこれだけの単語が増えたということにはならないが、約1,000語の単語を補完したということだけは事実だ。約4ヶ月で1,000語を多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだろうが、自分としてはかなりの手ごたえを感じている数字だ。

この成果は、散歩をしながら単語を暗記するというスタイルによるところが大きい。単語カードの復習をしていると、散歩をしながらその単語を暗記していたときの情景が浮かび上がってくるのだ。以前よく聴いていた音楽を久しぶりに聴くと当時の思い出が鮮やかに浮かび上がってくることがあるが、それとまったく同じだ。

この効果は大きいと思う。机の前でうんうんと唸りながら単語を暗記しても、こうした効果は期待できない。机に向かって暗記する方法は苦痛なだけで、効率のいい方法ではない。いままでこの方法で暗記してきたからよくわかる。労多くして功少なし、の典型だ。

自分の場合、1組90枚のカードを暗記するのに、調子のいいときで3時間、調子の悪いときは5時間ほどかかる。90枚のカードを作るのに3〜4時間ほどかかるから、1組のカード暗記にかかる合計時間は7〜8時間ほどになる。たった90枚の暗記にそれほど時間がかかるのかと思う人もいるだろう。

しかし、この方法は記憶の定着率がかなりいい。いままでの方法だと、ある程度の時間が経過するとすぐに忘れてしまって、そのたびに情けなく悔しい思いをしてきたのだが、この方法は散歩中の情景が記憶に強く残るため、単語も印象深く記憶に残るという効果がある。

イメージとしては、散歩コースを1本の長い紐だと考えるとわかりやすい。その紐には90個の小さな結び目がついていて、この結び目に単語をひっかけて記憶していく感じだ。その結び目とは、公園の壊れたベンチだったり、中華料理屋の赤い看板だったり、道端に咲いたきれいなツツジだったりする。

要は、こうした視覚的な刺激を暗記に役立てるということだ。ただし、暗記の際にこうしたことを特に意識する必要はない。単語カードを復習するときに自然とそのときの情景が浮かび上がってくるので、この方法がいかに効果的かを実感できるはずだ。

この方法で暗記を始めてからまだ4ヶ月しか経っていないが、その効果は日々実感している。ペーパーバックを読んでいるときも、この単語はあのときに暗記した単語だなと思い出すことが多く、なんだか英語力がアップした感じだ。どれだけアップしたかを示すため、この文章を英語で書いてみよう。

Kono houhou de annki wo hajimete kara mada yon-kagetsu sika tatte inaiga, sono kouka ha hibi jikkann shiteiru. pepa-bakku wo yonnde iru tokimo, kono tanngo ha ano tokini annki sita tanngo danato omoidasu kotoga ooku, nanndaka eigo-ryoku ga appu shita kannji da.

このように複雑な文章も、特に意識することなくスラスラと書けるようになった。これも、散歩による単語カード暗記の賜物だ。いままでの英語学習歴の中で、一番効果的な方法だと断言できる。単語の暗記に悩んでいるそこのあなた、いますぐ書を捨てて街に出よう。



08/05/11

今回のニュースで、中国から借りるパンダは有料だということを知って驚いた。パンダを2頭借りるのに、年間で1億円が必要だということだ。「日中友好のシンボルとして」なんて言っているから、自分はてっきり無料なんだと思い込んでいた。

しかし、この1億円という金額も微妙だ。なかには、「パンダごときにそんな大金を払う必要はない、そんな金があるなら福祉に回せ」なんていう怒りの声もあるらしいが、自分としては1億円が高いとは思わない。というか、国家間のやり取りとしてはあまりにもセコイ金額なので、それでまた驚いたという面もある。

冷静に考えてみれば、世界第2位の経済規模を誇る日本と、その日本をいまにも追い抜かんばかりの勢いの中国との間でやり取りされる金額が、たったの1億円なのだ。これだけの金額だったら、いっそのこと無料にしたほうが、お互いスッキリするんじゃないだろうか。

たとえていうと、大会社の社長二人が飲みに行って、接待した側の社長が会計のときに、「本当は5,000円オールなんだけど、友好の証としてあなたは4,500円でいいよ」と言っているようなものだ。たとえがちょっとズレているような気もするが、まあだいたいこんな感じだ。

だからといって、まるきりのタダで提供してもらうというのも、中国に借りを作ってしまうようであまり気持ちのいいものではない。ここは逆に、1億円でいいですよ、と相手がいうところを、いやいや、そんなケチなことを言わないでください、日中友好の証として10億円を出しますから、といってみたらどうだろう。

こう提案されたらいくら厚顔の中国とはいえ、ではありがたく10億円をいただきます、なんて答えることはできないだろう。いや、本当に1億円だけでいいですから、と言わざるを得ないはずだ。こうすれば、逆に日本が中国に貸しを作った形になって丸く収まる。

とにかく、お互いに大国同士なんだから、1億円なんていうケチな金額でやり取りするのはやめてもらいたい。膨大な国家予算のうちの1億円なんて、一般家庭の家計にしてみたら1円玉くらいのものだろう。たかだか1円玉一枚で恩を着せたり着せられたりするのはバカバカしい。



08/05/05

今回のネタはかなり長くなってしまったので、雑記帳のページに載せました。よかったら読んでやってください。



08/04/27

最近は硫化水素による自殺が流行っているらしい。ちょっと前までは練炭自殺が大流行していたのに、今ではすっかり硫化水素が主役の座に収まってしまった。自殺界のトレンドは流れが速すぎてちょっとついていけない。まあ、無理してついていく必要もないか。

しかし、練炭自殺にしろ硫化水素自殺にしろ、どうしてこうも一気に広まってしまうのだろう。自殺志願者は、簡単に死ぬことができる方法を常に求めているということだろうか。もっと手軽に死ぬことができる方法が見つかれば、自殺者の数ももっと増えるのだろうか。

自分としては、これまでに開発されている自殺の方法のうち、一番お手軽で確実なのは首吊りだと思う。かなり以前になるが、「完全自殺マニュアル」という本を読んだことがある。これは、具体的なデータや取材に基づき、さまざまな自殺の方法をさまざまな観点から比較したもので、当時ちょっとした問題になった本だ。

この本によると、これ以外の方法は考えなくてもいいくらい、首吊りというのは優れた方法であるらしい。服毒自殺は致死量の見極めが難しいし、飛び込みや飛び降りは死体があまりにも無残だ。この本を読んで、自分も自殺するときには首吊りにしようと思ったものだ。

いずれの方法を選ぶにしろ、最低限のエチケットとして、周囲の迷惑にならないようにしたいものだ。今回の硫化水素のように、周囲の人間をも巻き込んでしまう可能性のある方法は論外だ。そういう意味では、電車への飛び込みなんていう方法も問題外だ。

自殺する場合は、どこで自殺するかが重要になる。自室での死を選ぶのは可能な限り避けたほうがいいだろう。賃貸物件の場合、死人が出た部屋とあっては借り手がなかなか現れずに大家に迷惑をかけてしまう。持ち家であったとしても、自宅で死なれたとあっては、残された家族もいい気分ではないだろう。

できれば、あまり人気のない森の中などがいいだろう。ただし、富士の樹海など、あまりにも人気のない場所は避けたい。やはり遺族としては、せめて葬式くらいはあげたいと思うだろう。そうした場合も考えて、ちゃんと遺体を発見してもらえる場所を選びたい。

さらに、きちんと遺書を書くことも必須だ。銀行口座や保険証書などの重要な書類は一箇所に保管し、その処分方法についても遺書に明記しておく必要がある。自殺の場所も、わかりやすく遺書に書いておいたほうがいいだろう。遺体の捜索に警察などの手を借りることがあっては、金銭的にも迷惑をかけてしまう。

とりあえず、自殺するときにはこれくらいの配慮が必要だと思う。大概の人は、これだけの準備をする途中で、死のうという意欲がなくなってしまうだろう。そもそも、これだけの準備をするだけの気力があれば、最初から自殺などしようとは思わないだろう。

しかしそれでも、自殺志願者は心構えだけでもこうした準備をしておく必要があると思う。いざとなったらこの方法で死ねば周りに迷惑がかからない、という安心感を持つことができるからだ。自分の命を自分がどうしようと自分の勝手だというのは勝手だが、周りの迷惑も充分に考えてもらいたい。



08/04/20

流星号がまたパンクした。07/12/09の覚書に書いたとき以来のパンクだ。あのときはチューブの疲労によるパンクだったが、今回は路面に落ちている異物を踏んだことによるパンクだ。いわば正統的なパンクだが、自分としてはこうしたパンクは初めての経験だ。

交通量の多い国道を時速35KMほどのスピードで快調に走っていると、突然後輪の感覚が変わった。路面の凸凹が直接サドルに響いてくる。これはパンクだなと瞬間的に感じ、ゆっくりとブレーキをかけて停止した。確認してみるまでもなく、後輪からはすっかり空気が抜けている。

こうしたパンクはかなり危険だ。大型トラックがゴウゴウと音を立てて横を走り抜けていく車道を、細いタイヤを履いたロードバイクでそれなりのスピードを出して走っているわけだ。そのときにいきなりパンクしてハンドルを取られたりしたら、トラックに接触して大事故にならないとも限らない。

そんな感じで若干肝を冷やしながら歩道に上がり、近くに自転車屋がないか探す。ここから自宅まではまだ10キロくらいはある。ここまで流星号で100キロ近く走ってきたから、それなりに疲労もたまっている。できることなら早く自転車屋を見つけて修理したい。

しかし、こういうときに限って自転車屋が見つからない。ちょっと脇道に入って探してみれば簡単に見つかるような気もするが、見つからなかったときのことを考えると躊躇してしまう。それよりは、自宅までの最短ルートを歩きながら探したほうが確実だ。

結局は、10キロの道のりを歩いて自宅近くの自転車屋で修理してもらった。本当にいざとなると見つからないものだ。結局この日は、100キロのサイクリングと10キロのウォーキングをこなしたことになる。けっこう体力あるんだな、おれって。というか、どれだけ無駄な体力を使えば気が済むんだろう。

07/12/09の覚書では、「これに懲りず、これからも何度もパンクを繰り返してはそのたびに困るのだろう」などと書いたが、さすがに今回のパンクで懲りた。今回は自宅まで10キロという近距離だったからまだよかったが、これが人里離れた場所だったら困る。

富津岬や犬吠埼、さらには宗谷岬の先端でパンクしたらどうしようもない。まわりを見渡しても、自転車屋はおろか雑貨屋のたぐいもない。近くの街まで出るにはどのくらいかかるのか、その道順さえもわからない。荒れる海を見ながら、そして僕は途方に暮れる。

そんなことにならないため、早速パンク修理キットを買った。その内容は、スペアチューブ、タイヤレバー、サドルバック、携帯ポンプだ。パンク修理というと、チューブの穴をゴムのパッチで塞ぐという作業を連想するだろうが、自分はそんな面倒なことはしない。パンクしたら即チューブ交換だ。

これらの道具を買っただけで満足している場合ではない。出先でパンクしたとき慌てないように、ネットでパンク修理の手順を説明するサイトを検索し、それを参考にしながら自宅のベランダで実際にチューブを交換してみた。前輪と後輪を外し、それぞれのチューブを交換する作業だ。

やってみたら、意外と簡単に交換することができた。なんだかちょっとだけ大人になった気分だ。41歳にもなって大人気分というのもどうかと思うが、とにかく今回のパンクでは「学習する」ということをようやく学習することができた。なんだか人間的に成長した気分だ。



08/04/13

単語カードをにらんでブツブツいいながら歩いていると、外人の若い女子に声をかけられた。聞いてみると、どうやら六本木に行きたいらしい。ちょうど地図を持っていたので、その地図で道順を確認しながら、得意の英語で流暢にペラペラペラっと道を教えてあげた。

などというのはもちろん嘘で、いきなり声をかけられたので舞い上がってしまった。この覚書でも何度も書いているように、自分は極端な方向音痴だから、普通の日本人に道を訊かれただけでも舞い上がってしまうのに、それが外人でしかも若い女子となれば、いかに舞い上ってしまったか想像できるだろう。

だいたい、自分は単語の暗記はそこそこ得意だが、英会話はからきし苦手なのだ。いきなり英語で話しかけないでほしい。話しかけるときには前もって連絡してもらえるとありがたい。電話だと同じように舞い上がってしまうので、できればメールで連絡してほしい。

などと言えるはずもなく、オロオロしながら英語で会話をした。聞いてみると、六本木のメンストリートでショッピングをしたいらしい。六本木のメインストリートといえばやっぱり六本木通りだよな、と考えて、六本木通りまでの行き方を教えてあげた。

もちろん、その英語もかなり怪しいもので、何度もつっかえながらしどろもどろで道順を説明した。話しながら、自分でも相当インチキ臭い英語だということがわかる。自分ひとりでよかった。絶対に知り合いには聞かれたくない英語だ。もし聞かれたら、間違いなく「ぷ」と吹き出すと思う。

それでもなんとか道順を教えて、相手もなんとか理解してくれたらしい。Thank you so much、と言われて、いやいやこれしきのこと、礼にはおよばんよ、などと鷹揚にこたえて、また単語カードの暗記に戻った。しかし、しばらく経って、本当に六本木通りでよかったのだろうかとふと疑問がよぎった。

目的はショッピングだと言っていたから、六本木通りよりも六本木ヒルズや六本木ミッドタウンを教えてあげたほうがよかったのではないだろうか。いまや、六本木の中心地はすっかりこちらに移ってしまったような気がする。あの女子も、この新しい六本木の中心地のことを指していたのではないか。

だとしても、いまさらどうにもならないので、正しいことを教えてあげたんだと思い込むことにした。とりあえず、これから自分に道を尋ねる場合には、1. 前もってメールで連絡すること、2. 具体的にピンポイントで行きたい場所を告げること、の2点を必ず守ってほしい。



08/04/06

春満開で気持ちがいい。桜の季節からゴールデンウィークを経て蒸し暑くなる直前の5月いっぱいくらいまでが、日本における一番気持ちのいい時季だと思う。自分はこの時季のことを「天国に一番近い季節」と勝手に呼んでいる。それくらい素敵な季節だ。

あまりに気持ちがいいので、愛車の流星号に乗って富津岬まで走った。自宅から往復で120キロの行程だ。さすがにこれくらい走ると多少は疲れる。しかし、流星号を買った当初は70キロくらいでヘロヘロになっていたから、それから比べればだいぶ進歩したと思う。

ベテランになると、一日で200キロくらい走る人もいるらしいが、自分の体力では150キロくらいが限界だろう。だいたい、自転車で一日200キロも走るなんてちょっとどうかと思う。その体力と情熱をもっとほかのことに向けたほうがいいような気がする。などと、目的もなく120キロ走ってしまう自分が偉そうに言ってみるテスト。

流星号を買ってちょうど3年経ったが、地元のサイクリングコースはほぼ開発し尽くしたような気がする。まだ走っていない未開発のコースもいくつかあるが、これは後の楽しみに取っておくつもりだ。そうなると、次に考えるのが折り畳み自転車を使った輪行だ。

輪行とは、自転車を持ったまま電車などの交通機関を利用して目的地まで出かけることをいう。自宅から自転車で出かける場合はおのずと行動範囲が限定されてしまうが、輪行の場合は飛躍的に行動範囲が広がる。ちょっとした旅行気分を味わうことができるのだ。

もちろん、ロードバイクでも輪行できないことはないが、やはり車体が大きい分だけ取り扱いに苦労する。輪行の場合、専用の折り畳み自転車がほしいところだ。早速ネットで検索してみたところ、いろんな種類がある。その中でもBD-1というモデルがよさげだ。なんといっても、デザインが激しくカッコいい。

しかし、価格もそれなりに高い。いろんなアクセサリーを揃えたら、20万円は軽く超えるだろう。2〜3万円という激安な折り畳み自転車もあるにはあるが、安物買いの銭失いという結果になってしまうのは困る。というか、安物はデザインも安っぽいのだ。こういうチャチな自転車なら、むしろ要らない。

どうせ買うなら、ちゃんとしたものを買いたい。などと、すっかりその気になって相方に相談したところ、高いんだね、とだけ言われてしまった。たしかに、たかが自転車1台に20万円もかけるというのは、一般的な感覚からしたら高いだろう。それは理解できる。

しかし、これはただの自転車ではないのだ。自転車による行動範囲を劇的に広げることが可能な、まさに夢の翼なのだ。その翼をたったの20万円で手に入れることができると考えれば安い。思い切り安い。激しく安い。安すぎて思わずめまいがするくらいだ。

などとは言えず、だよね、やっぱり高いよね、と思わず相方に同意してしまった自分が悲しい。この歳になっても、相変わらず弱気だ。とりあえず、もう少し時間をおいてから再度チャレンジしてみたい。それにしても、もう少しだけ安くならないかな、BD-1



08/03/30

桑田真澄がついに引退を表明した。ずっと桑田を応援してきただけに、激しく残念だ。本人いわく「燃え尽きた」ということらしいが、「まだまだいける」というのが本音ではないのか。オープン戦でも結果を残していたし、今年こそはメジャー1勝という目標があっただけに、心残りはあると思う。

そういうことを心の中に押し留めて、悟りきったセリフを口にするのが桑田という男だ。ファンとしても残念だが、一番残念に思っているのは本人だろう。本人が燃え尽きたというのであれば、ファンとしても何も言うことはない。いままで長い間お疲れさまでした。

今回の桑田のニュースで思い出したのが、ボクシングの辰吉丈一郎だ(自分は辰吉ファンでもある)。ビッグマウスの辰吉と求道者の趣のある桑田とではキャラクター的にまったく異なるが、この二人には「悲劇のヒーロー」という共通項があるように思う。

桑田の場合、あの肘のケガさえなければ、順風満帆なプロ生活を送れただろう。桑田は173勝しかできない選手ではない。間違いなく200勝はいけたはずだ。あのケガ以降は素人目にもはっきりと球威が落ちたことがわかった。ファンとして、あのケガさえなければ、といまだに思ってしまう。

辰吉の場合、世界タイトルを奪取した直後の網膜裂孔さえなければ、もっとすごいボクサーになっていただろう。もちろん、網膜裂孔と網膜剥離を乗り越えて2度世界チャンピオンに返り咲いたことはすごいことだが、全盛期におけるあの長期ブランクさえなければ、もっと活躍できていたことは間違いない。

桑田も辰吉も、ボロボロになるまで現役生活を続ける道を選んだ(辰吉の場合、まだ正式な引退表明はしていないが)。これだけの記録を残したわけだから、潔く引退するという選択肢もあったのに、あえて現役にこだわったのは、二人とも「自分の実力はこんなもんじゃない」という考えがあったからではないか。

肘をケガする前、網膜裂孔を患う前の全盛期の自分のイメージがあるからこそ、自分の力の衰えを認めることが難しかったのではないだろうか。こうした一流選手の心情をド素人の自分が推し量るのも失礼な話だが、そんなふうに思えてしかたがない。

サッカーの中田のように全盛期で突然引退するのも、桑田のようにボロボロになるまで現役にしがみつくのも、どちらもプロとしてのプライドからくるものだろう。どちらがいいも悪いもない。本人の考え方次第だ。しかし、ボロボロになるまで現役にこだわった桑田はカッコよかった。本当にお疲れさまでした。



08/03/23

2012年に完成が予定されている新東京タワーの名称の最終候補が決定したらしい。昨年10月から名称を公募し、全国から18,606件の応募があったとのこと。その中から、有識者10名で構成される委員会が最終候補として選出したのが以下の6つだという。
  • 東京EDOタワー
  • 東京スカイツリー
  • みらいタワー
  • ゆめみやぐら
  • ライジングイーストタワー
  • ライジングタワー

うーん、どれもイマイチ。というか、どれもかなりひどい。あまりにもセンスがないと感じるのは自分だけではないはず。「ライジングイーストタワー」なんて長すぎて誰も使わないだろうし、「ゆめみやぐら」なんてのもなんだか恥ずかしい。「みらいタワー」もしかり。

本当にこんなノーセンスな案しかなかったのだろうか。18,000件を超える応募があったのだから、中にはもっとまともな案もあったはず。だとすれば、ノーセンスなのは委員会を構成する有識者の方々だということになる。「ゆめみやぐら」なんて素敵な名前を最終候補に残す有識者ってどうよ。

そもそも「有識者」という定義がよくわからない。どういう基準で「有識者」なる人たちが選ばれるのか、その過程を見てみたい。委員のひとりは作詞家の阿木燿子氏だというから、言葉に対するセンスに長けた人が委員になっているはずなのに、その結果がこれでは有識者の見識を疑ってしまう。

それはともかく、素直に「新東京タワー」を正式名称にすればいいと思う。このタワーを運営する会社が「新東京タワー株式会社」という名前なのだから、この名前を使うのが自然だろう。新しい名前が決まったら会社名と違ってしまい、混乱するような気がする。

もしかしたら、新しい名称が決まった段階で、会社名もそれにあわせて変更するつもりなのだろうか。万が一「ゆめみやぐら」に決まったとしたら、「ゆめみやぐら株式会社」になるのだろうか。そうなったら、社員はあまり嬉しくないだろう。電話を受けるときも「はい、ゆめみやぐらでございます」なんて言わなければいけないわけだし。

最終的には、一般の投票で一番多くの票を獲得した案が正式名称として決定するらしい。どれが選ばれても、あまり定着しそうにない気がする。少なくとも自分は、「新東京タワー」と呼ぶことになるだろう。こういう名前というものは、シンプルで無難なものが結局は一番だと思う。



08/03/16

「ねんきん特別便」が我が家に届いた。自分はこれまでに何度か転職をしているから、もしかしたら記録漏れがあるかもしれないとは思っていたが、実際に届いてみるとあまり嬉しいものではない。ささやかな年金でささやかな老後を送るのが夢なのに、そのささやかな夢を壊さないでほしい。

早速内容を確認したところ、大学を卒業して最初に就職した会社の5年間の記録がきれいに抜け落ちているではないか。モグリの会社ではなくまともな会社なのに、なぜこの記録が抜けているのだろう。というか、なぜコンピュータの名寄せ作業で拾えなかったのだろう。激しく疑問だ。

ついでだから、ここで自分の職歴をまとめてみたい。

@新卒として某システム会社に約5年間勤務。
Aフリーのシステムエンジニアとして、約7年間いろんな会社に勤務。
Bそろそろ落ち着こうと思い、某システム会社に正社員として入社し、約1年半勤務。
Cいい加減にシステムエンジニアが嫌になったので、機械を製作する工場に社内翻訳者として入社し、約1年半勤務。
Dそろそろ工場勤務にも飽きたので、翻訳会社に正社員として入社し、現在に至る。

こうしてまとめてみると、あまり自慢できる職歴ではない。というか、自分が採用担当だったら、こんなに転職を繰り返すような人間は絶対に採用しないだろう。正社員として一番長く続いたのが、新卒として入社した最初の5年間という時点でアウトだ。

あまり自慢できる職歴ではないが、それなりに波乱万丈な職歴ではあると思う。翻訳業に就くことを目指して英語を勉強しながらフリーのエンジニアとして働いていたのがAの時期だが、このときにはいろんな会社を見ることができてそれなりに面白かった。

しかし、フリーとして一生食べていけるという保証はなく、そろそろ落ち着こうと考えて嫌々ながら入社したのがBの会社だ。このときの転職活動はなかなか厳しく、書類選考や面接で落とされ続け、ようやく引っかかったのがこの会社だった。ナンパと同じで、面接も断られ続けると精神的にキツくなってくる。

この時点で年齢も34歳だったし、それまでのフリーのエンジニアという経歴もマイナスに作用したのだろう。ある転職エージェントには、「この年齢でこの職歴だと、ウチで紹介できる会社はありません」とはっきり言われたものだ。このときはかなりショックだった。

結局、1勝8敗という引退間近の力士のような戦績でやっとBの会社に入社したのだが、入社当日に自分の選択が間違いだったことに気付いてしまう。なんというか、職場の雰囲気がダメなのだ。どんよりと沈んでいて活気がない。言われたことだけを黙々とこなしているような連中ばかりで、直感的にこの会社はダメだと思った。

職場の雰囲気になじめないまま、毎日重い気分でなんとか仕事をしていたのだが、そんな気持ちでいつまでも続くはずもなく、ネットで見つけた社内翻訳者の求人に応募して運よくCの会社に入社することができた。これは本当にラッキーだったと思う。

Cの会社では、工場で製作する機械のマニュアルや仕様書の英訳を担当した。最初はいろいろと大変だったが、慣れてしまうとルーチンワークと化し、思い切り時間を持て余すようになった。もうこの会社で学ぶことは何もないと思って転職したのがいまの会社だ。

長々と書いてしまったが、こうしてまとめてみると、自分の本能のままに転職を繰り返してきたんだなと改めて思う。我慢のきかない典型的なダメ人間だ。よい子のみんなはマネしちゃだめだぞ。結論としては、社会保険庁にはしっかりしてもらいたい、ということだ。



08/03/09

またしても、エセ環境保護団体のシー・シェパードが日本の捕鯨船にちょっかいを出しているようだ。彼らの言い分によると、海上での衝突の際に、日本の捕鯨船「日新丸」から発砲を受けたらしい。その証拠として、防弾チョッキから銃弾が発見されたという。

なるほど、それが事実ならば、日本側の対応は行きすぎたものだ。いくら薬品の入ったビンを投げられたとしても、銃弾で応戦するのはよくない。死傷者が出たりしたらどうするつもりなのか。これまでシー・シェパードばかり悪く言って申し訳ない。正直スマンかった。

などという展開を期待しているのだろうか、シー・シェパードは。温厚な日本人が、これくらいのことで銃弾などぶち込むわけがないだろう。心情的には銃弾の2〜30発くらいぶち込みたいところだろうが、そこを耐えて物事を荒立てないのが日本人のいいところでもあり悪いところでもある。

自分たちから理不尽なケンカを吹っかけておきながら、安全な警告弾を打たれただけで、待ってましたとばかりに銃撃を受けたなどと平気で嘘をつく。これでは、すぐに逆切れするどこぞの国となんら変わらない。アメリカ人はもっと大人の対応ができる民族だと思っていたが、そうでもないらしい。

奴らとしても、日本人が相手だからこそ、ここまでの暴挙に出ているのだろう。要するに、日本人だから大概のことは大丈夫だろうと舐めているのだ。その証拠に、同じ欧米人であるノルウェーやアイスランドの捕鯨船に対しては、ここまでひどいことはしていない。

要するに、日本という国は世界中から舐められているということだ。何も悪いことはしていないのに、ここまで理不尽な嫌がらせを受けるというのが腹立たしい。どうにかして、このエセ環境保護団体に正義の鉄槌を振り下ろすことはできないものか。

ということで、いまこそ海上自衛隊の出番だと思うわけだ。例のイージス艦で南氷洋まで出向き、シー・シェパードの船に体当たりを食らわせてほしい。不祥事続きの海上自衛隊だから、「またミスしちゃいました、これからは注意したいと思います、えへへ」とか言っておけば大丈夫だ。

こうすれば一発逆転で、悪者扱いから一気にヒーローとして称賛を浴びるのは間違いない。頑張れ、海上自衛隊。いまこそ日本人としての気概を世界中にアピールする絶好のチャンスだ。などと過激なことを考えているのは、きっと自分だけではないはず。もうコケにされるのはうんざりだ。



08/03/02

毒ギョーザ事件が新たな展開を見せた。中国当局の発表によると、メタミドホスは袋の外側からも浸透するらしい。なるほど、それが事実ならば日本で毒物が混入された可能性も否定できないわけだ。これまで中国ばかり疑って悪かった。正直スマンかった。

などという展開を期待しているのだろうか、中国は。外側から毒物が浸透するって、いったいどんな袋なんだ。フィルムでできていると見せかけて、実は紙でできているのか。だったら、袋の内側からギョーザの油が滲み出してきそうなものだ。袋の中身がカレーだったりしたらもっと悲惨だ。

もし本当だったら、毒物うんぬんよりも、こういう袋を使っていること自体が大問題だ。しかし、小学生だってこんなたわごとは信じないだろう。どうせならもっとまともな言い訳をすればいいものを、国家レベルでこういう言い訳をするのだからあきれるばかりだ。

正直なところ、中国にはうんざりだ。何を言っても最後には逆切れして日本のせいにする。それがどんなに間違っていようとも、絶対に間違っていることを認めようとしないから話し合いにならない。中国に限らず、韓国も北朝鮮も同じだ。何かあるとすぐにファビョって、まともな議論にならない。

とにかく、今回の中国側の態度には怒りを通り越して嫌悪すら覚える。ここまでコケにされては黙っていられない。日本としても国を挙げて徹底的に対抗すべきだ。しかし、肝心の福田首相は、中国の捜査に対する姿勢を「非常に前向きだ」と評価しているではないか。

何を言っているのだ、のび太君は。中国のどこが前向きなんだ。ギアをバックに入れてアクセルベタ踏みで疾走しているくらい後ろ向きではないか。これまではのび太君の飄々としたキャラクターに好感を持っていたが、この発言で一気に嫌いになった。

ここまできたら、無理して中国のご機嫌を取ることもないだろう。もういい加減うんざりだ。しかし、これから中国は経済的に成長して、近い将来に経済規模で日本を追い越すのは確実な情勢だ。完全に無視するわけにもいかないところが辛い。

だったら、インドと協調するという案はどうだろう。インドも、今後の急速な経済成長が期待できる国だ。人口も将来は中国を抜いて世界一位になると予想されている。核兵器だって保有している。インドとパートナーシップを結ぶことにより、充分に中国に対する牽制になるのではないか。

アジア諸国で日本を嫌っているのは、中国と韓国と北朝鮮だけだ。その他の国では日本は決して嫌われてなどいない。むしろ、第二次世界大戦の日本による統治を感謝している国のほうが多いのだ。ならば、中国、韓国、北朝鮮は適当にあしらっておいて、他のアジア諸国との連携を深めたほうが得策だと思う。

今回の事件に対して自分にできることは何があるかと考えた場合、結局は中国製の製品を買わないということくらいしか思い浮かばない。なんだか非常に無力でむなしい気がするが、何もしないよりはマシだろう。とにかく、こんなふざけた国が作る製品など、絶対に買ってやらない。



08/02/24

いまさらながら、ボキャブラリーの勉強に励んでいる。TIMENEWSWEEKなどの英語雑誌の記事を切り抜いてノートの左ページに貼り、その記事を辞書を引きながら読み、未知の単語を右ページに書き出して覚え込む。この単調な作業の繰り返しだ。

行き帰りの電車の中でペーパーバックを読み、仕事では毎日のように英文を読み書きしているが、こんなことぐらいではボキャブラリーなど一向に増えない。なぜならば、ペーパーバックで出会う未知の単語は辞書など引かないし、仕事で扱う英文には未知の単語などめったに出てこないからだ。

こんな状態でも日常生活にはなんら支障はないから、このところボキャビルはすっかりサボっていた。しかしある日突然、こんなことではボキャブラリーが増えないどころか、忘れていく単語の分だけ毎日ボキャブラリーが減っていく一方だということに気付いて愕然とした。

しかし勉強を再開してみると、あまりにも単語を忘れていることに気付いてこれまた愕然とした。自分はいまだに紙の辞書を使っているのだが、最初に引いた単語には赤ペンで線を引く。この単語をまた引いた場合は青ペンでさらに線を引く。この単語をまた引いた場合はオレンジの蛍光ペンでさらに線を引く。

今回ボキャビルを再開してみたところ、こうした色付きの単語をガンガン引いてしまうのだ。オレンジの蛍光ペンでマークされた単語を引いたときはかなりショックだ。3回も暗記したつもりになっていたのに、実際にはまったく頭に残っていないのだから情けなくなる。

これはなんとかしなければいけないと思い、生まれて初めて単語カードを作ってみた。辞書を開いて色付きの単語を頭からチェックし、覚えていない単語や自信のない単語をかたっぱしから単語カードに書き出す。こうして作った単語カードを常に持ち歩くようにした。

その感想だが、意外に使えるので驚いた。なぜか知らないが、単語がスラスラと頭に入ってくるのだ。これはやはり、常に持ち歩けるというところが大きいのだろう。トイレの個室やホームで電車を待っているときなど、ちょっとした空き時間を有効に使えるのがいい。

さらに、散歩しながらカードをめくることができるのもいい。机に向かいながら暗記するのはかなり苦痛だが、歩きながら暗記するのはかなり快適だ。歩くことによって頭の中が活性化される感じがいい。これまでにも散歩中の暗記は試したことがあるのだが、A4版のノートを持ちながらの暗記はイマイチだった。

そんなこんなで、本当にいまさらだが、単語カードの便利さに感動している。なぜもっと早くに単語カードを使わなかったのかと悔やまれる。こんな原始的なツールにいまさら感動するなんてかなりズレているような気もするが、もし使っていない人がいたらお勧めしたい。

単語カードという史上最強のツールを手にしたからには、圧倒的なボキャブラリー力を獲得したい。ここのテストで測定したところ、120問中104問正解で、予想ボキャブラリー数は16340と判定された。まずは、この120問を余裕で全問正解できるくらいのレベルを目指すことにしよう。



08/02/17

この世の中に必要ないと感じるものはいろいろとあるが、その中でも特にパチンコ屋は必要ないと感じる。パチンコのおかげで人生が暗くなったという話はよく聞くが、明るくなったという話などついぞ聞かない。これほど何も生みださない産業というのも珍しい。

早朝からパチンコ屋の前に行列を作っている人たちを見ると、背筋が寒くなる。こいういう熱心なパチンカーの中には、重度のパチンコ依存症になっている人も多いだろう。パチンコに興じるあまり炎天下の車中に子供を置き去りにして死なせてしまう輩は、こういう人たちの中に存在するのだろう。

もちろん自分もパチンコを打ったことはある。学生のときに友人に連れられて打ったのが最初だ。そのときはビギナーズラックというやつで、7が3つ揃って5千円くらい勝った。おお、たった30分くらい打っただけで5千円だから時給1万円ってことかよ、時給600円のバイトなんてやってられるか、と思ったものだ。

しかし、当然ながらそれからはまったく勝てず、結局パチンコというものは儲からない仕組みになっているのだということに気付いた。普通の人間はこうしてパチンコから離れていくのだと思うが、普通ではない人間も大勢存在するようで、パチンコ人気は一向に衰えない。

パチンコ産業は約30兆円というから、自動車産業の40兆円と比べればいかに巨大な産業であるかがわかる。その金のほとんどがパチンコ店に搾取されているのだ。パチンコ店の経営者の大部分が在日朝鮮人であることはよく知られているが、巨額の金が北朝鮮に流れているであろうことは容易に想像できる。

つまり、朝早くから行列を作ってパチンコ台に突っ込んだ金が、北朝鮮のさまざまな破壊工作の資金として使われているかもしれないということだ。自分の金がなくなるだけならともかく、自分の金がテロ支援国家を支援している可能性に、パチンカーの何人が気付いているだろうか。

これだけの金をほかのことに回すことができれば、といつも考える。そのためには、パチンコに税金をかけることも有効な手段だろう。しかし、パチンコ産業が警察の有力な天下り先になっていることを考えると、それも難しいかもしれない。なんとかならないものか。



08/02/10

今年の冬は寒い。去年は3月になってようやく初雪が降るくらい雪に縁のない冬だったが、今年はもう4〜5回は雪が降っている。おそらくこれが本来の寒さなのだろうが、このところの暖冬にすっかり慣れてしまったせいか、このくらいの寒さでもちょっとばかり辛い。

雪が積もると話題になるのが、東京の人の雪に対する弱さだ。雪道で転んで何人が入院した、などという話題は、もはやこの季節の風物詩といってもいいだろう。雪道で転んで入院するなんて東京人くらいのものだ、みたいな感じで雪国出身の人が揶揄するのをよく聞くが、はたしてそうだろうか。

雪国の人間でも、凍結した路面を歩けば転ぶ。それは当然だ。ただ、雪国というのは絶え間なく雪が降っているため、路面は常に新雪状態で凍結する暇がないだけだ。道路が凍結するのは、ぼたん雪のように水分を多く含んだ雪の場合で、粉雪の場合はツルツルに凍結することは少ない。

つまり、水分の多いぼたん雪が中途半端に降り積もった状態が一番危険だということだ。この状態で道路が凍結したならば、雪国の人間だってコロコロと転ぶだろう。しかしそれは、靴底に滑り止めなどの機能が何も付いていない靴を履いている場合に限られる。

東京人が雪道でコロコロと転んでしまうのは、凍結した道路でもおかまいなしに、靴底がツルツルの革靴などで平気で歩いてしまうからだ。こんな靴で歩けば、そりゃあ転ぶ。どんなに雪道に慣れている人だって、靴底がツルツルの革靴でツルツルの道路を歩いたら間違いなく転ぶ。

東京人の雪に対する弱さというのは、結局のところ雪を甘く見ているということが原因なのだろう。凍結した道路を革靴で歩いてみたり、雪道をノーマルタイヤの車で走ってみたり、雪国の人間からすれば恐ろしくてできないようなことを平気でやってのける。

そうは言っても、年に何回も降らない雪に対して準備を怠るなというのも無理な話だ。喉もと過ぎればなんとやらで、こういう人たちは雪が降るたびに飽きもせずコロコロと転び続けるのだろう。それはそれで、ちょっとした風物詩のようで微笑ましい。



08/02/03

ピザが美味いと評判のイタリアンレストランに行ってみた。ピザの世界選手権で優勝した職人さんがいる店ということで大繁盛しているらしく、相方がどうしても行ってみたいと言うので、予約を取って行ってみた。なんだか自分には不似合いのオシャレな店だ。

出されたピザは、それなりに美味かった。世界選手権で優勝した職人さんの作ったピザ、という先入観で食べるから美味く感じるのかもしれない。普通の店で同じピザを出されたら、特に何も感じることなく食べていたのかもしれない。まあ、先入観の有無で美味くもまずくも感じてしまうのが料理というものだろう。

ワインを飲みながら食べていたので、食べ終わったら喉が渇いてきた。そこでお店の人に「お冷をもらえますか」とお願いしたところ、かしこまりました、と答えたウェイターさんは、「こちらからお選びください」と言ってメニューを開いた。そのメニューには、いろんなミネラルウォーターが記されている。

どうやら、この店では水も有料らしい。徹底的に本場ヨーロッパのスタイルを貫き通すのがポリシーなのだろう。たしかに、水質のよくないヨーロッパではどの店でもミネラルウォーターを有料で提供しているが、そのスタイルを日本でも押し付けることはないだろう。

こちらとしては、料理の最後に一口だけ水を飲んで口の中をさっぱりさせたいだけなのだ。そんな気分のときに、大きなボトルで水をドンとテーブルに置かれても困る。厨房の蛇口をちょこっとひねって、その中に氷を2〜3個浮かべてくれればいいだけの話だ。

しかし、郷に入っては郷ひろみだ。釈然としないながらも、じゃあ水はいいですと断って、食事を続けた。そんな自分たちを哀れんでか、ウェイターさんが「特別サービスですよ」と小声で言いながら、グラスにミネラルウォーターを注いでくれた。なんだか、余計に嫌な気分になった。

やっぱり、日本で飲食店を経営する限りは、水のサービスは必須だと思う。どんなポリシーがあるにせよ、黙っていても水は出てくるのが常識になっている日本では、水が有料というのはものすごく釈然としないものを感じてしまう。たかが水、されど水なのだ。



08/01/27

スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之くんがピンチに陥っているらしい。「オーラの泉」という番組で行った霊視がインチキだとバレたり、昨年放送されたフジテレビの番組での霊視が問題になったりと、まさに身も細る思いだろう。この際だから少しは痩せるがいいさ。

ようやくインチキ野郎のばけの皮がはがれたかという感じだ。自分はどちらの番組も観ていないのだが、江原くんがテレビに登場した頃からインチキ臭さ全開だったので、いつかはこういうことになるだろうと思っていた。細木数子も問題を起こしてテレビから姿を消すだろうと思っていたが、このインチキオバサンはかなりしぶとい。

こういう霊視とやらで一番問題なのは、霊視される人間の心を無責任にもてあそぶことにある。大真面目な顔で先祖がどうの守護霊がこうのというおどろおどろしい話をされれば、気の弱い人間なら思わず信じてしまうだろう。これは霊感商法の手口とまったく同じで、怖い話で脅しておいて信じさせるという方法だ。

もっと罪が深いのは、行方不明者を超能力者が探し出すというテレビ番組だ。これは最悪かつ最低の番組だと思う。依頼者は真剣に身内のことを心配して依頼しているのに、自称超能力者は適当なことを言うばかりで、行方不明者が見つかることなどない。後はギャラをもらって知らん顔だ。

要するに、こういう自称超能力者たちは、困っている人たちをダシにして適当なことを言って金儲けをするだけの最低な奴らだ。細木数子も江原啓之も丸々と太っているから、このインチキ商売は相当儲かるのだろう。本当にこいつらは人間として最低だと思う。

しかし、さらに最低なのは、こういう罪深い番組を無責任に垂れ流すテレビ局だ。手っ取り早く視聴率が取れるというだけの理由で、安易にインチキ番組を作る姿勢にはあきれる。製作スタッフだって、すべてインチキだとわかっているはずだ。だとしたらさらに罪が深い。

いまはNHK職員によるインサイダー取引が問題になっているが、自分に言わせればインサイダー取引よりもインチキ番組のほうが問題だ。民放はここぞとばかりにNHKを叩いているが、インチキ番組を無責任に垂れ流す民放にNHKを批判する資格はない。



08/01/20

押尾学と矢田亜希子の子供の名前は「りあむ」というらしい。この名前に「なんじゃそりゃ、鉄腕アトムの親戚かい」と突っ込んだ人は多いだろう。矢田亜希子は自分の中では好きな女性芸能人の12位くらいにランクされていたのに、りあむ君のおかけで一気に圏外へとランク落ちしてしまった。

最近はこういうわけのわからない名前が流行しているようだが、喜んでいるのは両親くらいのもので、周囲からの反応にはかなり冷ややかなものがあるように思う。可愛らしい名前ですね、とお世辞を言っている腹の中では、なんて恥ずかしい名前なんだと笑っている人も多いだろう。

普通の名前の子供と、こういう恥ずかしい名前の子供を比べてみれば、おそらく普通の名前の子供のほうが素直な人間に育つだろう。自分の子供に普通の名前を付ける親は常識がある人間なので、その子供も常識のある人間に成長するのは当然だ。

一方、こういう恥ずかしい名前を喜んで付けてしまうような両親にはどこか常識が欠けているところがあるため、その子供もどこか常識の欠けた人間になってしまう可能性がある。恥ずかしい名前を付けられて一番迷惑するのは、実はその子供自身ではないのか。

恥ずかしい名前に誇りを持てればある意味幸せだろうが、そんな脳天気な子供ばかりではないだろう。名前のせいでいじめにあわないとも限らない。自分の名前が永橋りあむだったら、間違いなく非行に走っていたと思う。ヨーラン背負ってリーゼントを決めながら盗んだバイクで走り出していたと思う。

こういう問題は、アメリカなどでは起こらないのだろう。なにしろアルファベット26文字を組み合わせるだけだから、名前のパターンにはおのずと限界がある。日本の場合、漢字、カタカナ、ひらがなを自由に組み合わせることができるから、そのパターンは無限に近い。

名前は時代を映す鏡のようなもので、平成の現代にツルやカメみたいな名前はふさわしくないが、だからといってアトムやりあむがふさわしいとも思えない。これから生まれてくる子供たちのためにも、恥ずかしい名前は役所が積極的に却下できるようにならないものか。還暦を過ぎても「りあむ君」ではかわいそうだ。



08/01/13

アメリカではいよいよ大統領選挙が熱くなってきたらしい。ニューハンプシャー州の予備選挙で、事前の予想では不利とされていたヒラリー氏がオバマ氏を僅差で抑えて勝った。勝利の要因は、直前で見せた涙が女性の同情票を集めたことにあるらしい。

このニュースを聞いて、結局のところ、有権者は何も考えていないんだなあと思った。その候補者がどういう政策を持っているかなど関係なく、ちょっと泣いてみせただけで一気に形勢は逆転するのだ。こんなことで世界のリーダーであるアメリカ大統領が決まってしまうのだから、なんともバカバカしい。

つまりアメリカ大統領選挙というのは、国を挙げた壮大な人気投票にすぎないということだろう。自分はどの候補者が好きかということが、投票の際の一番の要因になっているわけだ。アメリカの大統領選挙に限らず、選挙というものはすべてが雰囲気に流された人気投票なのだろう。

日本の選挙だって例外ではない。小泉首相が郵政民営化をゴリ押しして解散した衆議院総選挙で自民党が圧勝したのは記憶に新しい。これなども、小泉首相の圧倒的な熱意という雰囲気に流された上での人気投票だったと言えるだろう。

いま解散総選挙ということになれば、おそらく自民党は過半数割れするだろう。民主党単独で過半数を獲得するのは難しいだろうが、野党の勢力を集めれば、自民党から政権を奪取することも可能だろう。少なくとも、自民党が大幅に議席を減らして惨敗することは間違いないと思う。

何がいいたいかと言えば、こんなに短期間に自民党圧勝と自民党惨敗という両極端な結果を残す選択をしていいのだろうかということだ。こんなに一貫していない選択をするなんて、ちょっと涙を見せただけで一気に形勢が逆転するアメリカ大統領選挙と大差ない。

選挙というものは、雰囲気に流された人気投票だということはわかる。どう頑張ったところでそれ以上のものにはならない。そう割り切ってしまえばどういう結果になろうとかまわないのだろうが、その場の雰囲気に流されるだけではあまりにも安易な気がする。



08/01/06

今年のカレンダーは1月4日を休めば週末の連休につながる巡り合わせのため、明日が初出勤という人も多いだろう。自分は1月4日が初出勤だったので、とりあえず正月気分は抜けた。それにしても正月休みはつまらないと、毎年のことながら感じる。

外出したところで店はどこも閉まっているし、この時季は寒くて風も強いから、散歩やサイクリングをしても楽しめない。そんなわけで、どうしても家の中でダラダラとテレビを観ることになってしまう。そしてまた困ったことに、どの番組も殺人的につまらない。

ニューイヤー駅伝と箱根駅伝だけは毎年テレビ観戦するのだが、それ以外はチャンネルをあちこちに変えながらヒマをつぶす。おかげで、この正月休みに若手のお笑い芸人を延べ100組以上は見たと思う。これほど多くのお笑い芸人が存在するという事実に驚いた。

この芸人たちは、普段はどうやって生活しているのだろうか。スーパーの特設会場などで地道に営業をしているのだろうか。そうして日々頑張った結果が、こうした年末年始の特番に数合わせのためだけに呼ばれることだとしたら、ちょっとだけ悲しい。還暦を過ぎても地方の営業巡りのままだったら、もっと悲しい。

この正月休みに一番頑張ったのは、実はお笑い芸人ではなく大食いタレントのギャル曽根ちゃんだと思う。正月休み中、テレビで見ない日はなかった。いったい、この子の身体はどうなっているのだろう。今は若いからいいが、歳を取ったらどうするつもりなのか。還暦を過ぎても大食いのままだったら、ものすごく嫌だ。

嫌だといえば、最近よくテレビに出てくる頭の悪さを売りにした若いタレント連中も嫌だ。バカはバカなりに大人しくしていればいいものを、正月早々テレビでバカ騒ぎされると本当にうんざりする。この連中は、歳を取ったらどうするつもりなのか。還暦を過ぎてもバカな芸風のままだったら、ものすごく悲しい。

ということで、この正月休みはお笑い芸人と大食いタレントとバカタレントの将来を心配しながら過ごした。他人の将来を心配するヒマがあったら自分の将来を心配しろという至極当然な突っ込みはあえて無視しながら、今年もよろしくお願いします。



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