6月6日 天候:ほぼ快晴



結局、昨日はあまりよく眠れなかった。

朝の3時くらいに目を覚ました後は、ヘミングウエイのつまらないペーパーバックを読みながら再び睡魔が襲ってくるのを期待したのだが、結局そのまま朝食の時間を迎えてしまった。

おフランス初日の朝食は、言うまでもなくパン食である。歯が折れそうなくらい堅いパンに、バターだかチーズだかを塗りながら、ハムだかサラミだかをかじる。

違う、こんな朝食は基本的に間違っている。正しい朝食とは、寝崩れた浴衣の前を気にしながら、冷めて固くなった小さなアジの開きを箸の先でほじりつつ、先っぽだけを醤油に浸した焼き海苔をご飯に巻き、納豆の粘り気を楽しみながら白いご飯を口に運ぶ、この行為こそが「正しい朝食」のあるべき姿だ。そうは思わないかね、そこの日本男児諸君。

味気ない朝食を終えてホテルのロビーに集合すると、添乗員の藤堂女史が、なにやら携帯ラジオみたいな小さな機器を配り始めた。

「今日から現地のガイドさんがつきますので、今お配りしたガイドシステムを常時身に着けていただきます。ストラップで首から下げて、イヤホンを装着してください。ガイドさんの説明に従って歩いていただきまあす」

トドっぽい体を揺らしながら、藤堂女史が甲高い声で説明する。最後の「いただきまあす」の部分は、サザエさんの「サザエでございまあす」をさらに2オクターブ高くしたような感じだ。

とりあえず配られたばかりのイヤホンを装着してみるが、これがなんともうっとおしい。なぜにこんなにも美しい青空のもとで、こんなにもわずらわしい機器を装着しなければならないのだ。一気にテンションが下がる。こんなものは即刻却下だ。

リュックの奥深くに、たった今配られたばかりのガイドシステムをしまいこみ、横にいる彼女に「大事な部分は適時報告するように」と偉そうに言い残して、まずはゴッホの絵で有名な「アルルの跳ね橋」へと向かう。

跳ね橋で思い思いに写真を撮った後は、アルルの市街地をガイドさんに連れられて散策する。


あー、だめだ。

ツアーのメンバー全員が、ガイドさんに連れられてゾロゾロと歩き出す感覚がどうにも我慢できない。自慢じゃないが、自分は子供の頃から「とにかくこの子は協調性がありません。なんとかしてくださいよ、お父さん、お母さん」と、ことあるごとに担任の教師から言われていた人間なのだ。異国の地おフランスで、一様に首からガイドシステムをぶら下げた格好で仲良くゾロゾロと歩くなんて、自分にとっては拷問以外の何物でもない。とにかくこの「ゾロゾロ感」がたまらなく嫌なのだ。

なんてわがままを言っても始まらない。
ツアー一行は容赦なく街角のレストランに連行され、問答無用で「楽しいランチ」を食することとなった。

さて、ここで改めてツアーメンバーの紹介をしておこう。
実を言うと、この時点では各メンバーのことはまだよくわかっていないのだが、ストーリー展開の都合上、あえてここで紹介してみる。

まずは、このエッセイの主人公である自分と相方。

次に、ツアーメンバーの中で一番若いと思われる新婚カップル。飛行機の中で隣り合わせたのだが、偶然にも自分と同郷の新潟在住らしい。男子がいかにも純朴な好青年といった感じで、おばさんメンバーの荷物を率先して持ってあげたりしている。数少ない男子メンバーの中では、好感度は文句なしにナンバーワンだと思われる。

そして、熟年カップル夫妻。この旦那が将棋の米長邦夫にそっくりである。ついでに奥さんは、アニメのあたしんちに出てくるキャラクターにそっくりだ。なんともフォトジェニックなカップルである。密かに「米長夫妻」と呼ぶことにする。

以上で男子の出番は終了して、以下はすべて女子二人組みになる。

まずは50代と思しき友達二人連れ。なかなかに上品な感じのする二人だ。後で知ったのだが、この二人は以前に別のツアー旅行に参加したときに知り合って、それ以来何度か二人連れ立って旅行に出かけているらしい。一人は鎌倉在住で、もう一人は千葉に住んでいるということだ。とりあえず、「鎌倉婦人ペア」と呼ぶことにしよう。

さらに友達二人連れのペアがもう一組。こちらは20代のOLコンビだが、結局自分は最後まで言葉を交わす機会がなかったので、この二人のことはここで忘れてもらってかまわない。

次に、40代後半から50代前半くらいと思われる姉妹ペア。とにかく絵に描いたようなおばさんペアで、妹の方は「おすぎとピーコ」のピーコに似ている。ってことで、これからは「P子ちゃんペア」と呼ぶことにする。

同じく、もう一組の姉妹ペア。年齢はメンバー中の最高齢で、おそらく60代前半といったところか。妹の方は足が悪いらしく、常にツアーメンバーの最後尾を歩いている。

最後に、ちょっと上品な感じのする母娘ペア。おそらく母親は還暦を過ぎているだろう。娘の方は30代半ばくらいか。娘はさほどでもないが、母親の方は着こなしからしてかなり「できる」感じで、かなりの金持ちであることを容易に連想させるいでたちである。


そんなこんなで、旅行最初の「会食」が始まった。

狭い店内に16人が押し込まれたので、嫌でも隣に座るおばさんたちの会話が耳に入ってくる。聞くともなしに聞いていると、いかにもおばさんといった会話が耳に入る。


「まあ、奥さん、細いわねえ。どうしたらそんなにスマートな体になれるのかしら」
そう言葉を発したのは、足の悪いおばさんだ。推定61歳。

「いえ、特別に何をしてるってわけじゃないんですの。でも体脂肪率は19%くらいかしら」
そう答えたのは、ちょっと上品な感じのする「鎌倉婦人」だ。推定53歳。謙遜した言葉遣いだが、もちろん思い切り自慢モードに入っている。いきなり自分の体脂肪率を自慢するところが素敵だ。いかにも「待ってました」と言わんばかりの反応の速さだ。思わず、「自分の体脂肪率は12%ですが」と、会話に割り込みたくなる。

「あら、わたしなんて41%なのよ。あらやだ、あははは」
足の悪いおばさんは、そう言って豪快に笑った。

正しい反応だ。ここは下手に「あら、わたしは30%なの。もう少しダイエットしないとねえ」などと中途半端に見栄を張るよりは、すべて正直にさらけ出して「お笑い路線キャラクター」に自分を置いた方が得策だろう。しかし、なかなかこういう芸当はできるものではない。さすがにおばさん、怖いものなしである。すでに女子である自分を捨てたのか?


なんとも濃い会話にヘロヘロになりながらも、ツアー一行は容赦なく午後のコースへと向かう。


芸術の国フランスらしく、セザンヌのアトリエを見学する。

ランチに飲んだ白ワインに軽く酔いながら、古ぼけたアトリエ室内を見学する。うーん、はっきり言ってちっとも面白くない。大体、自分には芸術的センスのかけらもないのだ。セザンヌとモネとシャガールの区別さえつかない。ついでに言えば、バッハとショパンとベートーベンの区別さえつかない。そんな人間をこんな場所に連れてくること自体が間違っている。猫に小判を見せたり、馬に念仏を聞かせたりするのと同じくらいに無駄な行為だ。


その後はバスに揺られて、古代ローマ時代に建築された水道橋(「すいどうばし」ではなく、「すいどうきょう」と読む)「ボン・デュ・ガール」へと向かう。

カンカンに照りつける太陽に辟易しながら、ゾロゾロと一行の後について歩いていた自分は、その雄大な姿を目の当たりにした瞬間、思わず絶句した。

美しい。本当に美しい。いや、真剣に美しい。


まったく期待していなかっただけに、その美しい景色には素直に感動した。朝起きてから今まで、せわしなく色んな観光ポイントを連れまわされてきたが、その疲れが一気に吹き飛ぶくらいに美しい景色だ。朝一番でここに連れられてきたら、夜遅くまで飽きずに至福の時間を過ごすことができる自信がある。この景色だけで軽くドンブリ飯三杯はいける。いや、いかしてもらう。それくらいに美しい景色だ。

なんて感動に浸っていたら、「さー、それではお時間ですので、みなさんバスに戻ってくださあい」という藤堂女史の甲高い声が聞こえてきた。

頼むよ藤堂女史、そんなに甲高い声でせかすなよ。今一番いいところなんだから。
いや、文句を言うならルックJTBか。何でもいいけど、とにかくせわしなさ過ぎる。頼むから落ち着いて観光させてくれよ。こんなに綺麗な景色なんてこれから何度も見られないんだからさ。あんたらはスケジュールをこなすことが最優先だろうけど、自分たちにとっては二度とない時間なんだから、もっとゆっくりと見させてくれよ。


後ろ髪を引かれる思いでホテルに到着すると、部屋でくつろぐ暇もなく、藤堂女史から「夜の会食」のスケジュールを告げられた。時計を確認すると、会食まであといくらも余裕がない。

「まったく、どうなってるんだよ、このツアーは。もっとゆっくりさせてくれないもんかね」

そう言って自分は相方にぐちってみた。いや、ぐちっても仕方のないことは充分にわかっている。それでもぐちらないと収まらないくらいに、自分は苛立っていたのだ。

「そうだね、なんだかせわしないよね。でも、夕食を摂れば後は自由になるんだから、ほんの少しだけ我慢しようよ」

どうして高い金を払っている自分たちが我慢しなければいけないのだ。そう言おうと思ったが、彼女の優しい表情を見ると、それがなんともわがままで自分勝手な台詞だということに気がついた。自分は我慢している気になっているが、そういう我慢している自分を見て、彼女はさらに我慢しているに違いない。自分が嫌な顔をすれば、彼女だって嫌な気分になってしまうのだ。


そんな感じで、ちょっとだけラブラブな感じで見つめあっていた自分たちの横を、体格の良いフランス人と思しき中年男子が通り過ぎた。すれ違う瞬間に自分の目を見つめて、「ナイスキャップ」と言い残して歩き去った。

「ナイスキャップ」って何だ?
自分はキャップなんてかぶってないぞ。

後ろを振り向くと、さっきのおじさんがにこやかに微笑みながらまた「ナイスキャップ」と言っている。
うーん、なんだよ「ナイスキャップ」って。自分みたいな素人にもわかるように言ってくれよ。

なんて思いながら無言でそのおじさんを見つめ続けていると、おじさんはあきらめたように大きく肩で息をする仕草をしながら「ナイスキャップル」ともう一度言って立ち去った。

そうか、わかったぞ、あのおじさんは「ナイスカップル」と言いたかったんだ!

サンキュー、と言おうとしたときには時すでに遅く、おじさんの姿は視界から消え去っていた。

そうか、自分たちはフランス人から見てもナイスなカップルに映るのか。

そう思いながら、今の出来事を彼女に興奮気味に報告したのだが、肝心の彼女の反応はちょっとばかり冷めていた。

「はいはい、良かったね。さあ、早く仕度して。早くしないと夕食に間に合わないよ」

フランス人から見てもナイスカップルなはずの二人が、一気にダメダメカップルになり下がってしまった。もう少しナイスな反応を見せてくれてもいいんじゃないのか、相方よ。


ほんの少しだけ心の中で憤りながら、「楽しい会食」の会場へと足を運んだ。

それにしても、あと何回こういう憂鬱な会食を過ごせばいいのだろう。せっかくのおフランスなんだから、もうちょっと自由にさせてくれよ。おフランスに来てまでも修学旅行みたいな団体行動にはもううんざりだ。

4人がけのテーブルに着くと、20代の若い新婚カップルと隣り合わせた。好感度ナンバーワンの若い男子としばし歓談する。自分と同じく純和食等党の男子は、「やっぱり米が一番ですよ。暖かいご飯に味噌汁と納豆があれば、後は何もいらないっすよ」と言った。そうだよ、その通りだよ、あんた男だよ! 正しい日本男児だよ! とばかりに激しく同意した。

その通り、白いご飯と熱々の味噌汁と(赤出しのあさりの味噌汁ならば最高だ)、納豆か焼き魚があれば充分だ。それに加えてヌカ漬けかタクアンがあれば言うことはない。日本人なら米を食え、ってことだ。

なんてことを考えながら、程よく冷えた白ワインを飲んでいる自分がいたりする。しかも、このワインが実に美味い。なんだか自分の日本男児としてのアイデンティティが崩れ始めているのを感じる。

いかんな、こんなことではいかん。

しかしそうは言っても、本場おフランスのワインはやっぱり美味い。

日本男児としてのアイデンティティの崩壊に危機を感じつつ、おフランス二日目の夜は更けていった。



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