西国路をゆく〜五日目 




2002年9月19日 天候:晴れ 最高気温:30℃


朝6時30分起床。

テレビのスイッチを入れ、早速今日の天気をチェックする。昨日の晴天が今日も続くと知って安心する。
かなり暑くなるようだが、カラッとした暑さらしいからそんなに不快でもないだろう。何はともあれ、雨に降られないだけでも感謝しなければ。

7時に宿を出て、京都駅を目指す。
駅構内のちょっとしゃれた定食屋に入り、まずは腹ごしらえとばかりにメニューを開く。朝のサービスメニューとして納豆定食と鮭定食とがあり、ちょっと迷うが鮭定食を注文する。それにしても、関西人って納豆嫌いが多いと聞くけれど、こうして鮭定食と同じポジションで堂々と二枚看板を張っているところを見ると、意外に関西でも納豆は浸透してきているのかも知れない。

なんて考えながら食べていたのだが、やっぱり納豆は人気がないようだ。どんどんと客は入ってくるのだが、オーダーは100% 鮭定食である。これじゃ、何だか納豆が可哀相だ。せめて自分だけでも納豆定食にすれば良かった。
すまん、納豆君。帰ったら思う存分食べてあげるよ。納豆キナーゼで血液サラサラさ!


朝飯を済ませ、私鉄のホームを目指してエスカレーターを上がる。
東京とは逆に、右側に静止した人が立ち、左側のレーンをせっかちな人が上って行く。

以前に何かのテレビ番組で観た記憶があるのだが、この関東と関西との歩行レーンの違いは、大阪万博にルーツがあるらしい。
万博を控えて世界各国の歩行ルールを調査した大阪府は、左側のレーンを空けるのが世界標準であるらしいということを発見し、それ以来、このルールが定着したということだった。真偽のほどは定かではないが、なかなか説得力のある説ではある。


ホテルのフロントでもらった京都市内の観光マップを手にし、まずは伏見の寺田屋を目指して私鉄に乗り込む。

この「寺田屋」は、江戸時代から続く旅館で、今でも往時の姿のままで営業している宿である。
幕末史に詳しい人ならば、「寺田屋事件」くらいは聞いたことがあるだろう。山川出版の日本史の教科書にも載っているはずだ。
これは尊皇攘夷の気風が沸騰している幕末の時期、倒幕を目論んで寺田屋に集結した薩摩藩の過激派分子を、同じ薩摩藩の藩吏が壮絶な斬り合いの末に鎮圧したという事件である。まさに、幕末の血闘の舞台となった宿なのだ。

しかし、自分が寺田屋を見たいと思った理由は、この「寺田屋事件」のせいではない。

前にも書いた通り、自分は坂本竜馬の大ファンである。
坂本竜馬の歴史的偉業としてまず真っ先にあげられるのが、「薩長同盟」の締結であろう。それまで犬猿の仲だった薩長両藩に手を結ばせることにより、時代は大きく明治維新へと展開していったのである。

その大事業を成し遂げた竜馬は、長州藩士の三吉慎蔵とともに、この「寺田屋」でくつろいでいた。そんな竜馬を、百人にもおよぶ幕府の廷吏が急襲するのである。絶望的とも思える状況をかいくぐって、奇跡的にも幕府の包囲網を脱出する竜馬と慎蔵。ここで竜馬の命が尽きていたならば、ひょっとしたら今の日本の形は大きく違ったものになっていたかも知れない。歴史なんてものは、幾百幾千の偶然の上に成り立つ、たったひとつの必然に過ぎないのだから。

おっと、つい熱く語ってしまった。坂本竜馬には何の興味もない人にとっては、何ともつまらない日本史の講釈になってしまって申し訳ない。ほんの少しだけ反省。


宿のフロントでもらった地図は何ともアバウトで、あちこち迷い、汗をかきながら、ようやく寺田屋に出会えた。
寺田屋を目にした瞬間、思わずその風格ある玄関先にひざまづき、喉の奥から声にならない嗚咽をあげた。どうしてだろう、涙が後から後から湧いてきて、止めることが出来ない。

ついにここまで来たキニ。竜馬よ、おまんを追いかけて、ついにここまで来たキニ。
おまん、幕府の廷吏に囲まれた時には何を考えたんじゃ?もう駄目だと思ったんじゃなかね?どうして生き延びることが出来たんじゃ?おまんはまっこと凄い男ぜよ。わしにもそのエネルギーを分けてくれんね。

いや、もちろん嘘。本当にこんなヤツがいたら気持悪いって。
とか言いながら、ちょっとだけ胸が熱くなっている自分が可愛く思えたりもする。


寺田屋を後にして電車に乗り込む。
京都を散策するにあたって、ぜひとも見ておきたいスポットが寺田屋の他にもう1ヶ所あった。それは「銀閣寺」。

銀閣寺を最初に見たのは、高校の修学旅行のときである。
そのときは京都・奈良のメジャーな神社・仏閣を数多く見学したのだが、なぜか一番心に残ったのが銀閣寺だった。もちろんその景観の美しさが印象深かったのは言うまでもないが、それ以上に銀閣寺の枯れた味わいが何とも言えずに良かった。
建築当初は金閣寺に対抗して銀箔を貼る予定だったのが、予算の関係で剥き出しの板張りにせざるを得なかったという、何とも貧乏臭いエピソードがまた良い。

拝観料500円也を払って、庭園に足を踏み入れる。

入ってすぐの右奥に、枯れた風情の銀閣寺が建っている。
良い。何とも言えずに良い。

修学旅行で来たのだろう、自分の背後で女子中学生が、「これが銀閣寺なの?すっごーい!」と歓声をあげている。
ほう、この銀閣寺の良さが君にもわかるのか。おじさんは嬉しいぞ。

庭園の周囲をぐるりと巡る歩道を登って行くと、小学校高学年の集団に出くわした。
声を張り上げて「枯山水」を説明している若い女子のガイドさんを無視して、勝手に騒ぎまくる子供たち。はっきり言ってうるさい。銀閣寺のわびさびの素晴らしさなど、全く理解していない。

とは言え、これはしかたのないことだろう。小学生にとって「枯山水」なんてどうでもいいことだ。彼らにとっては、モー娘やポケモンの方が何倍も興味のある対象だろうから。

「やっぱり枯山水は竜安寺の石庭にとどめをさすとボクは思うね」
「いや、ボクは大徳寺大仙院の石庭の方が奥が深いと思う。竜安寺のシンメトリーなレイアウトはある種単調だからね」
なんて議論する小学生がいたら、かえってそっちの方が怖い。

しかし、人が一生懸命に話しているのを無視して騒ぐというのは、いくら子供であっても良いはずがない。懸命に説明をしているガイドさんがかわいそうだ。

自分の目の前で、大声を出して騒いでいる子供の胸に付けられたプラスチックの名札を確認して、その子の頭に軽くゲンコツを落とし、担任の先生を気取って注意してみた。

「こら、安藤。静かにしないか」

見知らぬ大人に注意されて驚いた安藤君は、言葉もなく固まった。
ついでに、安藤君の隣でスーツを着込んだ若い男子の担任が、自分に向かって「あ、どうも」と軽く頭を下げた。

まったく、しっかりしてくれよ。「あ、どうも」じゃなくて、ちゃんと自分の生徒くらいおとなしくさせるのが担任の役目だろうに。これだから大人が子供になめられちまうんだよ。

うるさいガキを注意するのは大人の役目だ。自分は、図書館でかたまって騒いでいる中高生を日頃から注意しまくっているので、こういう場面にはなれている。自分に発注してもらえれば、「うるさいオヤジ」役はいつでも引き受ける準備はある。一人頭500円でどうですか?いつでもどこでも飛んで行きますぜ。

ただ、髪を金色に染めて鼻ピアスを通し、両腕にびっしりと刺青を入れているようなイカれた連中を注意するのは勘弁して欲しい。自分だって命は惜しいから。


銀閣寺を出て、きれいな小川に沿って伸びる「哲学の道」を歩く。

春夏秋冬、いつ訪れてもその時々の素晴らしい景観が観光客の目を楽しませてくれるのだろう、容易にそう思えるくらいに端正な遊歩道だ。きっと京都にはこういう風情のある場所がいたるところにあるのだろう。改めて京都という街の、その懐の深さに感心する。

南禅寺周辺まで歩いてくると、ほどよい空腹をおぼえる。
そろそろ昼飯の時間だ。

京都名物といえばやっぱり「八橋」。
しかし、自分は甘いものが大の苦手だ。八橋を食べるくらいなら八手を食べる。いや、これはもののたとえ。
そんな自分の目に飛びこんできたのが、「湯豆腐」の看板。
そうそう、京都名物といえば湯豆腐があった。湯豆腐なら大好物だ。よし、昼飯は古都・京都で湯豆腐としゃれこもう。

なんて思って店先に出されたメニューを見ると、「湯豆腐会席5000円」と書かれている。
え?5000円?高いよ、高すぎだよ。湯豆腐ごときで5000円ってどういうことよ?何か間違ってるって。
自分が湯豆腐を食べる時は、近所のスーパーで売ってる一丁88円の木綿豆腐だよ。それが5000円って、一体どういうことよ?

軽いめまいを覚えながら店の看板を見上げると、「寛永12年創業、元祖湯豆腐の店」みたいな文言が書かれている。なるほど、京都で元祖とくればこのくらいの値段は当り前なのかもしれない。しかし自分にとってはちっとも当り前ではない。湯豆腐ごときに5000円も払うくらいなら、貧乏臭い居酒屋で腹いっぱい飲み食いした方がよっぽどましだ。

どうやらここ南禅寺周辺は湯豆腐のメッカらしく、次々に「湯豆腐」の看板が目に飛びこんでくる。しかし、相変わらず「湯豆腐会席3800円」といった、庶民感覚からは遠くかけはなれたものばかりだ。たまに「湯豆腐定食2000円」の看板を目にすると、「お、安いじゃん」なんて思ってしまう。どうやら自分はすっかり「高級湯豆腐」に毒されてしまったようだ。いかんいかん、こんな危険地帯に長居は無用だ。

市街地に出て湯豆腐の呪縛から解かれた自分は、今にもつぶれそうなうどん屋に入って、350円也のきつねうどんを注文する。

粗末なパイプ椅子に座り、ところどころうどんのシミがこびりつた週刊誌をパラパラとめくっているところに、ちょっと腰の曲がった初老のご婦人が丼を運んでくる。危うくツユに浸かりそうになっている節くれだったご婦人の親指を眺めながら、妙に安心する。自分みたいな貧乏人にとって、昼飯なんてものはこれくらいで充分だ。肩肘張って食べる5000円の湯豆腐よりも、格好を気にせずに食べる350円のきつねうどんの方が何倍もうまいってもんだ。

店を出て地下鉄に乗り込み、碁盤の目状に張り巡らされた大通りに降り立つ。ここから真っ直ぐに南下して、京都駅を目指すことにする。

二条城を目指して歩いていると、「ハローワーク」の看板が目に入った。
ここはとりあえず寄っておこう。何故京都に来てまでハローワークなのか、と思わないでもないが、自分だっていつお世話になるかわからない。

最近建て替えられたらしいきれいなビルに足を踏み入れると、平日にも関わらず思い切り賑わっている室内を目にし、ちょっと驚く。いや、失業者が集まる建物なのだから、平日に賑わっているのは当り前か。って言うか、そもそもハローワークは平日にしか開いていない。

ズラリと並んだ端末には、真剣な表情で求職情報を吟味している人たちで一杯だ。順番待ちの人が列を作ってさえいる盛況ぶりだ。フリーターと思しき若者や、主婦らしき人たちが大部分を占めているのがちょっと意外だ。もっと切羽詰ったオジサン族が大半だと思っていただけに、ちょっと安心する。とは言え、やはりこの盛況ぶりはあまり喜ばしいことでないことだけは確かだ。ちょっとだけメロウな気分で、一首詠んでみる。

「盛況の ハローワークに現在(いま)を見て 西国路に秋風の立つ」(敢えて破調)


ちょっとブルーな気分になりながら、二条城を見学する。

ツアーの団体さんや修学旅行の集団がいたりして、「由緒正しき観光スポット」といった風情だ。こういう風景はあまり面白くない。こういうスポットは、最大公約数的な役目は果たすが、それ以上でもそれ以下でもない。いわば「万人受けするスポット」であり、「ワン・アンド・オンリー」という、自分だけのお気に入り、という場所にはなり得ない。

こういう気ままな旅の楽しみのひとつに、いかに自分だけの「ワン・アンド・オンリー」を発見できるか、ということがあると思う。

街角にひっそりと佇んでいる名もない神社やお寺を散策して、自分だけの「お気に入り」を探すのは、何とも楽しい作業だと思うのだが、どうも皆んな忙しいらしく、「次はどこそこのお寺に行かなくちゃ」とか、「電車の時間が迫ってるから、このお寺は飛ばして、この神社にお参りしましょう」とか、周りの会話は何ともせわしない。
できるだけ多くのスポットを巡った人の勝ち、みたいな、スタンプラリーのようなゲーム感覚で観光している人たちが実に多い。

そうじゃないだろ?もっとゆっくり見て回ったらどうだい。一日ゆっくりと観光して、一ヶ所でも自分の心に触れるものがあったら、それで充分だろ?何事も欲張っちゃいけない。過ぎたるは及ばざるがごとし、だ。

そんなことを考えながら京都駅に向かって歩いていると、またもや「ハローワーク」の看板が目に入る。
やっぱりここも寄っておこう。このご時世、本当にいつお世話になるとも限らない。冗談抜きで、「明日は我が身」だ。

終業時刻が間近に迫っていることもあり、さっきのハローワークよりは空いているが、それでも求職情報を写し出す端末の座席は8割方埋まっている。
ここでもやはりフリーターや主婦が多数を占めているが、ちらちらと白髪頭も目につく。

背筋をピッと伸ばし、キッチリとスーツを着込んだ白髪頭の紳士が、真剣な表情でディスプレイの求人票を見つめている。おそらく前職は、ちょっとした規模の会社の役員、といったポジションだったのだろう。周囲の雰囲気とはちょっと浮き上がったその様子が、前職の地位の高さを匂わせる。

しかし悲しいかな、前職のポジションが高ければ高いほど、今の時代は再就職が難しいときている。中高年がすぐにでも再就職できるのは、警備員か清掃夫くらいしかない。そんな業界に、「××商事取締役なにがし」なんて経歴を書き込んだ履歴書を送ったところで、「××高校中退」と書かれた履歴書の前で惨敗を食らうことは、火を見るよりも明らかだ。
「こんなお偉いさんには、ビル掃除なんて泥臭い仕事はできないだろう」ってなもんだ。

そう言う自分だって、いつ白髪頭の紳士と同じ境遇に陥らないとも限らない。
ここはメロウな気分で一首詠んでおこう。

「職安の 白髪頭に我を見て 胸に石呑む 西国路かな」


すっかりブルーな気分になりながら、京都駅に到着する。

もう一泊して京都散策を続けようかとも思ったのだが、たかだか1日滞在を伸ばしたところで、京都の奥深さを存分に堪能することなんてできない。それこそ何年も住んでみないと、京都の京都たる所以は理解できないだろう。
できることならば京都に住んでみたいものだ。
自分の夢は「定年後は南の島で静かに暮らす」ことなのだが、京都も良いなあ、なんて思ったりもする。まあ、選択肢はいくつあっても困らない。それまでにせいぜい現金を貯めることだ。この景気では年金なんて、あてにはならんからね。


東京までの切符を買い、こだま号に乗り込む。

こだま号は各駅停車なので、ひかり号の方がずっと早く東京に着くのだが、今の気分はひかり号ではなくこだま号だ。沈み行く夕陽を眺めながら、のんびりと今回の旅の思い出に浸りたい。


汗をかきながら登った長崎の坂。車窓の景色をかき消すほどの豪雨。瀬戸大橋から見た瀬戸内海の島々。ダシの効いた讃岐うどん。夕陽に映える大阪城。修学旅行以来の銀閣寺。
みんなありがとう。きっと良い思い出になるだろう。本当にありがとう。

そうだ、ここで今回の旅のMVPを決めておこう。
みんなそれなりに良かったけれど、やっぱり自分だけの「マイ・ベスト」を決めておきたい。

まず最初のノミネートは亀山社中跡。石碑だけで何ともしょぼかったが、それ以上に思い入れがある。長崎チャンポンは選外。讃岐うどんも今ひとつインパクトに欠ける。銀閣寺は予想通り良かったから、残しておこう。あとはやっぱり寺田屋かな。何だか竜馬に会えた気がして嬉しかった。

てことで最終選考だ。うーん、でも何か大事なものを忘れている気がする。何だろう?

あ、そうか!通天閣だ!

あのしょぼさはやっぱり捨て難い。あまりのしょぼさに思い切り笑ったことだし、ビリケンも最高にナイスだった。
うん、今回のMVPは通天閣でいいだろう。通天閣に決定!

いや、でもまだ何か大事なものを忘れている気がする。うーん、何だろう?
そう考えながら手を顎にあて、考え込む。ちょっとだけ伸びた顎ヒゲの感触が、その「何か」を思い出させてくれた。

そうか、剃刀だ!

やっぱりこれで決まりだろう。今回の旅のMVPは文句なしに「使い捨て剃刀」に決定!

いや、今回の旅の一番の思い出が「使い捨て剃刀」ごときで、果たして良いんだろうか?あまりにもしょぼくないか?
そんなことを考えるうち、新幹線は東京駅に着いた。
旅の最後を締めくくる意味で、ここは一発歓喜の雄叫びをあげておこう。

東京だ!東京に帰ってきたんだ!

こうして書いてみると、標準語ってホントにつまらない。


今度旅に出る時には絶対に剃刀を持参しよう、そう思いながら、ちょっとだけ伸びてきたヒゲの感触を楽しむ自分がいた。




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