多摩川をゆく〜後書き 




と言うことで、無事に多摩川を歩き終えた。


上流から下流までを歩いて思ったのは、「多摩川って想像以上に綺麗な川なんだ」ということである。
どんな川でも上流部は綺麗なのは当り前だが、下流に進むに従って、流れの淀んだところでは悪臭を放っているような川が都心部においては少なくない。
多摩川に至っては、その河口部には京浜工業地帯の主要部である川崎市の工場郡が林立している。
工場からの排水で悪臭が立ち込めていても少しも不思議ではない条件下にありながら、そういった予想は見事に裏切られた。今思い返して見ても、爽やかな印象しか残っていない。

もちろん、わずかながら鼻を突く臭いは感じられるのだが、特別に気になるというほどではない。水質浄化に対する行政の努力が感じられて、何だか嬉しくなった。

とにかくこの川は、歩いていて楽しい川である。
都心部を流れる川は、両岸をコンクリートに覆われた殺伐とした景観を見せる川が圧倒的に多いのに対して、多摩川の流れは河口部に至るまで自然の河原が続いているので、より一層流れを身近に感じることが出来る。
本当に表情豊かな川である。今回の行程を通じて、多摩川に対する見方が大きく変わった。
色々な意味で、本当に素敵な川だと思う。

機会があったら、是非多摩川を自分の足で歩くことをお薦めする。きっと色々な発見があると思う。


さて、今回のエッセイについて自分の思うところを少し書いておこう。

4部構成になっているこのエッセイは、400字詰め原稿用紙に換算しておよそ100枚のボリュームになる。前書きと後書きを含めれば、およそ120枚くらいになるだろう。「幸福の科学」の大川隆法氏の著作のように、思い切り大きな活字を使えば、楽に1冊の単行本になるくらいのボリュームだ。
原稿用紙100枚もの大作を書いたのは、大学4年生の時に「人口都市化問題」というテーマで卒論を書いて以来のことである。その時は自力で原稿用紙を埋めたのは最初の30枚くらいで、あとの70枚は参考文献から丸写しをしてお茶を濁したので、全くの自力で100枚以上にもなる文章を書いたのは今回が初めてである。

困難な道のりだった。

途中で何度も挫けそうになったが、自分を支えてくれる全世界300万人の「独習英語」ファンのおかげで、何とか書き上げることが出来た。
一向に筆が進まないフラストレーションのために、時にはキーボードを無茶苦茶に叩き画面をフリーズさせ、時にはフリーズした画面に中指を突き立てて、"Fucking!" と毒づいたりもした。
このエッセイの行間には、そうした自分の苦悩がぎっしりと詰まっている。どうか、その辺りの行間のニュアンスも読み取って頂きたい。


何て言うのはもちろん嘘です。
文面からもわかる通り、かなりいい加減に書いてます。


最初からエッセイを書く目的でネタを拾いながら歩いたので、大体のプロットはその日のうちに出来上がってしまっている。後はパソコンに向かって、頭の中にあるネタを適当に繋いで書いただけのことだ。
多少気を使ったのは、各パートのボリュームに差が出ないように余分なところを削ったり付け足したりしたくらいで(パート1とパート4は意図的に他のパートの3割増しのボリュームにしてあるが)、晩酌をしながら適当に書き散らしたのがこのエッセイである。

とは言え、このエッセイを書くに当って自分に課した課題もある。
それは、「絶対に拡大フォントを使わない」ということ。
笑いを取りたいところで、
笑って下さいみたいに強調するのが今のネットエッセイの主流であり、実際に自分も過去のエッセイにおいてはこの手法を採用しているが、こういう表現方法はそれに慣れてしまうとちょっと危険である。
全てにおいて拡大フォントを使わないと面白くないんじゃないか?という錯覚に陥ってしまう。まるで麻薬みたいなものだ。やはり散歩のプロたるもの、素の文章で読ませることが出来なければ意味はない。


ただ、良いネタが見つからなくてうまく文章が流れない部分もあったりしたので、そんな時には自分の過去の小ネタを散りばめてみたりした。書いていて我ながら恥ずかしくなるようなネタもあったが、自分という人間の人となりを少しでも理解して頂けたのではないかと思う。こんな自分ってどうですか?


ここまでお付き合い頂き、有難う御座いました。
この駄文を最後まで読んで頂いたそこの貴方。本当に貴方は素敵な人です。今度飲みに行きませんか?面白い話をたくさん用意しておきますよ。もちろん、自分のおごりです。


と言うことで、散歩のプロの次回作にご期待下さい。
いつのことになるのかは、自分でもわかならいけどね。




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