多摩川をゆく〜二日目 



2002年4月29日 天候:快晴 最高気温:20℃



朝7時15分起床。

まずい。いきなり寝過ごしてしまった。4時にセットしておいた目覚まし時計に反応して、一度は目を覚ましたことは記憶にあるのだが、そこから先の記憶がない。どうやら二度寝をしてしまったらしい。普段の休日ならば楽に起きられるはずなんだが、どうやら前日の行程が想像以上に効いているらしい。
今更ご飯を炊いている余裕はないので、買い置きのカップ麺を急いで流し込み、シャワーを浴びて速攻で駅に向かう。

余談だが、以前職場の先輩と朝食の話になった時に、「時間のない時はインスタントラーメンで済ますことが結構ありますよ」と話したところ、えらくびっくりされたことがある。その先輩からすると、「良く朝からインスタントラーメンなんて食えるねえ」ということらしいが、そんなにおかしいですか?
「朝からチャーハンやカレーを作って食べることだってありますよ」と答えたところ、こちらの方にはあまり反応しなかった。どうやら、朝から麺を食べることに抵抗があるらしい。
「だって、駅前の立ち食いそば屋できつねそばを食べても、別におかしくはないでしょ?」と尋ねたところ、「そばは良いんだよ、そばは。でもね、ラーメンと言うのがどうにも納得が行かない」とのこと。
いや、納得行かないって言われてもねえ。自分はこれで納得してるんだから、それで良いじゃん。こんな、朝からカップ麺を食べてしまう自分ってどうっすか?


前日と同じく、中野駅で中央線に乗り換え、更に立川駅で青梅線に乗り換えて前日の終着駅である「石神前駅」を目指す。10時20分に目的の駅に降り立つ。この駅は無人駅で、行徳駅からここまで定期券で電車を乗り継いで来た自分は、乗り越し分を精算しようとするのだけど、自動精算機がないのである。ラッキー!じゃない、困った。困ったけど、精算出来ないものは仕方がない。そのまま改札を出る。一円も払わずに。
良く考えてみると、無人駅を往復する限りでは、常にタダで電車に乗れてしまうことになる。これは由々しき問題ではないだろうか。さすがはJR東日本、太っ腹である。良い子のみんなは真似しないように。


昨日の晴天に輪をかけて、今日は更に良い天気だ。改札を出た途端に、寝坊してしまったことを激しく後悔してしまうくらいの素晴らしい快晴。

駅を出てすぐに架かっている橋から多摩川を見下ろすと、河原に白い石で書かれた相合傘や、「○○命」といった文字が目に入る。これは使えるかも知れない。

好きな女子に告白する場合なんかに、「ちょっと見せたいものがあるんだけど」なんて誘って、河原に書かれた「愛してるよ」なんてメッセージを見せたりすれば、そのままホテルになだれ込めるかも知れない。今度是非使ってみようと思ったりする。でもこの作業の最中に、橋の上からその姿を他人に見られるのはかなり間抜けだと思う。

「ぷ、愛してるよ、だってさ。バカじゃないの?」なんて笑われるだけならまだしも、「多摩川で見かけた今日のバカ」なんてタイトルで、作業中の写真付きでネットで公開されたりした日には、もう生きて行けない。生涯「多摩川で見かけたバカ」という十字架を背負って生きていかなければならない。
愛のために、生涯を犠牲にする勇気は自分にはまだない。


いきなり腹が減ってきたので、青梅街道沿いに歩いてコンビニかホカ弁屋なんかがないか探して見るが、歩けど歩けど一向に見つからない。普段の街中の散歩では意識したことすらなかったが、こういう場所での散歩は食事の確保というのは重大な問題である。

ようやく遠くの方にコンビニらしき赤い看板が目に入ったので、喜んで近づいて見ると、ガソリンスタンドの看板だった。まさか「レギュラー満タン現金で」なんてチャージしてもらうわけには行かない。仕方なくまた歩き始めると、今度こそ間違い無くセブンイレブンの看板を発見した。何だか無性に嬉しい。コンビニがこんなにも有り難いものだとは思わなかった。

店内のお弁当コーナーでのり弁としじみのカップ味噌汁を確保して、店横の駐車場に腰を下ろして食す。
ちょっと行儀が悪いが、他に適当な場所がないから仕方ない。

しかしあれだね、こういう地べたに座りこむ「ジベタリアン」は若い衆が集団でやってこそ絵になるけど、35歳の男が一人でやると、絵にならないどころか、かなり哀愁が漂う感じがして、何とも寒いもんだね。


昼飯チャージを済ませてまた青梅街道を下りて行くと、途中で河原に降りることが出来る場所を見つけたので、早速下りてみる。
昨日のエメラルドグリーンの色彩は若干色褪せては来ているものの、まだまだ渓流の風情を残している。
流れの速いところの水をペットボトルに汲み、一口含んでみる。
飲める。って言うか、美味い。少なくとも、普段飲んでいるカルキ臭い水道水よりはずっと美味い気がする。郊外とは言え、東京都内で川の水を飲むことが出来るというのは、ちょっと感動する。

なんて思いながら上流に目をやると、河原でバーベキューを楽しんでいる家族連れが、川の水で皿を洗っている姿が目に入った。
こらこら、せっかくの綺麗な水を汚しちゃいかーん!


更に国道を下って青梅市内に入ると、道幅が片側2車線に広がり、周囲の景色も賑やかになって来た。それに伴って眼下を流れる多摩川の川幅も大分広くなり、もはや渓流といった風情はなくなり、立派な中流になっている。鮮やかなエメラルドグリーンの流れも、もう目にすることは出来ない。何だか少し淋しい。


歩き始めてからまだ2時間も経っていないのに、もう足が痛くなってきた。10分歩いて1分休憩するという感じで、ちょっときつい。この辺りは多摩川の姿を目にすることが出来ないので、余計に辛い。川の流れを目にしながら歩くことが出来れば、少しは気も紛れるのだが。

痛む足をなだめながら歩いて行くと、突然流れの開けた場所に出た。いきなり川幅が広がっている。
ついさっき目にした姿とは全く違う多摩川が目の前に流れていて、ちょっとびっくりしてしまう。
夏休みにおばあちゃんの家に遊びに行って、「あらあら、ちょっと見ないうちにすっかり大きくなっちゃって」みたいな感じだろうか。

またまた余談だが、自分には「あらあら、ちょっと見ないうちに」と言われた記憶がないような気がする。成長期には1年で20cmくらい身長が伸びたりする人も結構いるらしいが、自分に限っては全くそんな経験はない。
中学校に入学した時が143cmで、2年生の時の身長は記憶にないが、3年生の時が150cmだったと思う。で、高校に入学した時が158cm。でもって、高校2年で166cm。
どうだろう、実に堅実な伸びではないだろうか。あまりにも堅実過ぎて、これでは「あらあら、ちょっと見ないうちに」なんて言えないのも無理はない。嘘でも良いから「あらあら」なんて言われたかった。


ようやく出会えた多摩川の川縁を歩いて行くと、「海まで55km」と書かれた標識が目に入る。逆算すると、奥多摩湖からここまで、36kmを歩いてきた計算になる。55kmと36km、何とも微妙な距離ではあるが、着実に目的を遂行しつつあることだけは間違い無い。

しばし足の痛みも忘れて歩いて行くと、いきなり行き止まりになった。

おお?行き止まり?

どうしてそういう大事なことを前もって言ってくれないの?「この先行き止まり」みたいな看板を立てておいてくれてもいいじゃん。せっかくここまで一生懸命に歩いて来たのに。ひょっとして、自分に対して意地悪してない?何だか凄く邪悪なものを感じるんだけど。

仕方なく元来た道を帰るが、どうにも納得出来ないものを感じる。
何だか「オフサイド・トラップ」にかかってしまった時のようなやるせなさを感じてしまう。

ところで「オフサイド・トラップ」って何ですか?
サッカー用語だってことくらいは知ってるんだけど、何がどうトラップなのかが良くわからない。きっと「トラップ」って言うくらいだから、かなり邪悪な技なんだろうと思う。罠にかけるのは良くない。同じスポーツマン同士、仲良くしよう。

自分が子供の頃の憧れのプロスポーツは何と言っても野球選手だった。ところが今ではサッカー選手の方が子供達には人気があるらしい。
やはりファッションセンスの違いが、子供達の人気を左右する大きな要因なのだろう。確かにプロ野球選手のファッションセンスは決定的にダサい。ピンストライプのスーツに、金のネックレスなんていう、一歩間違うとその筋の人と見間違えてしまうような着こなしを見せつけている選手もいまだに目にする。

しかし、野球選手なんてまだマシな方だ。
プロスポーツではないが、柔道家のファッションセンスはもう絶望的ですらある。
自分は高校の3年間を柔道着に身を包んで過ごしたので良くわかるのだが、とにかく柔道家にはファッションセンスのカケラもない。頭は五分刈り、稽古中は安全と衛生のためにノーパンで過ごす柔道家にとって、ファッションなんて二の次、三の次である。これでは女子にモテないのも当然である。
汗臭い道場で練習しながら、サッカー部の連中だけでなく、ダサさでは良い勝負の野球部の連中まで羨む始末である。
強くなればなるほど、女子からは相手にされなくなってしまうのが何とも悲しかった。


オフサイドトラップを大きく迂回して向こう岸に辿り着くと、「羽村取水所」と書かれた緑地に出た。どうやらここは「玉川上水」の起点らしく、多摩川の流れをほんの少しだけ横取りした水路が、奥多摩街道に沿って伸びている。その端正な流れを見ていると、思わず「散歩したいなあ」という思いに駆られるが、今は多摩川を制覇することが先決だ。玉川上水は次の機会に取っておくことにしよう。

ということで、この瞬間に散歩のプロとしての第2弾の仕事が決まった。タイトルは「玉川上水をゆく」。
全長43kmの行程だから、前・後編の構成になるだろう。
しかし、自分で自分の仕事を決めるなんて、まさに一流だ。世間では、自分の意に添わない仕事を渋々こなしているプロだって大勢いるのに、だ。この瞬間に「散歩のプロ」から「散歩の大家」にまで一気に出世してしまったようだ。
「大家」にまで登り詰めると、ギャラのことなんて一切気にしない。ノーギャラでも自分の好きな仕事だけをこなすのが大家ってもんだ。果たして世間に全く認知されていない大家なんているのか?という外野の騒音を一切無視することが出来るのも、また大家の証明であろう。

取水所の案内図を眺めていると、背後から声をかけられた。振り向くと、ママチャリにまたがった50代と思しきおじさんがいた。

「どこから来たんですか?」
そう尋ねられた大家は、一瞬自分の壮大なる多摩川征服計画を話し出しそうになったが、大家たるもの、一般ピープルに対してあまり尊大な態度を取るのもどうかと思われる。

「えっと、近所なんですよ」
「あ、そう。だったら、あっちの方で酒を飲んでる連中のことは知ってるでしょ?」
「いや、ちょっとわからないですけど」
「あれ、ここにはあまり来ないの?」
「ええ」
「あの連中には気をつけた方が良いよ。なにせタチが悪いからね。自分なんかもう2回もからまれてるから」
「はあ、そうなんですか」
「特に女の子の一人歩きは危ないよ、本当に。冗談じゃないんだから」

そう言ってママチャリおじさんは去って行った。
どうやらママチャリおじさんは、初めてこの地を訪れる人達に、ならず者集団の存在を知らせて未然にトラブルを防ごうと頑張っている、「正義の一人自警団」とでも言うべき人物のようだ。

おじさんの言うタチの悪そうなグループを探して見るが、一体どのグループを指しているのかが良くわからない。皆無邪気に爽快な河原での一時を楽しんでいるグループにしか見えない。しかし、わざわざママチャリに乗って自警活動を展開しているくらいだ、敵は相当デンジャラスな集団に違いない。
おじさんの勇気ある行動を無駄にしてはいけない。

ということで、これから「羽村取水所」に出掛ける人に対して忠告したい。
「羽村取水所には酒に酔ったデンジャラスな集団がいるようだから、注意して下さい。特に若い女子は気をつけてね」
どうでしょうか、ママチャリおじさん。散歩の大家として、自分は適切な仕事をしたでしょうか。


また一つ良いことをしてしまった。
そんな充足感に浸って歩いていると、「海まで52km」と書かれた標識が目に入った。
をを?さっき「海まで55km」と書かれた標識を目にしてからもう2時間近く経っているのに、わずかに3kmしか進んでいないではないか。自分としてはもう10km近くは歩いた感覚なのだが。

全ては邪悪なオフサイド・トラップのせいだ。
足の痛みは多少収まってきてはいるものの、やはり辛いことには変わりない。今日は立川駅まで歩く予定だったが、地図を開いて見ると、目指す駅まではまだ10kmくらいある。時間はまだ早いが、そろそろ撤収準備に入ることにしよう。明日からはまた仕事が待っている。あまり無理も出来ないだろう。

少しでも次の行程が楽になるように、痛む足を引きずりながら更に数キロの道のりを歩いて、青梅線の拝島駅に辿り着く。足の痛みは計算外だったが、それを除けば充実した散歩だった。今度は体調万全で臨むことを決意して帰路に着いた。


前日と同じく、行徳駅で拝島の切符を見せて精算しようとしたところ、さすがに拝島駅の存在にはすぐに気付いたようだが、計算が複雑らしく、傍らに置かれた電卓を取り上げてキーを叩き始める若い男子の駅員さん。どうにも手数をかけて申し訳無い。
吉野家に入りたてのバイト君が、いきなり「並ツユダク、ネギ抜きで」なんてレアな注文をされた時のような戸惑いが、電卓を叩く指先から見えてくるようだ。
その姿を目にしながら、別に100円くらいなら違ってもかまわんよ、と寛大な気分になっている散歩の大家がそこにいた。


2日目の行程

石神前駅から拝島駅まで。
全行程およそ22km。海まで残り49km。





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