終わらない旅 



それは、2008年5月4日のことだった。

朝起きて外の景色を眺めると、昨日と同じくどんよりとした曇り空だ。今年は春先から雨がやたらと多く、せっかくのゴールデンウィークも雨でスタートした。今日こそは晴れてくれないものかと思いながら、テレビのスイッチを入れて天気予報にチャンネルを合わせる。

適当な局にチャンネルを合わせると、若い女子の気象予報士が「午前中は曇り空ですが、午後からは晴れて行楽日和になるでしょう」と笑顔で伝えているではないか。これを聞いて、思わず心の中でガッツポーズを作る。よしよし、とりあえず雨さえ降らなければ問題はない。

なにしろ、せっかくの連休だ。雨に降られて一日中部屋の中で過ごすことだけはしたくない。こういう祝日には頼みの綱の図書館も開いていないから、雨に降られると最悪だ。とにかく、休みの日にはどこかに出かけなければ気がすまない。ウサギは寂しいと死んじゃうらしいが、自分の場合は外の空気を吸わないと死んじゃうのだ。

そういう意味では、自分は引きこもりのニートにだけは絶対にならない自信がある。晴れた日も一日中部屋に閉じこもっているだけなんて信じられない。ニート君にもいろんな事情があるのだろうが、どんな事情があるにせよ、やっぱり日光を浴びるということは大事だ。植物と同じく、人間にだって光合成は必要だ。

そんなわけで、喜び勇んで愛車の流星号にまたがる。晴れたらロングライドに挑戦しようと、前日から決めていたのだ。ちなみに、ロングライドという場合、一般的には100キロ以上の距離を自転車で走ることをさす。これまでにも100キロのサイクリングは何度も経験しているが、今回のサイクリングでは最長記録の更新を狙っているのだ。

ベテランになると、1日で200キロとか250キロくらい走るらしいが、自分の場合はそこまでの体力はない。だが、平坦なコースなら150キロくらいはいけそうな気がする。とりあえず今日のところは、この150キロを目標に走ってみることにしよう。

そう考えながら流星号をこぎ出すと、いきなりポツポツと細かい雨が顔にあたってきた。一瞬、嫌な予感がしたが、降水確率は10パーセントと言っていたはずだ。大丈夫、走り出すうちにきっと晴れてくる。何百億円もする気象衛星を打ち上げて予想しているわけだから、よもや外れることなどないだろう。

そう考えながら、国道を木更津方面に向けて走っていく。この道路はトラックなどの交通量は多いものの、自転車用の走行レーンが設けてある部分が多いため、比較的走りやすい。こういうところも、距離をかせぐためには重要な要素だ。

相変わらずの曇天を眺めながら走っていると、ときおり細かい雨が降ってくる。視界が妨げられるほどの雨ではないが、それでも厄介なことには変わりない。雨が降ることなどまったく予想していないから、雨具の類は何も用意していない。とにかく雨だけは困るのだ。

自宅から30キロほど走ったところで、雨がひどくなってきた。これはいかんということで、道路沿いにあるコンビニに緊急避難する。どうやら天気予報は完全に外れたらしいことを、この段階で確信した。3日後の天気ならともかく、わずか数時間後の予報を外すのだけは勘弁してもらいたい。

マンガの単行本のラックに福本伸行の「アカギ」を見つけたので、とりあえずこれを読みながら雨が上がるのを待つことにする。

これは麻雀マンガなのだが、従来の麻雀マンガとは違ってすこぶる面白い。というか、福本伸行の描くギャンブル漫画はどれも面白い。「アカギ」、「天」、「銀と金」、「カイジ」など、どれを取ってもハズレはない。何か面白いマンガはないかとお悩みのあなたに是非ともお勧めしたい。

「アカギ」の単行本をほぼ読みきったところで、ようやく雨が上がってきた。時計を見ると、コンビニに入ってから1時間近く経っている。大きなタイムロスだ。先を急がねばならない。その前に腹が減ってきた。どこか適当なところで昼飯にするとしよう。

木更津市に入ったところで国道沿いにラーメン屋を発見したので、ここで昼食を摂ることに決定。店内に入ると、家族連れで大賑わいだ。かなり広い店なのに、テーブル席もカウンターもほぼ満員だ。どうやら千葉県民は、ゴールデンウィークになるとラーメンを食べたくなる県民性を持っているらしい。というか、せっかくの連休なんだから、もっと美味いものでも食べてください。

メニューを見ると、ギョーザセットなるものがあったので、これを注文する。ラーメン+ライス+ギョーザのセットメニューだ。普段はこんなに食べないのだが、ロングライドのときは別だ。自転車を長距離こぐと、やたらと体力を消耗する。これくらい食べておかないと、すぐにガス欠になってしまうのだ。

店内が混んでいるせいか、なかなかラーメンが来ない。マンガの棚から取ってきた福本伸行の「天」を半分くらいまで読んだときに、ようやくラーメンとライスが出てきた。「ギョーザはもう少々お待ちください」というので、とりあえずラーメンを食べることにする。

なるべくゆっくりとラーメンをすするのだが、なかなかギョーザが出てこない。こういうセットメニューはすべて一緒に出すのが基本だと思うのだが、この店ではそうではないらしい。もしかしたら、セットメニューという名のコース料理なのかもしれない。

つまりは、ラーメンが前菜、ライスがメイン、ギョーザはデザートということになるのだろう。なるほど、それならしかたがない。そういうこだわりを持って店を経営しているのであれば、それを尊重しなければならないだろう。ギョーザがスイーツであるというのなら、それはそれでよしとすべきだ。

いやいや、ギョーザがスイーツでいいはずがない。いい加減にギョーザを出してくれ、そうしないとこのカウンターごとひっくり返すぞゴルァ、などと思っていると、ようやくギョーザが出てきた。この時点でラーメンはもう半分も残っていない。なんだか悲しくなってきた。


悲しい昼飯を終えて店を出ると、そこにはもっと悲しい出来事が待っていた。


流星号にまたがってペダルを踏むと、前輪の感触がおかしい。あわてて流星号から降りてタイヤを確認すると、すっかり空気が抜けているではないか。またパンクだ。前回のパンクから1ヶ月も経っていないのに、またパンクしたらしい。

しかし、前回とは違って、今回はちゃんとスペアチューブを持参している。チューブ交換の手順もきっちりと予習済みだ。何事も無計画な自分としては、驚くくらいに用意周到だ。この事実だけでも、人間は学習する生き物だということがよくわかる。

前輪をフレームから取り外し、タイヤレバーを使ってタイヤをリムから外して中のチューブを引っ張り出す。どこかに穴が開いていないか確認するが、なにせ素人だからよくわからない。ためしに空気を少しだけ入れて5分ほど放置してみるが、特に空気がどこからか漏れている様子はない。

何か異物を踏んでパンクしたのではなく、チューブの疲労によるパンクなのかもしれない。いずれにしろ、ゴムパッチなどのパンク修理キットなどは持っていないから、チューブ交換をする以外に方法はない。サドルバックに入れておいたスペアチューブに交換して、携帯ポンプで新しいチューブに空気を送り込む。

しかし、この携帯ポンプがやたらと疲れる。1回のストロークが短いため、何回もピストン運動を繰り返すのだが、なかなか充分な空気圧にまではならない。空気圧が高くなればなるほど押し込む力も必要になるから、最後には汗だくになる。新手の嫌がらせかと思うくらいに大変だ。

ようやく空気を入れ終えたときには、だいぶ時間が経過していた。コンビニで雨宿りをし、混んだラーメン屋で待たされ、チューブ交換に手間取ったおかげで、予定の時間を大幅に過ぎてしまった。こうなってしまっては、150キロのロングライドは難しい。残念だが、今日のところは引き返すことにしよう。

結局のところ、雨に打たれて木更津までラーメンを食べに来ただけで終わってしまった。なんという徒労だろう。人生とは99パーセントの徒労と1パーセントの幸運である、というのは誰の言葉だっただろうか。いや、たったいま自分が勝手に作った言葉だけどね。

しかし、チューブを交換してから10キロも走らないうちに、またしても前輪から違和感が伝わってきた。あわててブレーキをかけて前輪を見ると、半分ほど空気が抜けているではないか。またしてもパンクなのか? たった10キロも走らないうちに、またパンクしたのか?

困った。まさか一日に2度もパンクするとは考えていなかったから、スペアチューブは1本しか準備していなかったのだ。ここから自宅まではまだたっぷり30キロ以上はある。いかに散歩のプロを自称する自分であっても、まさかここから自宅まで歩きとおすわけにはいかない。

しばし考えたあげく、さっき交換した元のチューブをまた使ってみることにした。あのチューブが疲労によるパンクだとしたら、だましだまし行けば多少の距離なら走れるだろう。空気が抜けてきたらすぐに携帯ポンプで空気を補充しながら行けば、なんとか自宅まで帰ることができるのではないか。

そう考え、早速チューブを交換した。本日2度目のチューブ交換とあって、もはや手慣れたものだ。なにかタイヤに刺さっていないか、タイヤの内側を指でさぐってみるが、それらしき異物は見つからない。単純に、不良品のチューブをつかまされたということだろう。

10分ほどで交換を終え、またまた大汗をかきながら携帯ポンプでタイヤに空気を送り込む。ガチガチの高圧にまで空気を入れることは難しいから、適当なところでやめて急いでこぎ出す。空気が抜ける前にできるだけ距離をかせがなければならない。

こんな感じで、1キロほど走っては空気を入れる作業を何回か繰り返したのだが、空気を入れるまでのインターバルがだんだんと短くなってくる。考えてみれば当然のことで、走る距離に比例してチューブの疲労も大きくなっていくわけだから、それにつれて空気の抜ける量も増えていくのは当たり前の話だ。

とにかく、携帯ポンプで空気を入れる作業がやたらと疲れる。このペースでいったら、自宅にたどり着くまでに何回この作業を繰り返せばいいのかわからない。このペースでは、歩いたほうがまだマシなくらいだ。このチューブで走るのはもう無理だと判断して、流星号を降りた。

さて、どうしたものか。とりあえずダメ元でもう一度チューブを交換してみることにしよう。そう考えた自分は、本日3回目のチューブ交換にとりかかった。今度は2回目よりもさらに早い。作業時間は余裕で10分を切った。とりあえずいまの仕事がダメになっても、自転車屋に転職することはできそうなくらいの勢いだ。

タイヤに空気を入れて祈るような気持ちでこぎ出すが、500メートルもいかないうちに空気が抜けていくのがわかる。さっきのチューブのほうがまだマシなくらいだ。もう、このチューブでも走ることはできない。ここにきて、ついに万策尽きた。

流星号のメーターを見ると、ここから自宅まではまだたっぷりと25キロは残っている。周囲を見渡すと、自転車屋はおろか、商店のたぐいもない。最寄の駅もどこにあるのかよくわからない。轟音をとどろかせて国道を走る大型トラックの波を見つめながら、そして僕は途方に暮れる。

などと、大沢誉志幸タンを気取っていてもしかたないので、とりあえず歩き出す。自転車が使えなかったら歩くしかない。たとえ25キロの道のりを歩き倒すことになろうとも、この2本の脚がある限り、歩くことだけはできる。歩くことさえできれば、いつかは必ず目的地にたどりつくことができる。そう、人生とは99パーセントの努力と1パーセントの才能なのだ。よく意味はわかならいが、とにかくそういうことだ。

この道は前回のパンクのときにも通った道なので、この先自転車屋は1軒もないことはすでにわかっている。しかし、今回は自転車屋は必要ない。必要な道具は揃っているから、ホームセンターでチューブを仕入れればいいだけのことだ。大きな国道沿いを歩いているのだから、ホームセンターの1つや2つくらいはすぐに見つかるだろう。

しかし、こういうときに限ってなかなか見つからない。道路の左右を注意しながら歩いているのだが、一向に見つからない。そうこうするうちに陽もとっぷりと暮れ、あたりは完全に暗くなってしまった。知っている道だからいいが、初めての道であたりが暗くなってしまったらきっとかなり心細いことだろう。さっきから細かい雨が降ったり止んだりして、さらに気持ちが沈む。

そんな感じで15キロくらい歩いただろうか、ようやくホームセンターを見つけた。助かった、これでようやく帰れる、と思いながら急いで店内に駆け込む。広い店内をさまよい歩いて自転車コーナーを見つけると、そこにはさまざまな種類のチューブが置かれている。

このときばかりは、何の変哲もないチューブが光り輝くダイヤに見えた。嬉々としながら「700×23C」のサイズのチューブを探すのだが、これがどこにもない。「700×32C」ならあるのだが、肝心の「700×23C」がどこをどう探しても見つからない。

ちょうど隣で作業をしていた学生バイトとおぼしき男子に、「700×23C」のサイズはないの? と訊いてみるが、チューブは店頭に出ているものしかないんだよ、このド素人が! と思い切り愛想よく言われて愕然とした。なぜこのサイズだけないのか。

「700×32C」なら「700×23C」と若干似ているから買ってしまおうか、いや、いっそのこと思い切って「700×32C」を「700×23C」に書き換えてしまおうか。疲労でよく回らなくなってきた頭で、そんな無意味なことを考えてしまう。そろそろやばい状態だ。

結局、ぬか喜びに終わったまま、また流星号を引きながら暗い夜道をとぼとぼと歩き出す。一度は助かったと思っただけに、このショックは大きい。たとえるならば、今日こそはと思って相手の女子を押し倒したそのときに、ごめんね、今日はあの日なの、と言われるようなものだ。

いや、ちょっと違う気がするな。今日こそはと思って相手の女子を押し倒して下着に手を伸ばしたら、なにやら異物にぶつかって、わたし実はニューハーフなの、と言われるようなものだ。いや、これはさらに違うな。まあとにかく、そういう感じのショックだということだ。


それにしても、この徒労を重ねる旅はいったいいつまで続くのだろう。結局はこのまま最後まで歩き倒すことになってしまうのだろうか。


しかし、そうは言いながらも、着実に自宅には向かっているわけで、このあたりが自分の数少ない長所だと思う。ほかに選択肢がないとわかればすばやく気持ちを切り替えて、一から着実にコツコツと努力を積み重ねていく。そう、結局のところ人生とは、99パーセントの努力と1パーセントの世渡り上手なのだ。よく意味がわからないが、とにかくそういうことだ。

ようやく自宅が近づいてきた。この終わらない旅も、ようやく終わることができるらしい。しかし、ここでよからぬ考えが浮かんだ。たしか、この脇道に入ると、近道になっているはずだ、そう考えた自分は、ふらふらと脇道に入っていった。このあたりになると、疲労のために冷静な思考ができなくなっていた。とにかく1分でも早く自宅にたどりついて身体を休めたい。そればかりを考えていた。

しかし、これがよくなかった。すっかり暗くなっているため、どこかで道を1本間違えてしまったらしい。おまけに自分は極度の方向音痴ときている。夜道ですっかり方向感覚を失い、どこを歩いているかすらまったくわからなくなってしまた。わずか数分の時間短縮のために、こうしてさらに徒労を重ねているとはなんたる愚行か。

というか、41歳にして自宅付近で迷子になっている自分は、そもそも人間としてどうなのだろう。もしかしたら、人間失格なのだろうか。生まれてすみません、ということなのだろうか。

とにかく、自分の方向音痴は病的なまでのレベルで、地図を確認しながら歩いているのに、気付いたら目的地とはまったくの逆方向に向かっていることなど数え切れないくらいにある。しかも、それに気付くのがまた遅い。たとえるならば、九州に向かっているのに、北海道に着いた時点でようやく間違いに気付く、といったレベルだ。

それはともかく、夜の住宅地をグルグルと歩き回って、ようやく見覚えのある公園を見つけた。今度こそ、無事に自宅にたどりつくことができそうだ。さすがに脚が棒のように疲れている。右手もずっと流星号のハンドル部分を握っているため、右肩がコチコチに凝っている。

自宅の玄関に足を踏み入れて、ようやく終わらない旅が終わった。さすがに長かった。まだ少しくらいは余力が残っているが、まあ今日のところはこれくらいで勘弁しておいてやる。というか、もうこのくらいで勘弁してください。充分に堪能しました。

今回の出来事については、いろんなことを学んだ気がする。まず、無駄に25キロも歩くというのは、できれば避けたほうがいいということ。これを書いているいまも、脚が激しく筋肉痛だ。いままでに何度も長距離ウォークは経験しているが、これほど徒労感の激しいウォークは経験したことがない。

そして、一番痛感したのは、人生とは99パーセントの努力と1軒の自転車屋だということだ。なんだか意味がよくわからないが、おそらく人生の真理はこの一言に集約されるのだと思う。これからはこの言葉を胸に刻んで生きていくつもりだ。


なにはともあれ、お疲れさまでした、おれ。これに懲りて、今度からスペアチューブは最低でも2本は準備しておけよ。




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