多摩川をゆく〜前書き 




突然だが、多摩川を歩くことにした。


これまでの自分は何をやってもすべて中途半端で、何一つものになった試しがない。興味を持って何かを始める時には、必ずプロになろうと思って始めるのだが、気付いて見れば結局はものにならず、何とも中途半端な形で終わってしまうのがこれまでのパターンだった。


例えば麻雀。

大学生の頃はプロ雀士を目指して、日々街のフリー雀荘に通って修業を重ねていた。大学を卒業したらまともな就職なんてせずに、頭にはパンチパーマを当て、花柄の開襟シャツの胸元に金のネックレスを光らせ、ノータックでベルトレスの白のスラックスを穿き、新宿辺りの雀荘を根城にして、「ジュクの新吾」として売り出そうと真剣に考えていた。
ところが困ったことにこの「ジュクの新吾」、あまり勝率が良くない。ちょっとした小遣い銭くらいなら何とか稼げるが、これでメシを食っていくとなるとちょっと厳しいものがある。大体「ジュクの新吾」ってキャッチコピーも、昭和30年代ならばまだしも、平成の横文字氾濫の時代には合わないだろう。
ということで、プロ雀士になる夢は断念した。


例えばゴルフ。

自分が社会人になりたての頃はちょうどバブルがはじける直前で、とにかく時代の空気はバブリーだった。ペーペーの社会人1年生ですら、平気でコースに出ていた時代だった。もちろん自分もプロゴルファーを目指してゴルフを始めた。
確かコースデビューの時のスコアは160だったと思う。一瞬ボーリングのスコアかと勘違いしてしまうくらいのひどさだ。しかしここで挫けないのが自分の良いところだ。このスコアにめげることなく、壮絶な練習を開始した。
休みの度に近所の練習場に出かけ、手の平の薄皮がむけるまで打ち込んだ。ピンク色の薄皮の下からは、目の醒めるような真っ赤な鮮血がほとばしり出ている。今思い返しても何とも壮絶だ。
と言うか、自分は基礎が全く出来ていないので、力まかせにクラブを振り回すと、30球くらい打つともう手の皮がむけてくるだけの話なんだが。
結局、ハーフ50を一度も切ることなく、プロへの夢はあきらめた。


例えば翻訳。

翻訳家を志望した動機や、結局は挫折してしまった経緯については他のページに詳しく書いてあるから、ここでは敢えて書くことはしない。翻訳家の夢にだけはちょっと本気で取り組んだだけに、自分の才能の無さが改めて悲しい。


こう書いて見ると、本当にすべて中途半端だ。
今からでもプロを目指すことが出来るものは何かないだろうか。自分の一番の趣味は散歩だ。「散歩のプロ」。これならいけるかも知れない。競争率もそう高くはないだろう。それに何となく語感が素敵だ。改めて声に出して言ってみる。「散歩のプロ」。良い。かなりイケている。
決まりだ。これからは「散歩のプロ」を目指していくことにする。

しかし、どうしたら散歩のプロになれるのだろうか。と言うより、そもそも散歩のプロって何?

プロを名乗るからには、散歩で金を稼がなくてはいけない。しかし、「今日は近所の公園を散歩して来ました」なんて言って、「ご苦労さん。今日も良い散歩が出来たようだね。はい、これが今日のギャラ」なんてお金を渡してくれる奇特な人なんて見たことがない。

いや待てよ、散歩をしてお金を稼いでいる人だって一杯いるじゃないか。「東京下町散策」とか、「散歩の達人」と言った散歩をテーマにした雑誌はけっこうある。こう言った雑誌にエッセイなんかを書いている人こそ、「散歩のプロ」と言えるんじゃないのか?

なるほど、つまり散歩のプロの定義としては、「散歩に関するエッセイを書いてお金を稼いでいる人」ということになる。これから散歩のプロを目指す自分がするべきことは、日々の散歩をエッセイの形で発表して行く、ということだ。
これからの方向性が見えてきた。


さて、それでどこを散歩すれば良いのか?
いやしくもプロを目指しての初仕事だ。間違っても「近所の美味いラーメン屋巡り」なんていうしょぼいテーマでは許されないだろう。もっとドラマチックな、壮大なテーマが必要だ。
自分がこれまでにした散歩の中で一番充実していたのが、神田川を源流から辿って歩いた散歩だ。川の源流から最後まで辿って歩くというのは、結構ドラマチックなものがある。よし、今回はこれで行こう。

じゃあ、どの川を歩けば良いのか?
やはりここは多摩川以外にはないだろう。何と言っても、東京をほぼ一直線に横断する多摩川はわかり易くて良い。首都圏以外の人でも、多摩川の名前くらいは聞いたことがあるだろう。よし、これでターゲットは決まった。

早速多摩川の源流を調べてみると、何だか凄い山奥にあるようだ。東京湾に辿り着くまでに138kmもの距離があるらしい。しかも、公共交通機関で源流まで辿り着く方法は無いようだ。つまりは、車を走らせて現地に向かう以外に、源流に辿り着く方法は無いということだ。
散歩のプロとしての初仕事がいきなりドライブエッセイになってしまっては、「看板に偽り有り」と非難を受けてしまうことは必至だ。もう少し下流の方でスタート地点を見つけることにしよう。

地図を広げて見ると、多摩川に沿うようにしてJR青梅線が走っている。青梅線の終点は奥多摩駅だ。ここを散歩の起点とすることにしよう。しかし、いきなり駅に降りてそこに既に流れている多摩川を歩いて行くというのも、どうも気分が出ない。やっぱり何か区切りとなるものが欲しい。
そう考えながら更に地図を眺めていると、奥多摩駅の先に奥多摩湖を発見した。ここは自然湖ではなくダムになっているから、それまでの流れを一旦せき止めてから改めて多摩川の流れが始まっている。良い。かなり良い。起点としてこれ程相応しい場所はここ以外にはないだろう。

奥多摩湖から海までは91kmある。あと9km足してピッタリ100kmにしたいところだが、あまり贅沢も言えまい。プロとしての初仕事としては十分な距離だ。
一日あたり20kmちょっと歩くと計算すると、全行程を制覇するのに4日かかることになる。良い。かなり良い。
かなりの大作が出来ることだろう。自分のこれまでの散歩を総括して、更にこれからの飛躍のステップとするのに、これ以上相応しい行程は無いだろう。


タイトルはもう決めてある。「多摩川をゆく」だ。
これは自分の敬愛する司馬遼太郎氏の「街道をゆく」から拝借したものだ。内容はともかく、タイトルだけでも壮大なものにしたい。何たって、プロとしての初仕事なんだから。
何時の間にか「プロを目指して」が、「プロとして」になっているが、あまり気にしないで頂きたい。自分はもうすっかり「散歩のプロ」になり切っているのだから。

しかし、ただ多摩川に沿って歩くという何とも地味なテーマで、はたしてエッセイなんて書けるものだろうか?「近所の美味いラーメン屋巡り」の方がまだ面白いエッセイになるんじゃないのか?


そんな不安を抱えつつ、見切り発車的に散歩は始まってしまった。




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