多摩川をゆく〜四日目 



2002年5月5日 天候:快晴 最高気温:29℃



朝5時起床。

いよいよ最終日だ。最終日のスタートにふさわしく、ちょっと豪華な朝食を食べたい。そう思って冷蔵庫を覗くが、あいにく豚コマとナスが1本あるだけだ。ちょっと考えて、カレーを作ることにする。何たってカレーは子供の頃からの一番のご馳走だ。今日はカレーだよ、という母親の言葉を聞いた瞬間、やったー!なんて飛び上がって喜んだものだ。カレーには大人になった今でも心を浮き立たせるものがある。

豚コマとナスを適当に刻んで炒め、適当に煮て、適当にカレールーをぶち込む。超辛党の自分は、コショーと一味唐辛子をこれでもかと馬鹿みたいにぶち込み、仕上げに長ネギを斜め切りにしたものを適当に入れ、所要時間わずか5分で完成。自分はタマネギが無い時には長ネギで代用することが良くあるが、これが意外とイケる。シャキシャキ感を損なわないように、火を止めてから投入するのがポイントだ。是非試して頂きたい。

以前職場の同僚に得意気にこの作り方を披露したところ、「わずか5分で完成って、あんた煮込まないの?煮込まないとトロみがつかないじゃん」と言われたことがある。
トロみだとお?そんなもん知るか!自分はとにかく速攻で食いたいんじゃ!トロみなんてもんは食ってるうちに後からついてくるもんだ!トロトロしてると置いて行くぞ!


いけない、つい興奮してしまった。本題に戻ろう。


6時に行徳駅を出発し、都営新宿線、小田急線を乗り継ぎ、7時50分に狛江駅に降り立つ。
前回の終着ポイントまで戻り、改めて川沿いに歩き始める。空は綺麗に晴れている。最終日としてはこれ以上ないくらいの絶好のコンディションだ。ただ、少しばかり暑い。天気予報によると、最高気温は30℃近くにまで上がるらしい。ちょっと厳しい行程になるかも知れない。


前回と同じくサイクリングロード脇の細い土の道を進んで行くと、向こうからジャンケンをしながら歩いてくる母娘と遭遇する。
ジャンケンポン、勝ったあ、パイナップル、なんて精一杯にストライドを伸ばして進む小さな女の子が何とも微笑ましい。

しかし昔から思うことなんだが、何故グーは「グリコ」なんだろう?
チョコレート、パイナップルはそれぞれ6文字なのに、グリコだけ3文字なのはどうしてなのか?どうして「グリコーゲン」にしなかったんだろうか?
カタカナにこだわらなければ、「軍艦巻」でも良いような気がする。何だか凄く強そうな感じがする。グーのイメージにピッタリだ。頑固親父がコブシを握り締めながら「軍艦巻」を一口でほお張る姿が浮かんできて、何とも素敵だ。
いっそのこと、四文字熟語で統一するというのはどうだろう?
グーは「群雄割拠」、チョキは「丁丁発止」、パーは、えーと、パーは、ちょっと待ってね、今辞書で調べるから。

「パ」で始まる四文字熟語なんてないじゃん。困ったなあ、これじゃあオチないよ。えーと、「パンツ丸見え」くらいでどうでしょうか?


中途半端なオチに自己嫌悪に陥りながら歩いて行くと、河原に作られたコースで、警視庁の白バイ隊が練習をしている光景に出くわした。コース上に置かれたパイロンを、巧みなハンドル捌きでスラロームしていく。大きな車体を思い通りに乗りこなす姿が何ともカッコ良い。制服警官では文句無しに、白バイ警官が一番カッコ良いと思う。
こう言ってはなんだが、チャリンコに乗った交番詰めの警官には今一つ迫力が無い。職務質問をしている若い衆から逆襲に遭っている姿なんかも見かけることがある。

その点、白バイ警官には何とも言えない威圧感がある。いかに威勢の良い若い衆とても、白バイ警官の前では皆一様に低姿勢に見えてしまうのは、何も自分の気のせいばかりではあるまい。
こうして休日にも関わらず己のバイクテクに磨きをかけている白バイ警官を見ていると、何とも言えず頼もしさを感じる。これからもビシビシとならず者ドライバー達を検挙しちゃって下さい。


陽が高くなるにつれ、気温も上がってきた。多摩川の水面に反射する光が眩しい。

しばらく歩くと、河川敷のテニスコートで汗を流す人達の姿が目に入る。
思わず立ち止まって、目の保養になりそうな若い女子の姿を探すが、残念ながらシルバー予備軍といった風情の人ばかりである。やっぱりテニスには華が欲しい。

自分のテニス歴は、約1日である。
大学に入学した時に、それまでのダサダサな田舎者から脱出して、ナウな都会のヤングに変身するべく、テニス&スキーというミーハーサークルに入った自分。
ナイスな東京の女子大生をゲットするという壮大な野望を秘めてそのサークルに入ったのであるが、何せ赤貧にまみれていた時期であるから、テニスウエアやラケットなんて揃えている余裕は無い。とにかく異常にエンゲル係数の高かった時期だ。

それでも1年の夏合宿には、それまでバイトで貯めた金で何とか参加した。
イカしたテニスウエアなんて買う余裕はなかったので、自前のTシャツと短パンで代用した。本格的なテニスルックでキメ
ている周りから見るとなんともしょぼい。と言うより、かなり浮いている。
当然ラケットなんて持っていないから、サークルの友人にスペアのラケットを持参してくるようにお願いして、そのラケットを借りて練習に参加する。

ミックスダブルスの試合にお情けで参加させてもらった自分だが、その日初めてラケットを握った人間がまともにゲームなど出来るはずもなく、パートナーの足を引っ張りまくって敢え無く初戦で敗退。今でもパートナーの軽蔑と哀れみに満ちた表情が目に浮かぶ。
恨むなら貧乏な自分ではなく、こういう貧富の差を生み出す資本主義社会の非情な構造をこそ恨んでくれ。
この夏合宿を最後に、テニスラケットを静かに置いたことは言うまでもない。

太宰治ではないが、全く恥の多い人生である。書いていて情けなくなってくる。


この日もコンビニで適当に昼飯を済ませ、更に多摩川を下って行く。
気温は30℃近くにまで上がっているはずだが、川から吹き上げて来る風のおかげで、それほど暑さを感じない。空気の淀んだ街歩きでは堪えられないくらいの暑さなのだが、このあたりも川歩きの良いところだろう。


河原でバーベキューを楽しむ人達の飲んでいるビールが何とも美味そうだ。こんな天気の良い日に、ガーッとビールを飲んで思い切り大の字になって河原に寝そべったら、どんなに気持良いだろう。川の横を走る道路に置かれたビールの自販機に思わず足が向かいそうになるが、ぐっとこらえる。昼に飲むビールは不思議なくらいに回りが速い。ここで飲んでしまったら、これ以降の行程に支障をきたしてしまうのは目に見えている。

以前ゴルフをしていたときには、午前のラウンドを終えてクラブハウスで飲むランチビールが、コースを回る楽しみの一つだった。自分はとにかくヘタクソだったので、右に左にショットを曲げてしまい、同伴のメンバーの倍くらいの距離を駆け回ることになる。当然、9ホールを回り終えたときにはもう喉はカラカラに乾いている。

テーブルに着くなりメニューも見ずに、「取り敢えずビールね」と注文し、一気に飲み干すビールが何とも美味い。
ようやく人心地ついたところで、更にもう一杯追加したりする。他のメンバーも自分に負けず劣らずの飲兵衛揃いなので、最初からピッチは上がりまくりだ。
「もうゴルフはいいや。このまま腰を据えて飲もう」
って、一体何しに来てるの。

足元も怪しく午後のラウンドへと突入。
当然みんなティーショットは右に左に曲げまくる。自分もすっかり安心して、負けてなるものかとばかりに思い切り曲げる。できるだけ大きく曲げた人の勝ち、みたいな「ドラコン」ならぬ「曲げコン」状態だ。一人でもナイスショットをしようものなら、一気にブーイングの嵐。とにかく、思う存分曲げまくれ!

しかし、しかしである。
みんな飲兵衛のくせに、何故かゴルフだけは上手い。カップインして次のホールに向かうときにお互いのスコアを確認しあうのだが、みんな「俺はボギーね」とか、「いかんなあ、ダボ叩いちゃったよ」なんて感じで、それなりにまとめているのである。
「で、永橋は?」と聞かれて、「えーっと、9かな」と答えるときは本当に悲しかった。
ボギーでもダブルボギーでもトリプルボギーでもダブルパーでもなく、「9」。

何だか試験前に、「昨日全然勉強しなかったよ」なんてライバルの言葉を素直に信じて、「俺もだよ。まあお互い頑張ろうぜ」なんて答えて、思い切り裏切られたときと同じような切なさを感じる。
みんな、さっきまでの酔っ払いぶりはカモフラージュだったのかい?



川に架かる橋の下で、麻雀に興じるグループに遭遇する。
どうもその姿形を見ると、この辺りを根城にしているホームレスの人達のようである。しかし、麻雀とてもギャンブル。いかに貧しくとも、何かを賭けないと麻雀というギャンブルは成立しない。
「今日はピンのワンツーね」なんていうのが、サラリーマン族の合言葉であるが、ホームレスの彼らのレートはどうなっているのであろうか。
「今日はさきいかのワンカップね」とか、「今日は柿ピーのサントリーレッドね」なんていう会話が交わされているのだろうか。


季節外れの陽気に誘われて、堤防で肌を焼く人達の姿が目につく。
その中で、コンクリートの床に薄いレジャーシートを一枚敷いただけで肌を焼いている若いカップルを発見する。
ビキニパンツ一丁の姿で、ちょっとたるんだ腹を突き出してあお向けに寝ている男子の横で、ビキニのブラの紐を外してうつぶせに寝ている若い女子。

あのー、そんなに薄いレジャーシート一枚で痛くないですか?
そんなに無理な姿勢をしてまで焼きたいですか?

「あらー、ヒロコ焼けたわねー。どこで焼いてきたの?サイパン?それともハワイ?」
「うん、ちょっと近場でね」
「近場ってどこよー。あ、わかった、沖縄でしょ?」
「違うわよ。そんなんじゃなくて本当に近場なの」
「えー、どこなのよ。いい加減に白状しなさいよー」
「あのね、多摩川なの」
「...ごめんね、無理に聞いちゃって」


別にどこで焼こうが関係ないんだけど、やっぱり多摩川焼けというのはちょっと恥ずかしい気がするんだが。


ちょっと歩くと、小さなレジャーシートに仲良く並んで焼いている若い男子の二人組に遭遇した。
男子二人で仲良く裸になっているという姿は、とにかく怪しい。もしかしてこの二人は?なんてあらぬ想像を膨らませてしまう。

「お前、最近ちょっと太ったんじゃないか?」
「え、そんなことないよ。そう言うお前こそ、最近腹のあたりがたるんで来てるぞ」
「あーあ、お互い最初に出会った頃は、もっと引き締まってたよなあ」
「だったらさ、明日多摩川に焼きに行かないか?ほら、陽に焼けると引き締まって見えるっていうじゃん」
「そうだな、別にすることもないし、そうするか」
「その後はさ、陽に焼けた勢いで一気に燃えちゃう?」
「うーん、燃えちゃう燃えちゃう!」

自分で書いていながら何ともバカバカしいが、どうしても裸の男子が並んでいるのを目にすると、こういう妄想が頭の中を駆け巡ってしまう。
大体、男の二人連れが許されるのはスーツ姿の場合だけだと思う。私服で野郎同士が並んで歩いているだけで、周囲の好奇の目に晒されてしまうことだけは間違い無い。


海まで10kmの標識を過ぎると、多摩川の両岸は気持の良い広い緑地に覆われる。
ここからは河口までこの気持の良い景色が続く。
緑地で無邪気に遊ぶ家族連れや若いグループを目にしながら、更に下流を目指して歩く。

途中で、上下ともウインドブレーカーで完全武装してウオーキングに励む、40代と思しき女性に遭遇する。おそらくダイエットのために歩いているのだろうが、ただでさえ暑いのに、見ているこっちまで息苦しくなるような完全武装ぶりだ。
お前は「明日のジョー」の力石徹か。

ダイエットに関する情報が嫌と言うほど氾濫している現在でも、こういう間違った知識のまま取り組んでいる人っているんだなあ、と思ってしまう。
「練習中には水を飲んだら駄目」というような、前時代的な格言を信じて疑わず、汗をかくことイコールダイエットだと信じて実践しているのだろう。本当に見ていて暑苦しい。脱水症状に陥って倒れることがないように祈るばかりだ。



快晴の空の下で青い水面が美しく映えている。もう川とは言えないくらいの水量をたたえた多摩川の流れは、鏡のように穏やかだ。河原を無邪気に走り回る元気な子供達とは好対照な多摩川の姿が何とも美しい。
流れでは、ジェットスキーを楽しむ人の姿や、大きなクルーザーが優雅に水面を走る姿が目に入る。

いよいよこの行程もフィナーレを迎える時が来たようだ。

残り3kmの標識を過ぎると、気のせいか、多摩川から吹き上がってくる風にわずかに潮の匂いが感じられる気がする。大きく開けた流れの向こうに、羽田空港の姿が目に入る。


とうとうここまで来た。

何とも下らない動機で始めた多摩川下りだったが、こうして終わりを迎えてみると、これまで自分が汗をかきながら、足を引きずりながら辿って来た多摩川の姿が、雪崩を打つように一気に脳裏に再現される。

起点の奥多摩湖の雄大な眺め。吊り橋の上から目にした清冽なエメラルドグリーンの流れ。奇岩の立ち並ぶ渓谷を縫うように走るカヌーイスト達。多摩川の向こうに聳える大きな富士山。思わず踏んだ犬の糞。コンビニで買ったノリ弁。ベンチでアコギを弾く男子。堤防で肌を焼くホモカップル。

そして、今目の前に大きく広がる多摩川の河口。

その多摩川の豊かな表情の変遷を描写するだけの力は、今の自分には無い。この駄文を読んで、少しでも多摩川の豊かな表情を頭に思い描いて頂けたならば、それで充分である。


多摩川に架かる最後の橋である大師橋を過ぎると、目の前の羽田空港が更に大きくなる。
正式な多摩川の終着点は大師橋を渡った川崎市側にあるのだが、ここまで来ればもうゴールに到達したものと思って良いだろう。

2002年5月5日午後4時。
ついに多摩川河口に到達する。

胸の奥から思わず熱いものがこみ上げてくる。

なんてことはもちろんないけれど、やっぱりちょっとだけ感動する。
「この感動をまず誰に伝えたいですか?」と聞かれたら、迷わず「この文章を最後まで読んでくれた全ての人に」と答えるだろう。

ここまでお付き合い頂き、有難う御座いました。今この文章を読んでくれている貴方のおかげで、ここまで辿り着くことが出来ました。重ねて言います。本当に有難う御座いました。


いや、もちろん社交辞令だけどね。
ここまで辿り着いたのは、自分自身の健脚のおかげ以外の何物でもないっす。


さてと、多摩川も無事に制覇したことだし、このまま帰るとしようか。

でも、何か中途半端だ。せっかくここまで来たんだから、起点の奥多摩湖に匹敵するような、最後を締めくくるランドマークが欲しいところだ。やはりここは、向こうに見える羽田空港まで歩くしかないだろう。空港まで辿り着いてこそ、これまでの行程がより実りのあるものになるはずだ。


疲れた足を励ましながら、羽田空港を目指して改めて歩き始める。
目標となる空港までは目前に何も障害物がないので大した距離には見えないのだが、実際に歩いて見ると異様に遠い。とにかく歩いても歩いても辿り着かないのである。細い歩道の横では大型車が爆音を上げながら走っていて、周囲の景色も単調そのもの、全く散歩には向かないコースだ。
歩き始めて30分もしないうちに激しく後悔する。さっきの河口地点で感動の余韻に浸りながら帰っていれば良かった。何が楽しくて、こんな人気の無い殺風景な道を、痛む足を引きずりながら歩いているのか。かと言って、今さら引き返すことも許されないくらいの距離を歩いてしまっている。


空港に通じるトンネルに入ると、猛スピードで行き交う車の騒音で、気分転換のつもりで耳にしているウオークマンの音すら全く聞こえない。時折「パパ−ン!」なんて大きなクラクションを鳴らして走るトラックなんかもいたりして、その度にビビリまくる小心者の散歩のプロ。
いや、笑い事じゃなくて、本当に怖い。トンネルの中だから音の逃げ場が無くて、すぐ横を歩いている自分に直接跳ね返ってくる。こういう状況下では、音が凶器にすらなりかねないということを認識する。


トンネルの壁に設置された「非常電話」が目に入る。
高速道路なんかで良く目にするあれだ。好奇心に駆られて開いて見るとダイヤル式の電話になっていて、2つしかないダイヤルの上にはそれぞれ「警察」「消防署」と書かれている。つまり、非常電話を手にした瞬間に、110番か119番するしか選択肢はないわけだ。突然時計が壊れたからといって非常電話を手にしても117番には通じないし、雲行きが怪しくなってきたからと言って非常電話を手にしても、177番には繋がらない。
間違っても「警察」と書かれたダイヤルを回して、「あのー、今何時でしょうか?」とか、「消防署」と書かれたダイヤルを回して、「これからの天気はどうなるんでしょう?」と聞いてはいけない。


徒歩で空港までやって来る人のことなど、さらさら意識していないだろうと思われる道を幾度も迷いながら、ようやく羽田空港に到達した。時計を見ると、既に午後5時30分。
本当にこの行程だけは余計だった。骨折り損のくたびれもうけ、とはまさにこのこと。

大きな荷物を抱えてちょっと疲れた表情を見せる人達に混じって、自分も何気なくロビーの椅子に座り、同じように観光帰りの風情を装ってみたりする。

いやあ、良かったね、沖縄は。何といってもコバルトブルーの海が絶品だった。また来年も行きたいもんだね。


周りの風景に溶け込んでいることを信じて疑わない散歩のプロだったが、膝に抱えているしょぼいリュックの言い訳だけは思い浮かばなかった。


最終日の行程

小田急線狛江駅から羽田空港まで。
全行程およそ23+3km。大体において多摩川制覇!




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